WBC決勝マウンドに立った岩隈久志「吐き気がするほど緊張しましたね」【平成球界裏面史】

WBC決勝のマウンドで力投する岩隈久志(2009年3月)

【平成球界裏面史 近鉄編55】平成21年(2009年)のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で岩隈久志はとてつもない経験を積んでいる。平成16年(04年)に発生した近鉄、オリックスの合併問題も得難い経験だったはずだ。それでも、現場でプレーするというレベルで言えば最高の緊張を味わったのは同大会だったはずだ。

09年3月18日、岩隈は負ければ敗退となる2次ラウンド敗者復活戦のキューバ戦(米サンディエゴ・ペトコパーク)で先発し、6回無失点の好投。5―0の勝利に貢献するとともに侍ジャパンの連覇への夢をつなぐ圧巻の投球を披露した。

そして同22日の準決勝、23日の決勝へ向けサンディエゴからロサンゼルスへ移動。その頃、米国との準決勝の先発は松坂大輔、決勝進出の場合は先発・ダルビッシュ有という予想が大半を占めていた。だが、水面下では違った計画が進められていた。

ドジャースタジアムでの練習中、岩隈は原辰徳監督から声を掛けられた。「決勝は任せた」。予想だにしていなかった。18日のキューバ戦から中4日。総力戦に備え、リリーフ待機で万全の調整を行うつもりではいた。連覇をかけた決勝で先発マウンドに立つことをイメージをすることは容易ではなかった。

準決勝の米国戦は松坂が先発し5回途中2失点で9―4の勝利に貢献。岩隈が決勝戦となる韓国戦に先発することが確定した。迎えた決戦の日。試合が近づくにつれ緊張感が高まり続けた。

「始まる前までは吐き気がするほど緊張しましたね。ブルペンでもストライクが入るかどうか見たいな。実際に試合のマウンドに立つ前までは自分じゃない感じでしたね。やばいな、まずいなという思いはありました。ただ、始まってみればメンタルもボールも普通にコントロールできました」

そう話すように立ち上がりから好調だった。「韓国の打者の特徴をある程度はつかめていたし、キャッチャーの城島さんともこういうプランで抑えようというイメージはありました」と4回2死までパーフェクトに抑えた。ただ、緊張感から解き放たれていたわけではなかった。「ただただ必死でした。一人もランナーを出せないような緊張はありました」と余裕はなかった。

そして1点リードの5回、先頭打者に同点ソロを許した。相手は韓国の主砲で当時はクリーブランド・インディアンスに所属していた秋信守。同点となっただけにも関わらず、球場の雰囲気がガラリと変わった。

ロサンゼルが位置する西海岸は東洋人の人口が多く雰囲気とすれば、ドジャースタジアムはアウェー状態だった。もちろん日本のファンも熱心な応援を続けていたが、スタンドの人口比率で言えば韓国に分があった。

次打者の李机浩は三振に打ち取り一死としたが、続く高永民に左線に強烈な打球を打ち返された。「あの流れの中の二塁打は苦しい」。岩隈の胸に嫌なイメージが芽生えかけた時、スーパープレーが生まれることになる

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