明石家さんま、今くるよさんを追悼「ホントにお世話になった1人」 思い出は「いつも褒めてくれはる」

明石家さんま【写真:ENCOUNT編集部】

ラジオ『MBSヤングタウン土曜日』で交流振り返る

お笑いタレントの明石家さんまが1日、レギュラーを務めるMBSラジオ『MBSヤングタウン土曜日』(午後10時)に出演。5月27日に膵がんのため、大阪市内の病院で死去した今くるよ(本名・酒井スエ子)さんを悼んだ。

長い付き合いだった。冒頭からさんまは「くるよ姉さんが亡くなられたっていうので。私らホントにお世話になった1人なんで。大昔、漫才ブームがあって、新幹線の移動も一緒だったりしながら、やってたけども。いつもほめてくれはるんですよ」というと、共演の村上ショージにほめられた経験があるかを確認。村上は「いくくる(いくよ・くるよ)姉さんはみんなをほめてましたけど、さんまさんは特にほめてました」と当時を思い返した。

さんまは「ちょっと髪を切ると……(出てくる)例えがええ加減なんです。浮かんだ言葉をすぐ『いやあ、菅原文太やんかいさ~』とか」と、相手を美男美女に例えるくるよさん流の“あいさつ”を回想。「オレ1度、コートを着たことがあるんですけど。そのとき新幹線で“おはようございます”の前に“いやあ、霧のロンドンブリッジやんかいさ~”っていう訳のわからん。『霧のロンドンブリッジ』いう映画が昔あって、そういうこと、真剣には考えてくれてないから、表面で判断しはるんですよ」と人物ではないものに例えられた経験もあるとした。

さらに、「新幹線に乗るとき、スケジュール帳にメモしてたら“いやあ、IT社長やんかいさ~”って。なにもIT社長じゃないんですよ。ノートに字を書いて、メガネかけてうつむいてるだけで“IT社長や”言うてくれはるんですよ。そういう環境の中、育ったんで私もドンドン図に乗ってしまった」と“ほめ上手”ぶりを明かした。

出会いは京都花月だったという。「ウチの師匠(笑福亭松之助さん)といくくる姉さんが出番で、仲良かったんで。私、本名(は)杉本(高文)ですから、『あんた杉本くんって言うの?』って言うてたら、(くるよさんの)ブラジャーの(肩の)線が丸くなってたんですね、ポコッと。オレは何かが挟まってんのかなと思って、くるよ姉さんに“すいません、肩のとこ、ブラジャーのとこ、ポコッてなってますけど”って言うて。(くるよさんは)“言わんといてぇ。出がけに切れて、今かた結びしてんねん。絶対、誰にも言わんといてや”って言うて。それが出会いなんです。“ブラジャーかた結び事件”」と懐かしそうに話した。

最後の対面は、くるよさんにとってラスト舞台となった2022年4月、大阪・なんばグランド花月で開催された吉本興業創業110周年特別公演『伝説の一日』だったといい、「そのときはもう車イスで登場して。それでも、私のことをまたほめて“かっこええやんかいさ~”とか“ステキやんかいさ~”とか、いうような感じで言っていただいて。もういくよさん、くるよさんもお亡くなりになられてな」と寂しそうに話した。村上が、くるよさんが亡くなった日は、2015年5月28日に死去した相方・今いくよさんと1日違いだったと伝えると、さんまは「ああ、そう」と驚いた様子だった。

番組後半でもくるよさんの訃報に触れ、「ああいうキャラクターの人もいなくなるというのは寂しい。面白かったしなあ。わざと派手な衣装を着て、それをあつらえて作ってらっしゃった。お客さんのためにね。お客さんが衣装を見るのも一つの楽しみだったですよね。大きなぼんぼり付けたりするのはね。ホントにみんなほめてね。ほめられて嫌な思いする人いないしね」と芸人としての姿勢に敬意を表しつつ、故人の人柄をしのんだ。ENCOUNT編集部

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