解散から10年…SOUL'd OUTメンバーの今 楽曲を手掛けた男が語る再結成の可能性

Shinnosukeが現在の活動について明かした【写真:本人提供】

言葉を選びながらも「可能性はゼロではない」

2014年に解散して10年。ファンがいまだに復活を望む「伝説の音楽グループ」がある。メインボーカルのDiggy-MO’(ディギー・モー)、MC&ヒューマンビートボックスのBro.Hi(ブラザー・ハイ)、トラックマスターのShinnosukeで活動していたグループ・SOUL’d OUTだ。現在はDiggy-MO’はソロ歌手として、Bro.Hiはバンド活動のかたわら、都内の料理店で板前として腕を振るっている。そして、ENCOUNTは、グループの楽曲を手がけていたShinnosukeの「今」に迫った。(取材・文=白川ちひろ)

「今日は見に来てくださってありがとうございました。では、何から話しましょうか」

Shinnosukeは自身がキーボードを務めるバンド・gl∞beのライブ後に取材に応じた。記者と対面すると、深々と頭を下げた。腰が低く、穏やかな口調。ENCOUNTとしては「初取材」になるので、まずはプロとしてのキャリアスタートとなるSOUL’d OUT結成時のことから聞いた。

「きっかけは、お世話になっていたディスコのDJをしていた先輩なんです。僕らがまだグループ名もなく、活動を始めた時でした。先輩が『お前ら、まだグループ名が決まってないならこれでどうだ』と言って、洋楽のレコードを見せてくれたんです。そこに『SOUL’d OUT』と書いてあって。その先輩がいずれ自分のお店を持つ時に付けたい名前でもあるとのことでした。そんな熱い思いが込められた名前を『使って良い』と勧めていただけて感動しました。僕ら自身もソウルミュージックを好きだったのと、『売り切れ』や『魂を放つ』といった意味も込められていることもあり、すぐに決まりました」

1999年にSOUL’d OUTを結成し、2003年にメジャーデビュー。その名の通り、ライブのチケットは「即完売」になる人気者となった。だが、そこに至るまでの道は平坦ではなかったという。

「当初は年齢非公開でしたが、もう話してもいいのかな。デビュー年は29歳で、当時にしては遅咲きだったんです。それまではいろいろな会社にデモテープを送りましたが、なかなか実りませんでした。『これでダメならやめよう』と最後の望みをかけて、01年にソニーミュージックのオーディションにテープを送ったところ、担当者から連絡があって、その後に何度かのライブ審査などを経た結果、SMEレコーズからのデビューが決まりました」

その後、数々の楽曲をリリース。続々とファンを増やしていった。しかし、本人は常に葛藤を抱えていた。

「実は僕はもともと、音楽プロデューサーを目指していたんです。楽曲を作ってさまざまなアーティストへ提供する側。自分がアーティストになって表に出ようとは思っていなかったので、当初はメンバー2人だけでライブに出てもらっていて、僕は出演していなかったんです。でも、メンバーから『3人組って思ってもらえないからお前もちゃんと出ろよ』と言われて少しずつ出るようになり、パフォーマンスしていくようになったんです。

僕だけじゃなく、メンバー全員が良い意味での雑食性あふれる人達なので、洋邦問わず、チャート音楽のような時代を代表するポップミュージックからアンダーグラウンドでマニアックな音楽、クラシックや映画・ゲーム音楽など幅広く好んで聴いてました。それらのフィルターを通って生み出される作品は複雑だし、独自の面白さだったんじゃないかと思っています。自分達が追求するアートフォームであれば『良いものは良いでいいじゃん』っていう何でもありな感覚。でも、その中にあるこだわりの美学。時にはレコード会社の意見に戦ったりもしましたしね」

現在、所属するバンド・gl∞beでキーボードを演奏するShinnosuke【写真:本人提供】

話題にされることに感謝「今の3人でまた楽曲制作できたら…」

だが、グループは惜しまれつつ、14年に解散した。理由は「Shinnosukeから私的な理由による脱退の申し出があったため」と発表された。自身の決断ではあったが、その後は苦労が伴ったという。

「レコード会社に所属していた頃は、営業部署のスタッフさん達が宣伝活動を担当してくれていたので、裏でどれだけの人が頑張って動いてくれていたかなど、本当の意味での大変さを分かっていなかったんです。個人になって初めて『何てすごいことをしてもらっていたんだろう』と思い、あらためてプロモーションの大変さを知りました。振り返ると、世間知らずでありがちな馬鹿さ加減ですけどね。事務所が間に入って、いろいろとまとめてくれたりもだし、チームやスタッフのいるありがたさを実感しましたね。今は1人で何とか頑張ってはいますが、もともと営業は苦手ですし、業界のパイプをいくつも持っているわけでもないので、なかなか大変ですね」

そして、解散から10年。メンバー同士は今もつながっていた。

「コロナ以降ですかね。業界の先輩や身近な人たちなど含めて、いろいろな方々が亡くなられているのを目の当たりにしたり、僕自身も入院したこともあって、急に『2人はどうしているのかな』とたまに心配になるんです。『健康でいてくれたらいいな』と思い、年1くらいで『元気ー?』とか、それぞれ思い立った時に連絡しています。ホント純粋に『大丈夫かな?』って。もう、アラフィフですしね(笑)。今後の自分の人生を考え始めてしまうと言いますか、『後悔しないように生きていきたいな』って。なので、少しずつですが自分名義のソロ作品も発表しだしたりして。今までとは違って歌唱も含めてちゃんと自分のカタログを残しておかないとなって思うようになったんです。『自分でできる範囲で』ですけども」

ならば、ファンが望む「SOUL’d OUT復活」の可能性はあるのだろうか。

「うーん……どうなんでしょうね。本当にそれは僕も分からないです。『再結成してほしい』というファンの方の声も届いていますし、可能性はゼロではないと思いますが、僕1人の一存では決められないですからね。3人それぞれの思いやタイミングなどが一致する時が来れば、有り得るのかもですが、今はもうそれぞれの人生を歩んでいますしね。決して冷たい意味ではなく、今の時代って生きていくのも本当に大変ですから。まずは健康でいられて音楽続けていけるように頑張りますよ。

変に期待させてしまうのも良くないと思うので、中途半端な答え方はしたくないのですが、『今の3人でまた楽曲制作できたらどうなるんだろう』『面白いのが作れるんじゃないかな』とは思う時もありますね。『そうやって1人で勝手なこと言うな』って怒られちゃうかもですけど。でも、解散して10年たつ今でもSOUL’d OUTという名前をSNSなどで話題にしていただけたり、オフィシャルYouTubeが更新されていることは本当にありがたく感じていますし、そこは3人とも同じだと思います」

Shinnosukeは16年から、専門学校の尚美ミュージックカレッジで講師も務めている。

「グループ活動をしていた頃のワンマンライブステージとは違い、生徒全員が自分のファンではないので、話を聞いてもらえなかったりします。授業中にスマホをいじったり寝ている生徒もいます。それで心が折れることもありますよ。『自分が若かった頃はもっと真剣にやっていた』とか、『学費も安くないのにもったいないな』と思っていました。しかし、生徒が作る音楽はセンスが良く、クオリティーが高いものが多くあるんです。講師の大変さを知るとともに、若い子の作る新しい音楽に刺激をもらえています」

Shinnosukeの生み出す音楽は今も多くに支持され、ここ近年ではアニメ業界でも聴くことができる。シンガー活動をしている声優たちへの楽曲提供や番組の主題歌など、彼の作るキャッチーで魅力的な楽曲が起用されるのも当然だろう。

「いろいろな方から『たくさんの提供楽曲がありますね』と言われますけど、自分的にはまだまだだと思っています。もちろん、数も大事なんですけど、1曲自体の認知度というか心に残る名曲感と言いますか、これからも多くの方に僕が作った曲を歌っていただけたら幸せですね」

アーティスト、作詞家、作曲家、編曲家、プロデューサー、講師……。Shinnosukeは「今」も音楽で存在感を示している。そして、SOUL’d OUTのメンバーとも心をかよわせていた。グループ復活を期待するファンへの感謝も抱きながら。

□Shinnosuke(しんのすけ)1975年4月23日、東京都生まれ。99年、Diggy-MO’、Bro.HiとともにSOUL’d OUTを結成。2003年に『ウェカピポ』でメジャーデビュー。14年に解散するも、YouTubeチャンネルは登録者数14万人で、総再生数は1億回超。現在も熱狂的なファンが多く、再結成を望む声が多い。個人としては、嵐、中川翔子、Every Little Thingら多くの有名アーティストに楽曲を提供。その他、ドラマ、アニメのBGMも手掛けている。自身の誕生日である今年4月23日には、3年ぶりとなるソロ曲『Let’s Go Round The World』を発表。175センチ。血液型A。白川ちひろ

© 株式会社Creative2