港町から消えた「交通の遺構」が動物園に! 令和の時代に残る横浜市電の思い出

野毛山動物園に保存されている1518号車。2021年には、動物園開園70周年のマークがついていました

2024年現在の人口は、約377万人。横浜市は、国内の政令指定都市でトップクラスの人口規模を誇る都市です。横浜駅を中心に、東京、横須賀、藤沢方面などへの鉄道網が充実している同市ですが、かつてはこれに加え、市営の路面電車(市電)が、縦横無尽に駆け回っていました。

横浜市電は1904年、民間企業の横浜電気鉄道が路線を開業させたのがはじまり。1921年、横浜市が同社を買収し、公営の路線になりました。その最盛期は昭和30年代。北は生麦(鶴見区)から南は杉田(磯子区)まで、路線総延長は51キロ以上にのぼりました。しかし、その後は規模が急激に縮小。路線が次々に消えていき、1972年に全路線が廃止されました。

廃止から50年以上経ちますが、横浜市電の遺構は現在も複数残されています。最も有名なのは「横浜市電保存館」ですが、ここ以外にもいくつかの市電車両が保存されています。今回は、市電保存館以外の場所に眠る市電たちを、簡単にご紹介します。

ひとつは、野毛山動物園の1500型1518号車。入口から少し直進したところに保存されています。

1500型は、1951年にデビュー。当時、アメリカでは「PCCカー」と呼ばれる高性能な路面電車車両が開発されており、日本でもそれに倣った「和製PCCカー」と呼ばれる車両が各地でみられました。横浜市電では当形式がそれに該当する車両で、市電の全廃まで運用されました。

現在の1518号車は、車内の座席の交換、片方の運転台で機器類の完全撤去といった変化はあるものの、外観は現役当時に近い姿を残しています。動物園は入場無料なので、気軽に会いに行けるのも魅力です。

もうひとつは、久良岐公園(港南区)の1150型1156号車。公園中心付近の「桜の森」の近くに置かれています。

1150型は、1952年に製造された車両。車体は1500型と似ていますが、こちらは走行機器類に、廃車された別車両の流用品を使用しています。市電の全廃まで運用された点は、1500型と同じです。

久良岐公園は1973年に開園。1156号車はその頃から保存されていたものの、状態の悪化により、一時は解体計画も持ち上がったようです。しかし、2011年に有志が立ち上がり、同年11月、修復作業に着手。翌2012年春に美しい姿を取り戻しました。現在、一部の扉部分などに破損が見られるものの、車両の状態は比較的良好に見えます。なお、これら以外にも、1508号車の車体、車輪など、市内の学校にも複数の遺構が残されているようです。

横浜から路面電車が消えて、はや半世紀。ですが、その面影は、いまもわずかに見ることができます。時間を見つけて、港町・横浜の思い出をたどってみるのも、おもしろいかもしれません。

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