『美しき仕事』美しき発明、モノローグとしてのダンス

『美しき仕事』あらすじ

仏・マルセイユの自宅で回想録を執筆しているガルー。かつて外国人部隊所属の上級曹長だった彼は、アフリカのジブチに駐留していた。暑く乾いた土地で過ごすなか、いつしかガルーは上官であるフォレスティエに憧れともつかぬ思いを抱いていく。そこへ新兵のサンタンが部隊へやってくる。サンタンはその社交的な性格でたちまち人気者となり、ガルーは彼に対して嫉妬と羨望の入り混じった感情を募らせ、やがて彼を破滅させたいと願うように。ある時、部隊内のトラブルの原因を作ったサンタンに、遠方から一人で歩いて帰隊するように命じたガルーだったが、サンタンが途中で行方不明となる。ガルーはその責任を負わされ、本国へ送還されたうえで軍法会議にかけられてしまう…。

空間にキスマークを残す


ダンスフロアの明滅する灯りに照らされた女性が空間に向けてキスをする。映画の始まりを告げるようなチャーミングなリップ音。空間へのキスマーク。クレール・ドゥニ監督の映画におけるダンスは、空間への目には見えない“マーキング”として作用する。しかし登場人物の多くは孤独な放浪者だ。ダンスという表現を身体の言語とするならば、クレール・ドゥニの映画には相手と溶け合うようなダイアローグのダンスではなく、モノローグとしてダンスがある。

そして『美しき仕事』(99)には、モノローグとしてのダンスで伝説的な評価を得てきた俳優ドニ・ラヴァンが出演している。これほど美しいマリアージュはない。レオス・カラックス監督の「アレックス3部作」でお馴染みのドニ・ラヴァンによる目の眩むような乱舞がスクリーンに刻み付けられる。生命の飛躍。『バービー』(23)のグレタ・ガーウィグ監督は、本作を見て自分も映画を撮りたくなったという。この傑作には新しい世代の映画作家たちからの熱烈な支持が集まっている。

『美しき仕事 4Kレストア版』© LA SEPT ARTE – TANAIS COM – SM FILMS – 1998

ジブチの美しい海。外国人部隊の上級曹長ガルー(ドニ・ラヴァン)にとって、彼の地の太陽の光はあまりにも眩しすぎた。不名誉な除隊処分を受け、マルセイユで暮らす現在のガルーは生きる活力を完全に失っている。ガルーの生活には自殺の誘惑さえ漂っている。ガルーにとってジブチの地は、もはや“失われた楽園”に他ならない。白人部隊の中にあって、ガルーは模範的な軍人だった。アイロンがけやベッドメイクの丁寧さに、ガルーの生真面目さがよく表わされている。

では何がガルーを狂わせたのか?怪しい美しさを放つ青年サンタン(グレゴワール・コラン)の登場によって、ガルーの内なる秩序、コミュニティがゆっくりと崩壊していく。サンタンの身体的な若さ、その輝きは、ジブチを照らす太陽の光以上にガルーの脅威になっていく。やがてガルーの心身はコントロールを失っていく。

『美しき仕事』はガルーによるジブチの思い出、手記を通して描かれていく。本作を撮るにあたり、クレール・ドゥニは本編とは別の脚本を用意している。ハーマン・メルヴィルの詩とガルーの日記で構成されたアナザー・バージョン(本作の編集を担当するネリー・ケティエは同時進行でレオス・カラックスの『ポーラX』/99を編集している。偶然にもどちらもハーマン・メルヴィルの作品を元にしている!)。リハーサルを好まないクレール・ドゥニは、俳優の即興演技を促すため、このアナザー・バージョンをリハーサルで代用していたという。

シャドウ・ダンス


「クレールと(撮影監督の)アニエスは、砂漠で小さな茂みが揺れ動くのを見て、振付師のベルナルド・モンテにそのことを伝えました。そこで彼は、あの茂みの動きの影を作るような振り付けを部隊にしたのです」(ネリー・ケティエ:編集)*1

ジブチの地で行われる外国人部隊による訓練風景はダンスであり、儀式であり、奇妙な武術のようでもある。接近に次ぐ接近として俳優の身振りや肌の色そのものを捉えていくクレール・ドゥニによるダンスの追及は、闘鶏を描いたバディ・ムービーの傑作『死んだってへっちゃらさ』(90)を撮っているときに芽生えたものだという。たしかにこの作品の調教シーンにおける鶏の羽ばたきと俳優の関係にはダンスを見ているような感覚がある。興味深いのは、クレール・ドゥニの映画におけるダンスは、肉体の美しさや官能性を超え、肉体の曖昧さへと至っていくところだ。

『美しき仕事 4Kレストア版』© LA SEPT ARTE – TANAIS COM – SM FILMS – 1998

クレール・ドゥニの映画では、俳優の動きがクローズアップになればなるほど、その輪郭が失われていくような感覚がある。『美しき仕事』の振付を担当するベルナルド・モンテに茂みの揺れを模す動きを依頼した理由はここにあるのだろう。訓練=ダンスする肉体は、やがて影となり、ジブチの風景の中に消えていく。それはジブチの地に葬り去られた身体のようでもある。ある共同体の慣習によって浸食された幽霊のような身体。シャドウ・ダンス。実体を失った影としての身体がジブチの砂丘に揺らめいている。

常連俳優のアレックス・デスカスが語るように、クレール・ドゥニの映画には俳優の肌に直接カメラで触れるような不思議な感覚がある。触覚的な欲望。しかしクレール・ドゥニの映画において欲望は罰せられる。『美しき仕事』のガルーは、欲望による“侵犯”によって罰せられる。何かに近づきたいという感情が高まれば高まるほど、欲望は鋭利な刃物となって自分の喉元に突き付けられる。上官のフォレスティエ(ミシェル・シュボール)に愛されたいガルーは、サンタンの若さ、輝きに嫉妬する。ガルーは自分の居場所がなくなり始めていることに恐怖を感じ、ついに一線を越えてしまう。そこには“侵犯”の政治性がある。この作品はかつてフランスの植民地だったジブチで撮られている。

リズム・オブ・ザ・ナイト


「私は人を見るのが好きです。愛するために人を見る。それは誰かと一緒に踊るようなものです。カメラでは相手に触れることはできません」(アニエス・ゴダール:撮影監督)*2

上官フォレスティエ。この名前はジャン=リュック・ゴダールの『小さな兵隊』(63)で同じくミシェル・シュボールが演じた役名と一致している。『小さな兵隊』はクレール・ドゥニがこだわり続けている作品であり、ミシェル・シュボールとは『美しき仕事』以降、筆者が偏愛する傑作『侵入者』(04)をはじめ、何度も重要な役でコラボレーションをしている。『美しき仕事』や『ネネットとボニ』(96)のグレゴワール・コランをはじめ、クレール・ドゥニの映画には同じキャストが起用されている。それは俳優の“経年”をじっくり見ていくこととつながっている。そしてクレール・ドゥニにとって、見ることは愛することだ。2022年に他界したミシェル・シュボールとは、『バスターズ―悪い奴ほどよく眠るー』(13)に至るまで彼の肌を撮り続けている。

『美しき仕事 4Kレストア版』© LA SEPT ARTE – TANAIS COM – SM FILMS – 1998

クレール・ドゥニは撮影の際、許可をとって俳優に直接触れること求めることがあるという。その触感は確実に彼女の映画に反映されている。クレール・ドゥニの映画では肌が肌であることをやめ、何かの模様、俳優の体温そのものになるまで近づいていくような錯覚を覚える。ヴィム・ヴェンダース監督やジム・ジャームッシュ監督のアシスタントを務めていた経歴からも、クレール・ドゥニの映画が所謂フランス映画の枠組みに収まらないことは明らかだ。しかし彼女のコスモポリタン性は、幼少期を過ごしたカメルーンにおける“異邦人”としてのルーツ、疎外感と同化願望、恐怖と親密さを独自の映画文法として拡張していくその姿勢にある。

本作に「リズム・オブ・ザ・ナイト」という、まさしくクレール・ドゥニの映画を一言で表わすようなハウスミュージックが使用されているのは偶然とは思えない。俳優の肌をクローズアップしていくクレール・ドゥニの映画にとって、夜のリズムとは血管が脈を打つリズムのことだ。ガルーは死への衝動をダンスの活力に変える。私見ではこのシーンはクレール・ドゥニの友人レオス・カラックスの『ホーリー・モーターズ』(12)におけるモーション・キャプチャーのシーンに受け継がれている。ガルーは自分の肉体から解き放たれる。自己の超克。そのときガルー=ドニ・ラヴァンによるモノローグとしてのダンスは、他の誰でもない、この作品のオーディエンスと手をつなぐ。“美しき仕事”とはオーディエンスとの新しい共闘を築くための“美しき発明”のことなのだ。

*1 Marjorie Vecchio「The Films of Claire Denis: Intimacy on the Border」

*2 Village Voice [ Agnes Godard’s Candid Camera ]

文: 宮代大嗣(maplecat-eve)

映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。

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『美しき仕事 4Kレストア版』

5月31日(金)よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか全国順次ロードショー中

配給:Gucchi’s Free School 協力:JAIHO

© LA SEPT ARTE – TANAIS COM – SM FILMS – 1998

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