今泉力哉監督『からかい上手の高木さん』ドラマ&映画で実写化 日常の些細なことを積み重ねた物語にひかれて

今泉力哉監督 (C)ORICON NewS inc.

TBSの深夜ドラマ枠「ドラマストリーム」で放送された『からかい上手の高木さん』に続いて、永野芽郁(24)と高橋文哉(23)の初共演による映画『からかい上手の高木さん』が31日より全国公開された。

『からかい上手の高木さん』は、月刊漫画雑誌「ゲッサン」(小学館)で2013年から10年にわたって連載され、今年1月に最終となるコミックス20巻が発売された山本崇一朗氏による人気漫画が原作。とある島の中学校で隣同士に座る「からかい上手の高木さん」と「からかわれっぱなしの西片」、そんな2人の「からかい」をめぐる日々を描いた青春ラブコメディ。これまでにテレビアニメ化、劇場アニメ化され、人気を博してきた。

実写ドラマ&映画の監督を務めたのは、今泉力哉。多くの自主映画制作を経て、『愛がなんだ』(2019年)、『街の上で』(21年)、Netflix映画『ちひろさん』(23年)、『アンダーカレント』(23年)などの話題作で、恋愛を中心としたリアルな描写が評価されている。今泉監督の“『からかい上手の高木さん』まで”と“これから”の話を聞いた。

■原作者と原作ファンが喜んでくれるものにしたい、というのは絶対条件

――『からかい上手の高木さん』を手がけることになった経緯を聞かせてください。

【今泉】TBSのプロデューサーから連絡をいただきました。僕は、自分が「面白い」と思えるかどうかを最初の判断基準にしていて、それから自分が適任なのかを考えるようにしているんです。原作漫画を読んで、日常の些細なことを積み重ねた物語の中で、ものすごく繊細な心理が緻密に描かれていることに驚きました。台詞の順番が1つ違ったら壊れてしまうようなやりとりがたくさんあって、心ひかれるものがありました。原作の空気感を大切にしながら実写化したら、面白いものができるんじゃないかと思いました。

ですが、原作の人気はもちろん、アニメ化もされていて、そのアニメもすごくヒットしているという中で、自分が適任なのか即答はできませんでした。でも、いただいた原作漫画を家に置いておいたら、僕の中学生と小学生の子どもたちが楽しそうに読んでいたんです。それが背中を押してくれた一つになりました。

――大人気コミックをドラマと映画で実写化するビッグプロジェクトですね。

【今泉】でも、そういう気負いはなかったんですよね。これまでの作品は浮気や不倫などを扱ったものが多く、「青春ラブコメディなんて新境地ですね」と言われることもあるんですけど、新しいことをやっている感じもなくて。むしろ正直で、不器用な人たちの恋愛という点では共通しているように思います。ちゃんとヒットするといいな、というのはもちろんありますけど。

――西片をいつもからかって楽しんでいる高木さん役を月島琉衣さん(15)、高木さんにいつもからかわれてしまう西片を黒川想矢さん(14)が演じたドラマ版は、どのシーンも原作にあるエピソードを彷彿とさせ、「2人とも漫画から飛び出してきたよう」「高木さんと西片の初々しい姿が本当にかわいい」などと好評のうちに最終回を迎えました。動画配信サービス「Netflix」で世界配信され、アジアの国や地域(香港、台湾、韓国、フィリピン)でも週間視聴ランキングでTOP10入りを果たすなど好評です。

【今泉】原作モノを映画化する時は、まず原作者と原作ファンが喜んでくれるものにしたい、というのは絶対条件。ただ一般論として、ドラマのメインキャストを中学生にするのは、知名度や芝居の部分でチャレンジングなことでもあるんです。とはいえ『からかい上手の高木さん』は中学校の同級生同士の物語ですし、それが魅力。ドラマ版の高木さんと西片のキャスティングは、原作の世界の空気を作り出せるかどうかに大きく関わる部分でもあったので、丁寧にオーディションを重ねていきました。その中で、月島さん、黒川さんに出会えたことは本当に良かったと思います。2人とも本当にフレッシュで素晴らしかった。

■小豆島の景色や空気に助けられました

――映画版は中学生時代から10年後を描いています。教育実習生として10年ぶりに母校に戻ってくる高木さんを永野芽郁さん(24)、体育教師として同校に勤務している西片を高橋文哉さん(23)が演じます。

【今泉】映画では、原作の関係のまま大人になった2人を描くのはどうかという話になりました。原作の高木さんと西片が結婚して、子どもがいる日常を描いた『からかい上手の(元)高木さん』というスピンオフ漫画があるので、2人が結ばれて幸せになった未来があることを前提に、そこに至るまでの2人の物語を、原作者と原作ファンの方々にも楽しんでもらえるよう、出版社の方も交えて丁寧に作っていきました。

キャスティングは、プロデューサーから永野さんと高橋さんの名前が挙がり、ぴったりだと思いました。実際、衣装合わせで初めてお会いして、これはもう間違いないなと思いましたし、2人が演じてくれたから成立したと言っても過言ではないくらいです。

24歳の女性ともなれば、大人の色気みたいなものが出てしまってもおかしくないのですが、永野さんはそれを絶妙な塩梅で演じてくれました。ご自身が持っている純粋さ、明るさ、快活さが生きていたと思います。それに、台本に「泣く」と書かれていない場面で、涙を流されたことがあって、高い演技の技術もお持ちですけど、相手と向き合ってちゃんと気持ちで演じてくれていることがわかって、すごくうれしかったです。

高橋さんも、難しい役だったと思うんです。からかいは一歩間違えると意地悪に見えてしまう。からかわれた側がどう反応するかで観客の受け止め方が大きく変わってくるんです。高橋さんはそこをちゃんと意識して、調整してくれていたように思います。からかわれるのは嫌だけど、高木さんにからかわれるのはうれしくもある、その辺りのバランスもすごく良かったですし、リュックを背負う動作一つをとってもからかいたくなるスキがあって、それがあざとく見えない。

先にドラマを撮影して、編集を終えていたので、映画版の撮影が始まる前に、中学生の高木さんと西片を見てもらったのですが、2人とも真似るわけではなく、「過去の自分はこんななのね」と理解して、ドラマと映画のつながりに違和感がないように演じてくれたこともありがたかったですね。

―─演出面でこだわったことは?

【今泉】僕は演出する際に、中学生だろうが大人だろうが、まずは何も言わずに1回お任せで演じてもらうんです。自分が想像していたものより面白い画が撮れる可能性を潰したくないから。永野さんも高橋さんもキャラクターをよく理解してくれていたし、お互いに相手に合わせる能力が高かったので、随分と助けられました。

――小豆島の美しい風景も見どころですね。

【今泉】原作では舞台がどこか、具体的に描かれていませんが、アニメ版の聖地でもあり、原作者の山本崇一朗さんの故郷ということもあり、小豆島で全編撮影することにしました。中学校をロケハンで訪れたら、教室の窓から海が見えて、ここ以外で撮る選択肢はないと思いましたね。夏休み期間にお借りすることができて、本当によかったです。学校に限らず、島の景色や空気に助けられました。こういう場所で育った2人なら、大人になってもあのピュアさでいられるのかも、と思ってもらえるんじゃないかと思います。

■身近にある小さな話こそ映画にする意味がある

――監督の原体験は?

【今泉】初めて映画館で映画を見たのは小学生の頃。一番古い記憶として残っているのは『ホーム・アローン』と『シザーハンズ』の2本立てです。『ホーム・アローン』はメインのお話も面白かったのですが、主人公が殺人鬼だと思い込んでいたおじいさんや、『ホーム・アローン2』に出てくる鳩おばさんのエピソードに感動して、めちゃくちゃ泣きながら映画を観終えたのを覚えています(笑)。ロビーで次回の上映を待つ親子連れの人たちが、子ども(=私)が泣いて出てきたことに戸惑っていた情景を覚えていて。「あれ?『ホーム・アローン』ってコメディだよね?」って。

その頃から、メインのドラマチックなストーリーに感動するというより、サブキャラクターの些細なエピソードにひかかれるところがあって。ベースがあまのじゃくと言いますか、すでに世の中にありふれているものは作りたくない、みたいな気持ちもすごくある。SF感動巨編よりも、映画の題材としては扱われないような小さな話に興味があるんです。

――それで、中学生の男女の「からかい」「からわかれ」というなにげない日常そのものである『からかい上手の高木さん』にもひかかれる部分があったんですね。

【今泉】そうですね。自分の近いところにありながら、自分では思いつかないものを描くことができました。

――映画監督になろうと思ったきっかけは?

【今泉】高校卒業後の進路を考える時に、大学に行ってまでいわゆる勉強はしたくないけど、就職もしたくない。唯一、興味があったのが映画でした。とはいえ、福島県郡山市で生まれ育ったので、地方の映画館は大作が中心でしたし、近所のレンタル店で借りて観るくらいで、映画オタクとかシネフィルって感じでもなかったんですが、芸術系の大学(名古屋市立大学芸術工学部視覚情報デザイン学科)に進学して、映画をつくりはじめたんです。

映画って総合芸術ともいわれるくらい、カメラマンや照明、美術、衣装やヘアメイクなどのスタッフと俳優と、みんなで力を合わせてつくるじゃないですか。それが良かった。自分には芸術的な才能があまりなかったので。美術の成績も5段階評価で2でしたし。でも、1回、がっつり挫折しているんです。卒業制作で作った映画の出来があまりにもひどくて、「映画監督は無理だ」と思ってあきらめて。吉本興業の養成所「NSC大阪」に1年間通ったんですけど、自分がやりたいのはお笑いじゃなくて、物語なんだなって気づかせてもらって。それで映画に戻ったんですけど。

――その後は、アルバイトをしながら自主映画をつくり続け、登竜門とされるコンペティション「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」に何度応募しても入選できず、それでも商業デビュー(2010年『たまの映画』)を果たして、PFFの最終審査の審査員をオファーされるまでになった。それを「最高の下克上」と言っていたのが印象的でした。

【今泉】まあ、冗談ですけどね。「PFF」には6回ぐらい出して、全部落ちました。映画祭なので入選するしないっていう当落はどうしてもありますが、映画そのものには正解があるわけでも、勝ち負けがあるわけでもない。ほかの監督の映画を観て、「悔しい」と思うこともありますけど、比べてもキリないしですしね。でも、応募して、感想などの意見をもらえたことは、今でもとても意味のあることだったと思います。映画祭に行って同世代の作家の映画を見たりすることも含めて、入選しなくても育ててもらった感覚はありますね。なので、PFFには感謝しかないです。

――2019年『愛がなんだ』が大ヒットを記録して以降、『アイネクライネナハトムジーク』(19年)、『mellow』(20年)、『his』(20年)、『あの頃。』(21年)、『街の上で』(21年)、『かそけきサンカヨウ』(21年)、『猫は逃げた』(22年)、『窓辺にて』(22)年、Netflix映画『ちひろさん』(23年)、『アンダーカレント』(23年)といった話題作で腕を振るってきました。成功の秘訣は何だったと思いますか?

【今泉】映画づくりをやめずにいたってことと、作りながら学んだことですかね。正直なところ、食べていけるようになったのは『愛がなんだ』の前後。まだ5年しか経っていない(笑)。2010年に商業映画デビューしてから、妻が家計を支えてくれました。収入がなくてもバイトすればいいか、という感覚だったので、良くも悪くもやめる覚悟は一切なかったですね(笑)。やりたくない企画を振られて、「お仕事」みたいなテンションで作ったことは一度もないですし。やるかやらないかはきちんと選んでます。面白くできないなら、やらない。フリーなので、つまらないものをつくるほうが怖いんです。次の話が来なくなるので。

――ドラマ『1122 いいふうふ』の世界配信も控えていますが、今後について何か考えていることは?

【今泉】身近にある小さな話をやりたい、という思いがずっとあって、そっちに向かっていくかもしれないですね。隣にいる人が今、本当に悩んでいることとか、抱えている問題とか。一人でも悩んでいる人がいたらそれはリアルだし、同じような悩みを持っている人がいるかもしれない。映画で描くことで救われることもあるかもしれない。そういう小さな話こそ映画にする意味があるのではないかと思っています。

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