【韓国の個人旅行ガイド】ソウル都心「景福宮」北西にある仁王山に登ってみることに。だが、登山道の入口が見つからない!?

ソウル都心部にある仁王山(イナンサン)。登山路を少し登ると、警告の看板が出てくる

5月の晴れた日、仁王山(イナンサン)に登ってみようと思った。仁王山は標高338.2メートルの山だ。

ソウル都心の山である。以前、景福宮(キョンポックン)を訪ねたとき、その広い境内に立ち、西側を眺めると、妙な形をした岩山が見えた。仁王山だった。教えてくれたのは隣にいたハン君だった。日本の大学に留学し、いまは韓国の日系企業で働いていた。

「留学で日本の大学に向かう前の日、仁王山に登りました。自分が生まれ育ったソウルを見ておきたかったからです」

ハン君はそういってちょっと笑った。その気持ちがよくわかった。僕も高校を卒業し、信州の松本を出る前の日、市内にある城山に登った。松本の街の眺めを心にとどめておきたかった? そんな大それたことではない。故郷を出ることを、街の眺めと一緒に確認したかった……そんなところだろうか。

山がある街に生まれ育った若者は、同じようなことをするような気がする。街を出るときは感傷的な思いに傾くものだ。ハン君はきっと日本の大学で頑張ったのだろう。いまの勤め先では重要なポストにいるらしい。

■ソウル都心にある仁王山、地下鉄の景福宮駅から山の登り口を目指すが……

地下鉄の景福宮でおりた。長い地下通路を歩いて外に出ると、右手に景福宮が見えた。レンタルの韓服をまとった人が多い。半分ぐらいは外国人だ。男性は比較的地味だが、女性の衣装はまるで結婚式のようにキラキラしている。イスラム系の女性は髪を覆うヒジャブをつけたまま韓服を着る。その姿で景服宮をバックに写真を撮って、インスタ……そんな世界が広がっていた。

景福宮。正面の光化門前は、韓服姿の外国人で埋まる

そのから仁王山の頂がかすかに見えた。その方向に向かって歩きはじめる。周囲には韓服のレンタルショップが並ぶ。2時間レンタル1万5000ウォン(約1万7000円)と看板を掲げる店が多い。

そこを抜けると社稷(サジッ)公園に出た。Googleマップを見ると、この公園の脇あたりから、仁王山の方向に道がのびている。しかし公園は大規模な修復工事がはじまっていて、塀に囲まれているエリアが多い。どうもはっきりしない。

山を見あげ、「この方向かな」と歩きはじめたのがいけなかった。住宅街に迷い込んでしまった。山に向けて坂道を登ったが、行き止まりになってしまうことが何回かあった。Googleマップを拡大して見るのだが、何本もの道が表示され、どれが登山路なのかわからない。30分近くうろうろしてしまった。

困って小型バスを待っていた中年女性に訊いた。彼女が親切だった。登山道が見えるところまで案内してくれた。登山道は車道の歩道で、膝への配慮か、弾力のある素材が敷かれていた。中年女性から、「この先にトラのモニュメントがあるから、そこを左に行け」といわれていた。

5月のソウルは爽快だ。しかし日射しはそこそこ強い。汗が滲んできた。登山客の姿も目にするようになった。ようやく仁王山の登山ルート……。ほっとした。

ようやくこの看板に出合った。市街の山は登り口探しが難しい

車道から石段道に入った。木立のなかに石段がつづいていた。傾斜はかなり急で息が切れる。10分ほど登っただろうか。急に視界が開けた。前方に修復された城壁が見える。登山道は城壁に沿ってつくられていて、そこを登る人の姿が小さく見える。仁王山の稜線は、かつて王朝を守るための城壁がつくられていた。

しかし右手を見ると、中型の拡声器がとりつけられていた。そこから左右に塀がのび、その前には黒いネットがかけられていた。

左手には警告看板があり、そこには軍事施設の撮影禁止という内容の表記が韓国語、英語、中国語で書かれていた。

「ここもそうだったのか」

調べると、仁王山に登ることができるようになったのは2007年からだった。1968年に北朝鮮による青瓦台襲撃未遂事件以来、入山が禁止されたのだ。いまでも軍事施設がある。

たしかにこの山は、官邸がある青瓦台に近い。山頂からは眼下のように見えるのかもしれない。

こんな市内に……。思い出す山歩きがあった。以前に北岳山と白岳山を歩いていた。この仁王山からそう遠くない。仁王山と同じ2007年に入山が許されていた。

北岳山エリアには、実際、北朝鮮の兵士が侵入した。青瓦台襲撃未遂事件である。登山道にはその弾痕が残る松もあった。各所に韓国軍の兵士の詰め所があり、銃をもった兵士が警備にあたっていた。緊張感があった。仁王山もそんな警戒エリアなのだろうか。(つづく)

© 株式会社双葉社