両国・浅草橋の街を支える老舗食堂3店。懐かしさと安らぎも味わいに

数年で入れ替わる飲食店が多い中、何十年も同じ場所で営業する店がある。
それは、味はもちろん、店主の人柄も愛されてきた証拠。
歩んできた歴史も垣間見える両国・浅草橋の食堂で「人情」も味わおう。

両国『下総屋(しもふさや)食堂』 昭和7年(1932)創業

「いろいろな人が来るから、食堂ってやっぱり楽しい」

「そんな面白い話なんてできないけど、どうぞ」と迎え入れてくれた女将の宮岡恵美子さん。

「いらっしゃーい」。

ガラス戸を開けると女将さんの元気な声が響く。声の主・宮岡恵美子さんはなんと御年91(2024年1月時点)。現在、息子さんと共にこの店を切り盛りしている。

旧安田庭園沿いに立つ。

昭和初期、宮岡さんの亡き夫の父が始めたという。戦時下は「外食券食堂」としても重宝された。食糧難で米が配給制となった時、単身者や外食機会の多い人に対して、米の替わりに「主要食糧選択購入切符(通称、外食券)」が交付され、その券が使えたのだ。

「労働者は大盛り、事務の人は普通盛りってご飯の量も決まってたのよ。お替わりなんて、もちろんなし」

戦後は一部の食堂が、都の指定により「民生食堂」に移行。低所得者が安く食事できる場として『下総屋食堂』も名を連ねた。今でもそのプレートが神棚の下、お総菜が並ぶショーケースに掛けられている。

そのショーケースに並ぶのは、かぼちゃの煮物、煮豆、おから煮、ほうれん草のおひたし……。
総菜は自分で棚から取る。サバのみそ煮を頼めば、鍋からよそってくれる。どこか郷愁をも感じる「昭和のおふくろの味」に、気持ちも温かくなってしまう。

おひたしやおから煮など、副菜系のお総菜は各200円。サバのみそ煮は300円。ごはんは大・中・小とあり、汁物は味噌汁と豚汁がある。
総菜は開店前に息子さんと全て仕込み、営業中は器に盛り付けるだけだそう。

テレビドラマなどのロケ地としても度々登場する。近年は「聖地巡礼」と称して“推し”が座った席で写真を撮る人や、インバウンドの旅行者も増えたそう。

「来てくれた人とね、いろいろな話をするのが楽しいわね。食堂をやってて良かったって思います。『昔、千葉に行く人はみんな両国で降りてたのよ』とか、戦時中の配給の話とか、若い人は驚きます。あとね、外国人のお客さんがきたら、この折り紙のツルや手裏剣をおみやげにあげるの。せっかく来てくれたからね」

おみやげに渡しているという折り紙。「大谷(翔平)さんの人気もあって、かぶとを持って行く人が多いね」。
恵美子さんが「かっこよかった」と話す亡き夫・昭馬さんの写真も飾られている。

今や遠い昔の話になってしまった戦中・戦後の日本。懐かしさを感じるご飯を食べながら当時の話も聞けて、お客との心温まる逸話にも感激。令和の今、これからも残っていてほしい、生き字引きのような店だ。

『下総屋食堂』店舗詳細

下総屋食堂(しもふさやしょくどう) 住所:東京都墨田区横網1-12 /営業時間:9:00~15:30/定休日:日/アクセス:JR総武線両国駅から徒歩4分

浅草橋『水新菜館(みずしんさいかん)』 明治30年(1897)創業

「私自身、まだまだお客さんの面倒を見たいんだよね」

店主の寺田規行さんは、どのテーブルでもお客さんとのコミュニケーションを忘れない。

蝶ネクタイにサスペンダー、カラフルなシャツに白いエプロン。店主・寺田規行さんのいでたちはかわいらしい。店内に入るとニコニコと「お待たせいたしました、そしてまずはお手を拝借!」とアルコールスプレーをシュッ。お茶目な接客でもうこの店のとりこになってしまう。11時半の開店時間には、外に行列ができている。それは名物のあんかけ焼きそばの人気だけではないだろう。

ほとんどのお客さんが頼む、あんかけ焼きそば900円。香ばしく焼いた麺にさっと油通しされた野菜などの具材があんと絡まっていて、無我夢中で食べてしまう。

明治後期、規行さんの曽祖父・新次郎さんが果物屋を開店。

「昔、フルーツのことを“水菓子”って言ってたでしょ。だからひいおじいさんは自分の名前を取って“水新”ってしたんだよ」。

当時はパーラーも併設し、洋食も食べられた。祖父・父の代に替わると、甘味処の体裁が強くなり、ラーメンや焼きそばなども出すようになった。

町中華となったのは、急逝した父の代わりに大学を卒業した規行さんが店を継いでから。ラーメンを生かしたメニュー構成として、料理店を意味する「菜館」という文字を屋号に付けた。人気メニューの広東麺が生まれたのはそれから間もなく。当時のコックによって考案された。あんかけ焼きそばが爆発的に人気になったのは、ここ10年ほどのこと。なんでも口コミから広がったそうだ。

次から次へと入るオーダーをキビキビさばく厨房。
エスビー食品から『水新菜館』の味を家庭で再現できる調味料も発売。

話を伺う中で、2024年3月をめどに一度店を閉めて建て替える、という話も飛び出した。1950年築の建物は、地下鉄浅草線の敷設工事の影響で地盤沈下が少しずつ進行し、店の傾きが顕著になってきたそうだ。

「息子も店をやっているから、いっそ、次は息子主体の店にしようかとも思うけど……、私ももう少し、お客さんの面倒をみたいとも思ってね、どうしよう」

規行さんが引退するなど、きっと常連客は認めない! だって規行さんとの会話も、この店の味の一つだから。

浅草橋エリアで行われたTシャツコンテストで優勝したオリジナルTシャツ。

『水新菜館』店舗詳細

水新菜館 住所:東京都台東区浅草橋2-1-1/営業時間:17:00~21:15LO/定休日:日、第2・4 土/アクセス:JR総武線・地下鉄浅草橋駅から徒歩3分

浅草橋『一新亭』 明治39年(1906)創業

「わざわざ来てくれたなら、一度に食べられた方がいいじゃない!」

店を切り盛りする秋山ファミリー。皆さん、柔和な物腰で優しい。

大きなのれんをくぐり、扉を開けるとこぢんまりとした店内。4人掛けのテーブル3席のみ。天井の見事なレリーフに思わず目がいってしまう。

「すごいでしょ、この天井、鉄板1枚でできてるんですよ。おじいさんが欧州航路船のコックで、西洋料理のフルコースの店として始めたもんで、以前はシャンデリアも付いてたんですよ」

と、店主の秋山武雄さん。明治後期、まだ珍しかった牛肉や牛乳を使った料理を振る舞う店として、当時は大店の旦那衆がひいきにしていたそう。店名も「一番新しいことをやろう」という思いで名付けられた。戦後、父の代になり、メニューはフルコースをやめて、カツライスやオムライス、ハヤシライスをメインに。ものづくりの街として栄えた界隈で住み込む仕立て職人などのおなかも満たしたという。

出前を行っていた頃に使っていた木製のおかもち。今では見ない貴重な品だ。

高度経済成長、3代目を継いだ武雄さん。オムライスがメインとなったのはここ30年ほど。
名物・三色ライスは、オムライス、カレー、ハヤシライスを一皿で楽しめるメニューだが、誕生のきっかけが優しい。

見事に三色に分けられた三色ライスはおみそ汁とお新香がついて1350円。人気No.1メニュー。

「1999年頃、漫画でハヤシライスを取材されたんです。その漫画を買ってこの店に食べに来るとオリジナルのスプーンがもらえる、という特典があり、スプーン欲しさに北海道や沖縄からお客さんが来てくれました。そして『次はオムライスを食べます』『今度カレーをいただきます』って言われてね。だったら一度に全部食べられた方がいいじゃない!」

ただの欲張りメニューではなく、お客さんを思う気持ちの賜物だったのだ。

厨房で鍋を振るう武雄さん。一緒に働く娘さんは「夏は冷房もないから心配」と話す。

武雄さんには写真家という顔がある。今まで撮りためた写真は27万7000カット! 東京の街並みや何気ない日常が収められた写真は味わい深い。

お客さんに対する心遣いも、写真で切り取られた画角にも、温かい優しさをつぶさに感じることができる。

店内に飾られた武雄さんの作品。都電と行商の女性が切り取られている。

『一新亭』店舗詳細

一新亭 住所:東京都台東区浅草橋3-12-6/営業時間:11:30~14:30/定休日:土・日・祝/アクセス:JR総武線・地下鉄浅草線浅草橋駅から徒歩7分

取材・文=別役ちひろ 撮影=新谷敏司
『散歩の達人』2024年2月号

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