『マッドマックス:フュリオサ』フュリオサの瞳、孤高のシルエット

『マッドマックス:フュリオサ』のあらすじ

世界崩壊から45年。バイカー軍団に連れ去られ、故郷や家族、人生のすべてを奪われた若きフュリオサ。改造バイクで絶叫するディメンタス将軍と、鉄壁の要塞を牛耳るイモータン・ジョーが覇権を争うMADな世界〈マッドワールド〉と対峙する!怒りの戦士フュリオサよ、復讐のエンジンを鳴らせ!

バンドの再結成


『マッドマックス:フュリオサ』(24)は獰猛なエンジン音から始まる。けたたましいエンジン音は「ロックンロール!」という言葉の代わりだ。史上最凶バンドの再結成を祝福するような轟音が劇場を震わせる。完全なるマスターピースといって何ら誇張のない前作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(15)。この作品を見たスティーブン・ソダーバーグ監督は次のような言葉で称賛している。「100人もの人が死んでいないことが理解できない」。

そう、あの映画はまったくもってクレイジーな傑作だった。疾走、追跡、激走!『マッドマックス』のテーマである“スピードと暴力”をとことん先鋭化させた狂気の世界。その中心にいる怒りの女戦士フュリオサ。火だるまになって体ごと突進していく21世紀のジャンヌダルクのようなシャーリーズ・セロン。彼女の気迫に満ちた演技は、歴史的なキャラクターを作り上げた。

『マッドマックス:フュリオサ』(C) 2024 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved. IMAXR is a registered trademark of IMAX Corporation. Dolby Cinema is a registered trademark of Dolby Laboratories.

怒りのデス・ロード』につながっていくフュリオサの前日譚は、前作のクレイジーなアクションやトーンを踏襲しつつ、ときにクラシックに、ときに神話のように、物語に重厚さを加えていく。この前日譚はまったく期待を裏切らない。ここには激しさがある。前作におけるフュリオサの地面に膝をついた“叫び”が正しく継承されている。シャーリーズ・セロンが即興で演じたあの“叫び”は、フュリオサのイメージを象徴するシーンとなった。

本作にはフュリオサがフュリオサになるまで、フュリオサが涙を捨てるまでの経緯が描かれている。台詞の数はわずか30行。若きフュリオサを演じたアニャ・テイラー=ジョイは、瞳の演技でこの難役に見事に応えている。フュリオサ=アニャ・テイラー=ジョイの瞳の奥には、ハッキリと前作と同様の怒りと激しさが認められる。その意味で本作は“フュリオサの瞳の映画”といえる。物語はフュリオサの故郷から始まる。やがて汚染によって破壊されてしまう故郷。前作でフュリオサが叫ぶ原因になった楽園「緑の地(グリーン・プレイス)」。

(再)開拓史としてのマッドマックス


『フュリオサ』の物語の大枠は、前作を撮る段階で既に出来上がっていたという。シャーリーズ・セロンにキャラクターへの理解を深めてもらうために用意された物語。この物語を読んだシャーリーズ・セロンは、「この物語を先に撮ろう」とジョージ・ミラー監督に提案している。そのときジョージ・ミラーは、フュリオサの物語自体に抗いがたい“強さ”があることを思い知ったという。こういった偶然性のある逸話は、『マッドマックス』シリーズの誕生とも大きく重なっている。

マッドマックス』(79)が評価を得たとき、ジョージ・ミラーは自分の作品が無意識にアメリカの西部劇の原風景に足を踏み入れてしまったことに気づかされたという。フランスでは“車輪のついた西部劇”と評された。ジョージ・ミラーはこういった外側からの思いがけない反響を作品に投影させ、製作への強い動機を獲得していく。『フュリオサ』で初めて描かれる多くの女性たちが存在する楽園「緑の地」において、女性たちは馬に乗って移動している。西部劇の原風景のような世界。このシーンは映画を撮る動機の原点に立ち返ったジョージ・ミラーの宣言のようにも思える。再びここから始めるのだと。馬に乗った女性=フュリオサの母メリー・ジャバサ(チャーリー・フレイザー)が砂漠を突き進む。その凛々しく勇ましいイメージ。開拓地におけるこのイメージが、フュリオサという孤高の戦士が誕生する伏線になっている。

『マッドマックス:フュリオサ』(C) 2024 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved. IMAXR is a registered trademark of IMAX Corporation. Dolby Cinema is a registered trademark of Dolby Laboratories.

ジョージ・ミラーの映画においては、アクションがキャラクターを作る。『マッドマックス』シリーズでは、車やバイク、マシーンそのものが生き物のようであり、マシーンがキャラクターを作っていく。前進に次ぐ前進。後戻りはない。そして突き進んでいくマシーンは戦いによって少しずつ破損、消耗していく。フュリオサ自身も同じだ。フュリオサはいわばマシーンであり、マシーンは傷だらけになりながら目的に向かって突き進んでいく。

幼いフュリオサを誘拐するディメンタスを演じるクリス・ヘムズワースは、用意された脚本が通常の脚本とはまったく違うことに驚く。ジョージ・ミラーの脚本は、どのように撮るかという情報や絵コンテで埋め尽くされていたという。この脚本の書き方には、ジョージ・ミラーのキャラクターへの哲学がダイレクトに投影されているのだろう。それでもクリス・ヘムズワースは、ディメンタスというキャラクターの解釈に悩んでいたという。たしかにディメンタスという破壊的なキャラクターは狂っているのか、それとも狂ったふりをした道化なのか分からないところがある。おそらくその両方が正しい。そこでジョージ・ミラーは、クリス・ヘムズワースにディメンタスになりきって日記を書くことを勧める。そしてディメンタスの“声”を獲得することに成功する。『フュリオサ』を体験したオーディエンスは、ディメンタスの声、話し方の抑揚を忘れられなくなる。フュリオサにとっては、ディメンタスの“声”がトラウマとなる。アクションと同じように、“声”がディメンタスというキャラクターを作りあげている。

明晰なアクション


どうやったらこのような破天荒なアクションを組み立てることができるのか?という質問に対して、親指をサムズアップさせ、単純明快な説明をしている。オーディエンスの視点を一点に集中させることだと。ジョージ・ミラーの映画にはアクションの明晰さがある。フュリオサが巨大なウォータンクに潜伏する長く熱狂的なアクションシーンは前作を彷彿させる。このアクションシーンにおけるフュリオサの画面への収まり方は、アニャ・テイラー=ジョイの持つ往年のハリウッドスターのような雰囲気が相乗効果となり、非常に端正、かつクラシックな映画を見ているような感動を覚える。ジョージ・ミラーは、ケヴィン・ブラウンローの書いた「サイレント映画の黄金時代」に強い影響を受けたことを度々語っているが、このシーンにはまさにサイレント映画のような明快さがある。複雑なアクションであるにも関わらず、オーディエンスの視点を一点に集中させることで、奇跡的な単純さを獲得している。

この熱狂的なアクションシーンで、フュリオサはマックスを彷彿とさせる警護隊長ジャック(トム・バーク)と出会う。フュリオサは危機に瀕した際の判断の正確さを買われ、ジャックから戦い方のすべてを教わる。決してフュリオサの過去を聞こうとしない寡黙なジャックには、アンチヒーローのカッコよさがある。本シリーズ最初の作品『マッドマックス』において、スピードに憑かれたマックスは、警官のバッジが付いてなければ自分も暴走族と何ら変わらないと語っている。このシリーズのキャラクターがとても魅力的なのは、置かれている状況によって正義と悪の境界に揺さぶりがかけられるところだろう。

『マッドマックス:フュリオサ』(C) 2024 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved. IMAXR is a registered trademark of IMAX Corporation. Dolby Cinema is a registered trademark of Dolby Laboratories.

たとえばディメンタスは同情の余地がない悪であり、フュリオサのすべての憎しみの対象だ。しかしフュリオサには、ディメンタスを潜在的な“父”とする意識が読み取れる。そしてディメンタスはフュリオサに自身の姿を重ねている。闇落ちした同志のように。当然ながらフュリオサがそれを認めることはない。

星と共にあれ、魂と共にあれ


フュリオサはディメンタスによってトラウマを植え付けられていく。ディメンタスは処刑の場面にフュリオサを立ち会わせていく。世界のすべての残酷さを目撃せよ、と言わんばかりに。少女の網膜に張りついたトラウマが、フュリオサというキャラクターを形成していく。ここには『フュリオサ』がディメンタスという“父殺し”の旅に出なければならない理由がある。フュリオサの戦いとは、殺された母親と自分の少女時代を奪還するための戦いだ。

『マッドマックス:フュリオサ』(C) 2024 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved. IMAXR is a registered trademark of IMAX Corporation. Dolby Cinema is a registered trademark of Dolby Laboratories.

フュリオサの母メリー・ジャバサが属する一族の間では、「星と共にあれ」という呪文のような言葉をささやき合う。この言葉は前作のウォーボーイズの一人ニュークス(ニコラス・ホルト)が、砦(シタデル)の支配者イモータン・ジョーへの忠誠心として唱えた「魂と共にあれ」という台詞と言葉の上で韻を踏みつつ、まったく異なる広がりを響かせている。ニュークスによる「魂と共にあれ」は、イモータン・ジョーへの忠誠心によって生まれ変わることができるという、教祖への自己犠牲的な信仰だ。しかしメリー・ジャバサやフュリオサたちによる「星と共にあれ」には特定の教祖はいない。その言葉は自分たちの属する共同体への連帯の言葉として投げかけられる。この世においてもあの世においても、それぞれが自立した星としてあり続けることを願う、祈りの言葉のようなニュアンスを感じる。黙示録後の荒廃した世界を描く本シリーズにおいて、その言葉の持つ透き通った切実さが胸を打つ。

片腕の戦士フュリオサが砂丘の上に立つシルエットを忘れることはないだろう。そこには自立した星として生きることを選んだフュリオサの孤高の怒りと悲しみが滲んでいるのだ。

文:宮代大嗣(maplecat-eve)

映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。

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『マッドマックス:フュリオサ』

大ヒット上映中

配給:ワーナー・ブラザース映画

(C) 2024 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.

IMAXR is a registered trademark of IMAX Corporation.

Dolby Cinema is a registered trademark of Dolby Laboratories.

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