東京再発見 第21章 路地裏にひっそりと・谷根千の井戸~台東区谷中・池之端、文京区千駄木~

上野台地と本郷台地のはざまに、町歩きで有名となった「谷根千」は位置する。そこを貫く不忍通りは、谷底にあたる。北区王子で石神井川が分岐する。そして、谷田川や藍染川といった小さな川が不忍池まで伸びている。現在は暗きょとなっているが、くねくねと曲がった「へび道」などがその名残だ。

谷根千の町歩きは、戦争時に被災をしなかった古民家やその周辺の古い町並みが中心と言われる。また、昨今では、小洒落た食べ物屋さんや小物などを販売する店舗を巡ることが主流となった。その反面、この地域の寛永寺から広がる寺町を巡る観光客は、少なくなってきている。

かつて、この谷の上下に約50もの井戸があった。そして、これらの井戸が周辺住民の生活を支えていたのだ。現在でも15か所ほどが現役と言われているが、一部は個人宅内にあるため、正確な数はわからない。

こどもの頃、迷路のような路地裏に長屋が建ち並んでいた。アスファルトも張られていない土と砂利の小径に共同の井戸が存在していた。かくれんぼをしたり、井戸の水を汲みあげたり、楽しい遊び場であったと記憶している。

今回は、代表的な谷根千の井戸を紹介することとしたい。

須藤公園の井戸(千駄木)

須藤公園の中にある井戸

東京メトロ千駄木駅から谷上のお屋敷町に向かう途中に回遊式の日本庭園がある。

加賀藩支藩の大聖寺藩屋敷跡。その後、政治家・品川弥二郎の邸宅となった。そして、1889年、実業家・須藤吉左衛門が買取。1933年、東京市に寄付された。約10mの落差がある須藤の滝からの水が流れ込む池には、美しい藤棚も設けられている。閑静な住宅街の真ん中にあることから、近所の人の抜け道にもなっている。

その公園の端に井戸が1基置かれている。飲むことはできないが、防火用として設置されているもので、比較的新しい井戸である。

御厩長屋の井戸(おんまながや:池之端)

現在は、池之端の地名だが、元は谷中清水町。古くはNHKの「おしん」の撮影にも使われた。

御厩長屋の個人所有の井戸

元大河内子爵(その前は松平伊豆守)邸内の家臣用長屋に置かれた井戸がある。1基は個人宅内にあったが、建物は既に取り壊し。もう1基は、向かい合わせの長屋の真ん中に鎮座している。こちらは、数軒の住民が共同管理をしているという。一か月ごとの当番で、周辺の清掃と井戸を濾す布を取り替えている。

谷根千の井戸の中でも一番有名なものである。

谷中の谷上、三崎坂を降りたところから井戸を探すのは、小さな道を下ってくるのだが、途中クランク状の坂道となっており、この先に井戸が・・・と疑ってしまう。また、不忍通り側からも細い道を右往左往しながら探さねばならないという場所だ。

冒頭の見出し画像は、2024年2月のもの。井戸の部分の塗装が新しくなっていた。大切に後世に残そうとしている気持ちを感じる。

御厩長屋の共同管理の井戸(左は2018年11月、右は2024年2月)## N家所有の井戸(谷中)

第1章で紹介した「ヒマラヤ杉」、みかどパンの裏手を進む。すると、黒板塀の民家の三差路を曲がって少しすると石段がある。

N家個人所有の井戸

その左手に個人所有の井戸が置かれている。トタン屋根で覆われ、向かい側の民家が取り壊され、更地となっている。

そして、そのまま道なりに進むと玉林寺の境内に行きつく。ここはもう、三崎坂に面しているお寺だ。しかし、三崎坂方面から井戸に行き着こうと思うと、境内の先を抜けるのには、少しばかり勇気がいる。

こちらも、個人所有ゆえ、きちんと整備された井戸である。

天王寺境内の井戸(谷中)

天王寺境内にある井戸

元は日蓮宗寺院であった天王寺。法華信者以外からは布施を受けず、また他宗派の僧には布施を施さない不受不施派に属していた。そのため、江戸幕府より邪宗として改宗を命ぜられた。しかし、東叡山輪王寺が、由緒ある当山が廃寺となるのを惜しんだ。そして、天台宗寺院として存続することを幕府に説き認められる。

本尊は明治になって阿弥陀如来坐像に変わったが、古くから本尊であった毘沙門天は、江戸の昔より谷中七福神の1つとして篤い信仰を集めた。また、元禄13年(1700)には、毘沙門天の十種福の縁由によって、寺門維持のため幕府から富くじの興行を許された。「江戸の三富」は、目黒不動・湯島天神である。

このように由緒正しい天王寺の境内にも井戸が置かれている。こちらもやはり飲むことができなく、ほぼ使われていないが、春になると井戸の上に枝垂桜が咲き、優雅に時間を過ごすことができる。

本来の町歩きに原点回帰する時

谷中銀座から「よみせ通り」を抜け、「へび道」を食べ歩きしながら散策する。今では、これを「表」の谷根千巡りとする人々が増えている。一方、神社仏閣や井戸などを巡るのは、「裏」になってしまった。どちらが本流なのか、本来は後者であったと思うが、仕方ないことだろうか。

谷根千では昨今、食べ歩きしたゴミを放置されることが少なくない。また、小さな道を横一列に歩き、あわや交通事故という事例も少なくない。地域住民にとっては、マイナスのことばかりである。それ故、古くからの住民が谷根千から離れていくという話も聞くようになった。

地域住民との合意形成、「郷に入っては郷に従う」ということを、もう一度見直す時期なのかもしれない。原点回帰し、長く後世につなげる町歩きに再生する必要があると感じる。

この現役の井戸の姿を見ていると生活の匂いがする。それは、昭和の時代に一気にタイムリープしたような気がする瞬間である。大切に残してきたものだから、これからも大事にしなければならない。

また今日も、ここでは井戸端会議が行われているのだろうか・・・。

(これまでの特集記事は、こちらから)

取材・撮影 中村 修(なかむら・おさむ) ㈱ツーリンクス 取締役事業本部長

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