雲仙・普賢岳大火砕流から33年 島原市内で追悼行事 防災誓い、鎮魂の祈り 長崎

鎮魂の祈りを込めて約1300本のキャンドルに明かりがともされた。後方は平成新山=3日午後7時56分、島原市の雲仙岳災害記念館

 消防団員や住民、報道関係者ら43人が犠牲となった雲仙・普賢岳の大火砕流惨事から3日で33年となった。被災地の長崎県島原市では、遺族や市民らが鎮魂の祈りをささげた。能登半島地震をはじめ各地で災害が相次ぐ中、防災の誓いを新たにした。
 火砕流や土石流で大きな被害を受けた安中地区の住民が集団移転した仁田団地の第一公園では、犠牲者の名前を刻んだ追悼碑の前に市が献花所を設けた。
 古川隆三郎市長は「今は平穏だが、またいつ噴火するか分からない。自然災害が頻発している。教訓を次世代へ伝えなければいけない」と強調した。
 市消防団が建立した平成町の「消防殉難者慰霊碑」にも遺族らが献花した。
 金子宗弘団長(63)は「あれからもう33年になった。20代の団員も増えているが、災害が風化しないよう継承し、地域を守っていくのがわれわれの務めだ」と述べた。
 大火砕流が発生した午後4時8分、犠牲者を悼むサイレンが鳴り、市民らが黙とう。消防団員詰め所だった北上木場農業研修所跡では慰霊の鐘が鳴り響き、普賢岳の噴火活動で形成された「平成新山」に向かって遺族らが手を合わせた。
 雲仙岳災害記念館では夜に追悼行事「いのりの灯(ともしび)」があった。島原半島の小中学生らが絵やメッセージを描いて手作りした約1300本のキャンドルに明かりがともされた。

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