小説家・原田ひ香 × 料理家・SHIORI 対談 「自分が食べたいものを自分で作れるのはとても幸せ」

『三千円の使いかた』(中央公論新社)や『ランチ酒』(祥伝社)などの人気作で知られる作家・原田ひ香の最新作『定食屋「雑」』(双葉社)は、丁寧な暮らしを心がける主婦の沙也加がある日、突然夫から離婚を切り出され、夫が通う定食屋「雑」を偵察することから幕を開ける物語だ。定食屋を切り盛りする老女“ぞうさん”との交流を描いた人間ドラマとしての側面はもちろん、簡単でつい真似したくなるような料理テクニックが描かれるグルメ小説としての側面も大きな読みどころだ。

リアルサウンド ブックでは、『作ってあげたい彼ごはん』(宝島社)などのベストセラーで知られ、2023年には自らの仕事術をまとめた『おいしい仕事術』(小学館)を刊行した料理家のSHIORIをゲストに招き、原田ひ香との対談を実現。料理、仕事、家庭の事情など、さまざまなテーマで話し合った。(編集部)

■振り返ると、自分の運命に乗ってみるのも良い

SHIORI:『定食屋「雑」』(双葉社)を読ませていただきました。美味しそうなご飯の描写がたくさんありますが、私の場合は食べたくなるというより、作る欲を掻き立てられてしまって(笑)。ページを折っているところを見返したら全部下ごしらえでした。

原田ひ香(以下、原田):ありがとうございます。下ごしらえが気になるのは、職業柄ですか(笑)。

SHIORI:料理人としては、「雑」の店主・ぞうさん(みさえ)の大雑把だけど、手を抜かないところは抜かない、その塩梅も魅力的だなと思いましたね。それに、ぞうさんと沙也加がつながりを持つことで、お互いに成長していくこと。互いの価値観を受け入れて、許し合い、つながっていけるというやりとりも、心地良く、温かな読後感がありました。

原田:SHIORIさんのベストセラーの『作ってあげたい彼ごはん』は、もちろん私も購入させてもらいました。コンビニで売っているってすごいことですよね。しかも、累計400万部って! 代官山に教室を持たれていたんですね。私も以前、近くに住んでいたので、どこかでお会いしていたかも。

SHIORI:え! あの八百屋さん行きます? 業務スーパーとか図書館とか(※しばし地元トーク)

原田:私はSHIORIさんの『おいしい仕事術 ~料理で幸せを届け続けてたどり着いた~』を読ませていただいて、SHIORIさんがコロナ禍でインスタライブやYouTubeを始められたこと、ご苦労されたことなどを知りました。私も『定食屋「雑」』を書いたのはコロナの最中で、飲食店の方が大変だったのは知っていましたが、SHIORIさんの場合はその経験がさらに仕事を大きく豊かにされたんだな、すごく良いなと思いました。

SHIORI:私の場合、家庭の事情(息子が先天性難聴で療育が必要)も重なって仕事の仕方が大きく変わったんですけど、世間的にはコロナで食の2極化が進んだと思うんですよ。時間ができたから、料理や暮らし、家族時間を楽しむ人と、家族みんなが家にいることでギクシャクしてしまう、毎日3食の支度もしんどい方向に行っちゃう人と。SNSでも明暗が分かれていることを感じていたので、苦しい思いをしている人に私ができることがあれば、料理の力で少しでも気持ちを前向きにしてあげられたらという思いから、アクセルを踏んだ記憶があります。

原田:私は料理の素人ですけど、好きになったきっかけは、20代最後の頃に料理家の飛田和緒さんのところに習いに行っていたことだったんです。当時、飛田先生がご近所に住んでいらっしゃって、おうちで料理教室をされていて。当時のメモを見返すと、先生は「外でいくらでも美味しいものを食べられるから、おうちでは野菜を中心に簡単に作れる美味しいものを食べましょう」みたいなことをおっしゃっていました。でも、その料理も、時短の簡単料理の多い今見ると、それほど簡単ではなくて。私の30代くらいの頃は、料理研究家ブームで、たくさん料理本が出ていて、その後クックパッドが出て、それが料理レシピの最終形かと思ったら、今度はTwitter(現X)やブログとかで料理を発表される方が出てきて、さらにYouTubeの動画が出てきて。もしかしたらまだまだこれから先も料理の情報には新しい形が出てくるんじゃないかと楽しみになります。SHORIさんも料理の発表の仕方をどんどん変えてこられていますよね。

SHORI:私自身が飽きっぽいこともあるんですけど、1番は人に喜んでもらいたい、料理の楽しさを伝えたいという気持ちが原動力だからなんですね。1つのことに集中する性格なので、20歳から30歳くらいまでは出版で、29歳のときにキッチンスタジオを作って、対面の料理教室を6年やって、やりきったなと思うと、違うことを始めようかなという直感が降りてくるんですよね。その直感に任せて、次に100%ビーガンのお店を中目黒で始めて、料理教室もオンラインに切り替えて。自分自身の興味関心の変化もありますが、世の中の動き・需要をキャッチして変えていく、集中してやりきったら次に行くの繰り返しでした。

原田:私の場合、夫が転勤族で、結婚して半年ぐらいで北海道の帯広に行ったんです。1年の半分ぐらいは雪で閉ざされているような場所に住んで、それで何か書いてみようと思って書いたものが、たまたまシナリオの賞の最終選考に残って。その後、テレビ局からご連絡をいただいて、シナリオの仕事をしたんですが、そのときすでに35歳を過ぎていたので、若い方の多いテレビ業界でずっとやっていくのは厳しいと思い、小説に切り替えました。振り返ると、自分の運命に乗ってみるのも良いなと思うんですよね。SHIORIさんもある意味、運命に乗ってきて成功された方だと思いますが、逆に後悔したことはありますか。

SHIORI:後悔はないですね。心配性なところもあるんですが、自分の中で迷いがないときに飛び込むので。自分迷いがあるうちは、人の心は動かせないと思うんですよ。確固たる自信や覚悟がないと始めちゃいけないと思って突き進んでいるので、失敗してもたぶん後悔はしないと思います。

■自分が食べたいものを自分で作れるって、こんなに幸福なことはない

原田:SHIORIさんにはちょっと起業家みたいなメンタルがありますよね。元気がないとき、疲れたときに食べるものって何かありますか。

SHIORI:決まったものはないですが、パワーの源はやっぱり食と睡眠ですね。

原田:私の場合、元気を出したいときには焼肉で、疲れたときにはにゅうめんかな。あったかいおそうめんに卵をたっぷり入れるか、入れないでただネギだけでサラサラといくか、おつゆも和風が普通だけど、中華風にしてもいいし。そんな感じで、食べたいときに自分が食べたいものを作ります。これって、主婦、家事を担う人の特権でもあると思うんですよ。ときには作るのが面倒くさいときや疲れていて何も作りたくないときもあるけど、自分がそのとき食べたいのが餃子だったら、餃子がぷっくりしたお肉いっぱいの餃子なのか、野菜たっぷりなのかとか、細かい部分も含めて自分で決められる。女の人が長生きするのはストレスが少ないからと一説では言われているそうですが、ひょっとして自分が食べたいモノを好きなときに自分で作れることもあるんじゃないかと思いました。

SHIORI:私も生徒さんに自分が食べたいものを自分で作れるって、こんなに幸福なことはないですよと伝えています。料理教室でもたまにタコスやちまき、手打ちパスタなどを作るんですが、正直、作れなくても人生なんら問題はない。でも、いつもは買ったり外食で食べるのが当たり前だったものを自分でも作れる喜びや、そうして自分が作ったものを誰かと一緒に食べる楽しみが得られ、人生が豊かになると力説しています。

原田:1週間ぐらい前にイチゴジャムを作ったんですけど、激安の八百屋さんで1箱にしようか2箱か迷って見ていたら、たぶん私と同じことを考えてイチゴを見ているおばあさんと目が合っちゃって。それで、「いちごジャムにするんですか」「美味しいわよね」「1箱にするか迷う」「最後にレモン入れると美味しい」なんてやりとりをしました。ホームベーカリーで手作りパンを作って、イチゴジャムたっぷりとバターをのせて食べました。美味しいし、お話ししたのも楽しかったし、豊かな気持ちになりました。

SHIORI:ひと手間加えることも、豊かさですよね。私の場合、水気にはうるさいんです。水気を残したまま料理すると、そこから水分がどんどん出て、全体が水っぽくなってしまい、味もぼやける。だから水気はしっかりとります。サラダもスピナーで水気を切って、食べる少し前に冷蔵庫で冷やすだけでパリッとした葉物の美味しさは全然違いますから。魚とか肉なら、水分をしっかりとると、臭みも取れるし。あとは下味ですね。『定食屋「雑」』のぞうさんは揚げ物のバッター液に塩コショウしないですよね。素材に下味をつけず、液体に塩を入れてしまうと、結構な量の塩が必要になって、それでも味はぼやけてしまう。そうした私が常日頃考えているこだわりと、ぞうさんのひと手間が共通していて、シンパシーを感じました。

原田:簡単料理も、昨年くらいに簡単の底が抜けて、今は少し揺り戻しが起こっているんじゃないかな、と思います。ひと手間の良さは広がっていくんじゃないかなと。

■日本の誇るべき食文化を受け継いで、大切に守っていきたい

SHIORI:その一方で、私が危機感を覚えるのは、まだまだコスパタイパみたいなものに引っ張られ続けるんじゃないかということですね。日本の伝統料理がどんどん失われている中で、例えばおせちを食べない、作れない方が増えていて、おせち離れが深刻化していると感じるので、私たち30代40代が日本の誇るべき食文化を受け継いで、大切に守っていきたいという思いはあります。『定食屋「雑」』の中にもおせちが登場していたのが印象的でした。

原田:私も、子どもの頃はおせちではきんとんしか食べるものがないと思っていたんですけど、今はどれも好きで、お正月はおせちを食べながら日本酒飲むのが楽しみなんですよ。伝統文化で言うと、ご縁があって全国漬物コンテストグランプリの審査員をやらせてもらっているんですが、お漬物がだんだん少なくなってきている中で、今年は農業科や栄養食品科などから中高生・大学生からの応募がたくさんあったのは嬉しかったですね。漬物は塩分が多いとよく言われるけど、野菜とカリウムを一緒にとるから、塩分は排出されるし、ラーメンやお蕎麦に比べると、実は塩分は少なめだそうです。漬物とも大切な文化として残していけたらいいなと思います。

SHIORI:私の場合、「また食べたい」と、自分も相手も思える味を作ることを大切にしています。それは奇抜なものじゃなく、定番料理で。定番料理はみんな食べ慣れているから、正直、味の想像がつくじゃないですか。だから、感動ってあまりないと思うんですが、例えば唐揚げなら、自分がイメージした唐揚げを超えてきたときに感動が生まれると思うんですね。ぞうさんの唐揚げも、よくある調味料だけで作っているけど、衣の付け方のこだわりがやみつきになって、また食べたいとみんなが思う。そういうことだと思うんです。定番料理でもどこか光るものがある、記憶に残るレシピを目指して作っています。

原田:私は、最近忙しくて疲れてイライラしてすることもあるので、美味しいものは作りつつ、不機嫌にならないようになりたいと思っています。今後の人生を考える上でも、自分の中で、ここまではできる、ここからはできないみたいな線引きをちゃんとして、料理も頑張りすぎないでやっていくことを考えていきたいですね。

(文=田幸和歌子)

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