仕事で悩む若者は適応障害なのか 【第3回】“若者”と働いて気付いた…「働くこと」について考える必要性

第1章 それは適応障害なのか

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年寄りの感想もしくは愚痴

笑い話ではありませんが、入社後の研修で課題を伝え指定時間が過ぎたので行ってみると、できていない。どうしてできていないのか聞くと「ちゃんと教えてもらわなかったので、できませんでした」と答える。「ボク、ほめられて伸びるタイプなんです」と、今のところ何ひとつほめるところはないのに先手を打つ。

そうかと思うと、何か言ってもすぐ怒る、不機嫌になる、権利は行使する(行使してもいいのだけれど)。急病などでなく突発休(突然当日になって休むこと)を出しても「年休は権利ですよね」。お金にもはっきりしている(いや、いいのだけれど)。「〇月〇日からバス代が10円上がりますが、いつお給料に反映されますか?」。仕事の内容というよりも、働くことに対する自分の感情や損得に敏感な感じがします。

大きく分けると、思っていることや意見がなかなか言えず周りを気にするセンシティブなタイプと、はっきりモノを言って周りを気にしないアグレッシブなタイプに分かれるかもしれません。どちらにしても仕事に適応できない要素を含んでおり、年寄りからすると(いやーいいんだけどねー)と思いつつ、よく理解できない事態です。

いつの時代も年寄りは「今の若いモンは~」と文句を言います。しかしどうもその感触は少しずつ違ってきているようで、仕事をする姿勢というよりも仕事をする人自体のカラーが違うようです。センシティブなタイプにもアグレッシブなタイプにも共通しているのは、仕事そのものに対する反応ではないということです。

「若いのに仕事のやり方に文句を言う」とか「自分の考えを主張する」とか、言い方が悪いとか割り切りが早いとか仕事をきっちりしないとかPCの使い方で年寄りをバカにするとかではないのです。

仕事の内容というよりも、どうも仕事をすることで、自分の内側にもたらされる反応によって左右されているという感じです。そのため年寄りはよくわからないのです。感触としては、仕事以前のことのようです。

そうは言っても、若者が一方的に悪い、おかしいということでもありません。確かに現在は労働環境も悪くなっているのでしょう。働き方改革などで何とかよくしようとしているのでしょうが、経済成長も頭打ちですし、労働人口も減ってきており、昔のように丁寧に教えてもらえないまま現場に出されることもあるでしょう。

非正規社員はつらいし、かといって正社員も何でもしなければならずつらい。労働時間も思うように短くならないしお給料も上がらない。若者はそんな中に放り投げられたようなものです。働くことがすべてであったような時代がよかったということでは決してありませんし、もうそんな時代は来ないでしょう。今後の経済や労働環境、社会もどうなるかわかりません。

しかし少なくとも、働くことは人間から切り離せません。これからは働くことそのものについて考えていかないといけないのかもしれません。

笑い話ではありませんが、入社後の研修で課題を伝え指定時間が過ぎたので行ってみると、できていない。どうしてできていないのか聞くと「ちゃんと教えてもらわなかったので、できませんでした」と答える。「ボク、ほめられて伸びるタイプなんです」と、今のところ何ひとつほめるところはないのに先手を打つ。

そうかと思うと、何か言ってもすぐ怒る、不機嫌になる、権利は行使する(行使してもいいのだけれど)。急病などでなく突発休(突然当日になって休むこと)を出しても「年休は権利ですよね」。お金にもはっきりしている(いや、いいのだけれど)。「〇月〇日からバス代が10円上がりますが、いつお給料に反映されますか?」。仕事の内容というよりも、働くことに対する自分の感情や損得に敏感な感じがします。

大きく分けると、思っていることや意見がなかなか言えず周りを気にするセンシティブなタイプと、はっきりモノを言って周りを気にしないアグレッシブなタイプに分かれるかもしれません。どちらにしても仕事に適応できない要素を含んでおり、年寄りからすると(いやーいいんだけどねー)と思いつつ、よく理解できない事態です。

いつの時代も年寄りは「今の若いモンは~」と文句を言います。しかしどうもその感触は少しずつ違ってきているようで、仕事をする姿勢というよりも仕事をする人自体のカラーが違うようです。センシティブなタイプにもアグレッシブなタイプにも共通しているのは、仕事そのものに対する反応ではないということです。

「若いのに仕事のやり方に文句を言う」とか「自分の考えを主張する」とか、言い方が悪いとか割り切りが早いとか仕事をきっちりしないとかPCの使い方で年寄りをバカにするとかではないのです。

仕事の内容というよりも、どうも仕事をすることで、自分の内側にもたらされる反応によって左右されているという感じです。そのため年寄りはよくわからないのです。感触としては、仕事以前のことのようです。

そうは言っても、若者が一方的に悪い、おかしいということでもありません。確かに現在は労働環境も悪くなっているのでしょう。働き方改革などで何とかよくしようとしているのでしょうが、経済成長も頭打ちですし、労働人口も減ってきており、昔のように丁寧に教えてもらえないまま現場に出されることもあるでしょう。

非正規社員はつらいし、かといって正社員も何でもしなければならずつらい。労働時間も思うように短くならないしお給料も上がらない。若者はそんな中に放り投げられたようなものです。働くことがすべてであったような時代がよかったということでは決してありませんし、もうそんな時代は来ないでしょう。今後の経済や労働環境、社会もどうなるかわかりません。

しかし少なくとも、働くことは人間から切り離せません。これからは働くことそのものについて考えていかないといけないのかもしれません。

年寄りの感想を一度吐き出したところで、どうもこれは病気や障害によって不都合の生じた人が実際の職場でうまく働けていないという事態ではなく、働くことに対する若者の内在的変化と現代の就労環境の変化が折り重なった事態ではないのかという考えに至ります。

高度経済成長で景気のよかった時から働いていた年寄りにはどうも理解しにくい事態であり、反面そのスタンスが当然だと思うと、現在の就労環境の変化も見えにくくなってしまいます。その狭間で若者は、働くことに病んでいく、そんな印象です。

〈ちょいたし②〉パワハラ防止法って、何?

このような話になると、どうしても神経質になってしまうのは、パワハラではないでしょうか。若者=訴える側、年寄り=言われる側という図式ができてしまいがちですが、この雲をつかむような職場の言動に、一応の定義ができました。

令和2年に「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」通称「パワハラ防止法」ができました。以下の三つのポイントすべてを満たすと、パワハラと認定されます。

①優越的な関係を背景とした言動

②業務上必要かつ相当な範囲を超える言動

③労働者の就労環境が害される言動

それぞれ判断の難しいところはありますが、優越的な関係は上司と部下に限っていません。同僚や部下からも含まれます。逃れられない職場の人間関係全般ということになります。言動が必要かつ相当な範囲かというのも難しいですが、今は言い方や頻度などの目安も考えられています。

そして、それらの言動によってどのように就労環境が害されたか明確にすることも必要です。イヤな言われ方をしたから即「パワハラです」と合言葉のように言っても説得力に欠けます。仕事上の人間関係をどのように築いていくのか、お互いに萎縮したり、かかわらないようにしたり、果ては脅し文句に使ったりしないように、パワハラを取り巻いている雲を晴らしていければいいなと思います。


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※本記事は、2022年9月刊行の書籍『仕事で悩む若者は適応障害なのか』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。

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