大谷翔平、思いを押しつけないのは日本ハム時代から一貫している?

大竹まことがパーソナリティを務める「大竹まことゴールデンラジオ」(文化放送・月曜日~金曜日13時~15時30分)、6月6日の放送にスポーツニッポン・MLB担当記者の柳原直之が登場した。3月に著書『大谷翔平を追いかけて – 番記者10年魂のノート -』を発売した柳原が、10年以上取材を続ける大谷翔平(現ロサンゼルス・ドジャース)について語った。

大竹まこと「今回の御本は『大谷翔平を追いかけて – 番記者10年魂のノート -』。4005日、ずっと迫っていたということで」

柳原直之「中途半端で申し訳ないですけど(笑)」

大竹「書いてある文章を読んだら、まるでNHKの『プロジェクトX』のような書き方だった。こういうふうであった……、みたいな」

柳原「一緒に取材しているような感じを味わっていただきたいと思って、自分視点で書かせていただいています」

自身も野球経験を持つ柳原だがプロは目指さず、大学を卒業したあとは銀行員となった。それでも野球に携わる仕事がしたいと思い、転職したと明かす。大谷翔平を取材するきっかけは、記者として北海道日本ハムファイターズを担当していたことだという。

大竹「ひと口に4005日と言ってもね、10年か。10年間、ずっと大谷を?」

柳原「そうですね。最初は日本ハムを担当していました。ちょうど大谷選手が入ってきたころです。いちばんの注目選手だったので、活躍しようが活躍しまいが大谷選手の記事を書かなくてはいけない、というところで。日本ハム担当でしたけど、実質は『大谷番』みたいな。どんどん活躍していって、離れられなくなった感じです」

大竹「ロスとかいろんなところも行って。でも選手と飛行機で一緒に移動できるわけじゃないでしょう?」

柳原「選手の皆さんはチャーター便で移動しますけど、我々は自分で予約して、レンタカー乗って、ホテルも自分で予約して。自分でやっています」

大竹「たとえばオープン戦ならオープン戦、初めから様子を全部見て」

柳原「5時間前ぐらいから行って練習から見て、試合を観て、練習後も取材して。アメリカのいいところは、クラブハウスに入れるところで。大谷選手が着替える、トレーニングに向かう、そういうところも全部見られる。日本より見られるかな、と」

大竹「大谷選手、近ごろ英語をしゃべっているよね?」

柳原「かなりしゃべっています。通訳を介さず英語でチームメイトとやりとりして、笑いもとっている。ジョークの能力もあるみたいです」

日本ハム時代から一貫しているという、大谷翔平の内面についても語られた。

大竹「震災があったとき(2011年)は高校生ぐらいか。(岩手県の)実家は大丈夫で、それは本にも書いてあるけど、友達や仲間は家を流されたり、大変なことがあったりした」

柳原「その思いというのも、本人の中にあるでしょう。あまり口には出しませんけど」

大竹「そうなんだよ。大谷さん、そういうことあまりしゃべらない」

柳原「野球を通じて元気を与えたい、勇気や希望を与えたい、というのは自分からはあまり発信したくない、という思いがあるみたいで。自然に感じてくれるのはいいけど。自分から押しつけたくない、というのは日本ハム時代から一貫していますね」

© 株式会社文化放送