ベンガル「コメディならではの演技なんてない!」俳優人生で学んだ、本当に面白い舞台を作るには

ベンガル 撮影/イシワタフミアキ

自由劇場を経て、1976年に柄本明、綾田俊樹とともに『劇団東京乾電池』を結成。その後も、個性派俳優として映画や舞台、テレビドラマなど幅広く活躍しているベンガル。『あぶない刑事』では“落としのナカさん”こと田中文男役を演じ、全シリーズに登場、現在公開中の映画『帰ってきた あぶない刑事』にも出演している。彼の「THE CHANGE」とはーー。【第1回/全2回】

日本大学の商学部に入ったものの、時間をどう使ったらいいのか分からなかったんです。当時は学校に行かなくても、誰かに出席票を出してもらって、試験だけ受けていれば、単位で“可”を取れた時代だったんですね。学校に行っても、みんな麻雀でいないし(笑)。

そんなとき、たまたま本屋で手に取った雑誌が『テアトロ』っていう演劇雑誌。その裏表紙に「舞台芸術学院」の広告が出ていたんです。それを見て、ちょっと演劇をやってみようかなって気になったんですね。あの頃は昼は大学に行っていましたが、ヒマな時間を使って1年間やってみようって思って、バイトで入所金を貯めて入ったんです。

それがこの世界に足を踏み入れた第一歩でしたね。

最初に観た舞台は、唐十郎さんの『状況劇場』による『ベンガルの虎』でした。演劇って普通は舞台でやるものだと思っていたけど、これは上野の不忍池の端っこにテントを張って、水上音楽堂を舞台にして、役者が池から出たり、退場も池に飛び込んだり……。それを観てすごくショックを受けたから、そのすごさを友達にも話しまくったら、いつの間にか“ベンガル”って呼ばれるようになって(笑)、それがそのまんま芸名になってしまったんですよ。

舞台芸術学院を卒業した当時、僕は吉田日出子さんのファンだったから、吉田さんが出ていた六本木の自由劇場に入ったんです。

自由劇場は、映画化もされた『上海バンスキング』が有名ですが、ちょっとシャレた感じの芝居で、僕の中で「何か違うな」と思うようになったんですよね。

それで、この頃に出会った柄本明、綾田俊樹たちと「四畳半で発想するような、ドロ臭くて、面白い芝居をやろうよ」ってことになって、新たに『劇団東京乾電池』という劇団を旗上げしたんです。

「もっとシリアスに、もっとシリアスに」

自由劇場を辞めた後は、僕と柄本と綾田の3人で、キャバレーやビアガーデンの屋上でコントをやっていました。そのうち、高田純次が入団して、『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の前身の『笑ってる場合ですよ!』にレギュラー出演するようになりました。

やがて、今は俳優としてドラマや映画で活躍したり、舞台演出を手掛ける岩松了が入ってきて、東京乾電池は路線がちょっと変わったんです。

「今まで笑ってきてくれたお客さんに背中を向けるような作品を作ろう」ということで、ロシアの劇作家のチェーホフの作品に取り組んだり、岩松が書いた『町内シリーズ3部作』というのをやったりしました。

でも、僕はそれにはちょっと乗り切れなくて、劇団の内にまた別の劇団を作って、女優の木野花を呼んで綾田と10本くらいやったんです。これには藤山直美さんも来てくれたこともありましたね。

経験を積んでいるうちに分かってきたのですが、喜劇も普通の演劇も、すごく暗い部分、シリアスな部分がないと、お客さんは笑ってくれないんです。面白い舞台を作りたいんだったら、「もっとシリアスに、もっとシリアスに」というほうに気持ちを持っていかなきゃいけないんです。昔は、「コメディならではの演技」というのがずっとあるんだと思っていたんですが、芝居をこなしていくうちに、実はそんなものはないということに気付いたんです。シリアスな芝居をうまくやれる役者ほど、観客を笑わすことができる。そのためには、自分が深刻に、ほんとに暗くならないとダメだと思ったんです。

ベンガル(べんがる)
1951年8月17日、東京都出身。自由劇場を経て、1976年に柄本明、綾田俊樹とともに『劇団東京乾電池』を結成。その後も、個性派俳優として映画や舞台、テレビドラマなど幅広く活躍している。

© 株式会社双葉社