震災4日後に亡くなった父 認められぬ因果関係 神戸の84歳女性「制度知らず無念」

阪神・淡路大震災の4日後に亡くなった父親・幸田直治さんと母親・好子さんの銘板をなでる雅子さん=神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・長嶺麻子)

 29年前の阪神・淡路大震災の4日後、86歳だった父は亡くなった。隣で寝ていた母をかばうため、倒れてきたたんすの下敷きになり、そのまま意識を失ったと聞いた。だが、父は震災で亡くなった6434人には含まれていない。神戸市長田区の幸田雅子さん(84)は「震災との因果関係を認めてもらう制度そのものを知らなかった。父は無念だろう」と悔やむ。(篠原拓真) ### ■モニュメントにない父の名

 震災当時、雅子さんの父直治さんと母好子さんは、同市垂水区の雅子さんの兄宅で暮らしていた。兄から聞いた話では、2人は倒れたたんすの下敷きとなり、直治さんは好子さんに覆いかぶさった状態で意識を失っていたという。

 雅子さんも兄宅に駆け付けたが、意識が戻ることはなかった。亡くなった後、火葬したが、雅子さんは震災が原因で亡くなったと認められたものと思っていた。2年後には好子さんも89歳で他界した。

 だが、神戸・三宮の東遊園地にある「慰霊と復興のモニュメント」に、父の名前がないことがずっと気がかりだった。2018年、2人の銘板を追加したが、それをきっかけに、父が震災の死者に数えられていない事実を知った。 ### ■死亡診断書に書かれていた死因

 震災が原因で亡くなっても、遺族が「災害弔慰金」を申請して災害と死亡との因果関係を認めてもらわないと、震災による死者として扱われないことがある。雅子さんは制度自体を知らなかった。

 申請窓口がある神戸市に相談し、因果関係を証明する資料を探す中、法務局で死亡診断書が保管されていることが判明した。だが、書かれていたのは「肺癌(がん)」の文字。発病から死亡までの期間は約6カ月とされていた。

 「確かに父は検査でがんが見つかっていたが、本人は元気で治療は受けていなかった」と雅子さん。「震災前日も兄宅から100メートル離れた病院まで歩いていた。数日後に亡くなるような状態ではなかった」と訴える。

 死亡診断書に死因が明記されている以上、申請は難しかった。雅子さんは医師や弁護士などで構成する審査会での判断を求めるが、実現していない。市は取材に「客観的な記録がなく適切な検討がし難い状況で、審査会に判断の丸投げはできない」としている。 ### ■母かばった事実「否定された思い」

 阪神・淡路大震災では多くの人が亡くなり、発生直後は火葬までに時間を要するなど混乱が続いた。「当時は一日でも早く荼毘(だび)に付してやりたい思いだった」と雅子さん。「ちゃんと診断書を確認していれば、死因が違うと指摘できたかもしれない」と悔やむ。

 今年1月には能登半島地震が発生し、今後も大災害が起きてもおかしくない。雅子さんは「母をかばい、亡くなった事実が否定された思い」と吐露し、「同じようなことにならないよう、多くの人にこのことを知ってほしい」と話した。

   ◇   ◇ ### ■災害関連死認定 遺族の申請必須

 災害による間接的な影響や、災害を含む複合的な要因で亡くなる「災害関連死」の認定には、遺族の申請が必須となる。死亡と災害に相当な因果関係が認められる必要があり、客観的な資料が乏しい場合、幸田さんのように申請自体が難しいと市の窓口で告げられるケースも少なくない。

 関連死の認定に詳しい津久井進弁護士(兵庫県弁護士会)はこの点を挙げ、「審査を担う市町ではなく、別の専門機関に相談支援を担う窓口を常設するべきだ」と指摘している。

 また、関連死の認定には明確な基準がない。阪神・淡路大震災で、芦屋市は震災による停電で人工呼吸器が停止して亡くなった入院患者の男性=当時(75)=の震災死を認めなかった。だが、裁判の末、因果関係を認める判決が確定した。

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