第五福竜丸の乗員が育てたバラが開花 沖縄の中高生、平和集会から挿し木を持ち帰る 南城市のバラ園

 1954年3月に太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で米国の水爆実験に遭遇して被ばくした、静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員が自宅で育てたバラの挿し木が5月末、沖縄県南城市つきしろのバラ園で開花した。バラの挿し木は、平和や反核のシンボルとされ、ビキニ事件から70年となる今年、焼津市で開かれた集会に沖縄から参加した中高生3人が持ち帰った。参加した西江めぐみさん(13)は「事件については知らないことが多く、もっと勉強したいと感じた」と話した。(南部報道部・国吉聡志)

 バラを育てていたのは第五福竜丸の無線長で、被ばくが原因で1954年9月に40歳で亡くなった久保山愛吉さん。「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」という言葉を残したことで知られる。

 愛吉さんは生前、自宅の庭にバラを植えており、亡くなった後は妻のすずさん(享年72)が1993年に死去するまで形見として育て、「愛吉・すずのバラ」と呼ばれる。挿し木は高知県や福島県の市民に配られ、平和のシンボルとして育てられている。

 平和集会は3月27日に焼津市で開かれた。沖縄から参加した中高生3人は、前日の26日に東京都江東区の第五福竜丸展示館を訪問。学芸員の市田真理さんからビキニ事件の概要を学んだ。27日は歴史民俗資料館を訪れたり、焼津港近くに自宅があり高校在学中に原水爆禁止の署名を集めた語り部の杉村征郎(いくお)さんの話を聞いたりした。

 西江さんは「乗組員の健康診断の結果が本人に公表されなかったり、アメリカの見舞金の額が低かったり多くのことを学べた。10代の乗組員もおり、自分に置き換えて核兵器の脅威を考えた」と振り返った。

 バラの挿し木は南城市つきしろにある「つきしろローズガーデン」に寄贈され、5月22日から順次7輪が開花した。バラ園を運営する小池喜代子さんは「1年くらい鉢植えで育てた後は庭で育てたい。久保山夫妻の遺志を引き継ぎ大事にしたい」と語った。

開花した「愛吉・すずのバラ」と挿し木を持ち帰った沖縄高校生平和ゼミナールの西江めぐみさん(右)、上原諒さん=5月26日、南城市つきしろ
ビキニ環礁で行われた米国の水爆実験(上)、静岡県焼津港に係留された被ばく当時の第五福竜丸(下)のコラージュ

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