「彼がチャンピオンシップ獲得を助けてくれた」シャックが語る3連覇時代の相棒コビーの“名勝負”「あの野郎がとんでもない活躍を見せたんだ」<DUNKSHOOT>

NBAの歴史上、3年連続で頂点に立つ“スリーピート”を達成したのは5チームのみ。最後にこの快挙を成し遂げたのが、2000~2002年のロサンゼルス・レイカーズだ。

その後2009、10年にレイカーズ、2012、13年にマイアミ・ヒート、2017、18年にゴールデンステイト・ウォリアーズが連覇し、6チーム目の偉業を目指したものの、いずれも翌年のプレーオフで敗れている。

2000年代の幕開けとともに王朝を築き上げたレイカーズには、歴代最高級の重量級センター、“シャック”ことシャキール・オニール、当時20代前半ながらスコアラーとして台頭してきたコビー・ブライアントというリーグ最強のデュオが君臨していた。

3連覇を達成したファイナルでMVPに輝いたのは、いずれもシリーズ平均33点以上を奪ったシャック。216cm・147kgのビッグマンが、文字通りペイントエリアを制圧した。
もっとも、この歴史は覆っていた可能性もあったようだ。現地6月3日にドレイモンド・グリーン(ウォリアーズ)のポッドキャスト番組『The Draymond Green Show』に出演したシャックは、コビーと戦ったファイナルを振り返り、次のように明かした。

「彼が(自分自身を)犠牲にしたんだ。彼が俺のチャンピオンシップ獲得を助けてくれた。彼なら間違いなく簡単にファイナルMVPを手に入れることができただろう。だが俺たちはプランを遂行した。最初の3つ(のクォーター)で俺が、そして第4クォーターで彼が支配したのさ」

コビーは2001年のファイナルでフィラデルフィア・76ers相手にシリーズ平均24.6点、7.8リバウンド、5.8アシスト、1.40スティール、1.40ブロック、翌02年もニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツとのシリーズで平均26.8点、5.8リバウンド、5.3アシスト、1.50スティールとオールラウンドに活躍。

その一方で、インディアナ・ペイサーズと激突した2000年のファイナルでは第2戦でシュート後の着地時に左足首を捻挫。第3戦を欠場し、出場した5試合中2試合で1桁得点に終わったこともあり、シリーズ平均は15.6点、4.6リバウンド、4.2アシスト、1.40ブロックにとどまっていた。

だがレイカーズの2勝1敗で迎えた第4戦で、当時21歳だったコビーはシリーズ最大の活躍を見せた。この試合はシャックも初優勝した年の中で特に「お気に入り」の試合だと振り返る。「最初の優勝で気に入っているのは、俺がファウルアウトしたインディアナとの試合だ。あの時、シリーズに敗れたら、俺の責任になることはわかっていた。俺はコビーを見て、俺みたいにやっちまえと言った。そしたらあの野郎がとんでもない活躍を見せたんだ。それを見て、俺たちは最初のチャンピオンシップを勝ち獲ることになると確信したのさ」

ペイサーズがホームで2連勝を狙ったシリーズ第4戦は、同点6回、リードチェンジ17回の大激戦となった。シャックは両チーム最多の36得点、21リバウンドと猛威を振るったものの、3点をリードしていた延長残り2分33秒に6ファウルで退場。
負ければ2勝2敗のイーブンにされる窮地に陥ったレイカーズだが、ここでケガ明けのコビーにスイッチが入る。1点差に迫られた残り2分から立て続けにジャンパーを沈めると、残り5.9秒には味方のミスショットをティップインで捻じ込み、これが決勝点に。最終的に延長の8点を含む28得点を稼いで大黒柱の穴を埋め、レイカーズが120-118で激闘を制した。

コビーは最終第6戦でも26得点、10リバウンド、2ブロックの活躍で自身初タイトルを獲得。ケガを押して勝利に導いた第4戦は、彼が新たな領域に入り、スーパースターへと駆け上がるターニングポイントの一戦となった。

文●秋山裕之(フリーライター)

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