元℃-ute・矢島舞美。妊娠初期はつわりに悩まされ、切迫流産で1カ月間の入院生活。夫は家事サポートが完ぺきで、出産は立ち会う予定

旅先での1枚。プライベートな表情を見せる、矢島さん。

元℃-uteのリーダーであり、俳優として活躍する矢島舞美さんは、2022年11月に同じく俳優の味方良介さんと結婚。2024年3月に第1子妊娠を発表し、今年の夏ごろにはママになる予定です。安定期を迎えるまでは、切迫流産(せっぱくりゅうざん)で1カ月に及ぶ入院生活を余儀なくされ、さらに重いつわりも乗りきったそう。仕事との両立など、一番大変な時期だったという妊娠初期の話や、夫婦でどのように乗り越えたのかなどについて聞きました。
全2回インタビューの1回目です。

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絶対安静とつわりでまったく動けなかった妊娠初期は、夫の言葉に救われた!

安定期に入ったころ。お出かけ中の矢島さん。

――2024年3月25日に第1子妊娠を公表しましたが、今のお気持ちを聞かせください。

矢島さん(以下、敬称略) 赤ちゃんを授かれたことが、率直にうれしいです。妊娠初期は体調も不安定で、まわりにも妊娠したことを言えなかったので、大変な時期もありましたが、妊娠をみなさんにお伝えできるようになってからは、仕事もしやすくなりましたね。

現在は妊娠後期に入って、小さなマイナートラブルはあるものの、体調は安定しています。今春に舞台の仕事を終えてからは、自宅でできるお仕事だけをさせてもらって、ゆっくり過ごしている感じです。

実はまだ、新婚旅行に行けていなかったので、出産までに、ごく近場での旅行を計画中なんです。赤ちゃんが生まれたら、夫婦2人での遠出もしばらくはできないと思うので。

出産まではまだまだ気は抜けないですが、無事にここまで来られてよかったなと思う毎日ですね。

――妊娠初期は体調が不安定だったということですが、つわりなどひどかったのでしょうか。

矢島 つわりはかなりひどいほうだったと思います。私の母は3人子どもを産んでいるのですが、つわりがほとんどなかったみたいで、妊娠がわかった直後には「舞美もきっと大丈夫よ!」と言われていたんです。私も「そんな気がする〜」なんて楽観的に思っていて。でも、いざつわりの時期になると、最初は食べづわりから始まり、だんだんと吐きづわりになっていって…。このときはかなりつらかったですね。

それから、妊娠3カ月のころに、切迫流産で入院もしました。いつもどおりに健診に行ったら、胎嚢(たいのう)のまわりの出血が多めで、ちょっと赤ちゃんが危ないかもしれないということで、そのまま入院になってしまったんです。自覚症状もなかったので、急な展開で驚きました。いったん家に帰るということもできずに夫に荷物を持ってきてもらったり、マネージャーさんに電話をして仕事のスケジュールをずらしてもらったりと、バタバタのまま入院生活が始まりました。

入院中は、お手洗いと2日に1度のシャワー以外は、ほとんどベッドの上で過ごしていました。あとは、3日に1度、先生の診察があって経過を見てもらっていましたね。

夫は毎日、仕事の合間にお見舞いに来てくれて、洗濯物を持ち帰ってはそれを家で洗い、また病院に持ってきてくれました。それと、入院中はつわりもひどく食べられるものも限られてしまって…、夫はその食べられるものを買ってきてくれたりもしましたね。

そんな感じで、絶対安静の入院生活を送り、だんだんと出血も少なくなってきました。この状態なら、自宅での安静に切り替えてもいいよということで、約1カ月後にやっと退院することができたんです。

お出かけ先のカフェでお茶をする時間も大切に。リラックスした表情の矢島さん。

――退院後はどのように過ごしていましたか。

矢島 半月ぐらいは家で安静に過ごしていました。自宅に帰ってからも、ほとんどの時間をベッドの上で過ごす日々でしたね。その間は、夫が掃除から洗濯、料理まですべてやってくれて。もともと、夫は料理も掃除も好きなタイプなんです。でも、私が家のことができないのが申し訳ないように思って、「家のこと、何もできなくてごめんね」と言ったら、「何もできないなんてことないよ、一生懸命赤ちゃんをおなかの中で育てているんだから。すごいことだよ!」という言葉をかけてくれたんです。それは、すごくありがたかったですね。

その後は、先生からのOKも出て、仕事にも徐々に復帰していきました。舞台の稽古が始まる時期だったので、先生に相談したら「無理のない程度だったら、そろそろ大丈夫ですよ」と言ってもらえて、稽古にも参加できるようになりました。

ちなみに、この入院中に、助産師さんといろいろとお話できる機会があって、出産についても相談に乗ってもらったんです。1人目の出産は陣痛の痛みを経験しておきたい気持ちがあって、「自然分娩で産もうと思っているんです」と言ったら、「産後の回復のことを考えて、無痛分娩を選ぶという人もいるよ」などのアドバイスももらいました。そこから、自分でもいろいろと考えてみて、夫とも相談して、出産は無痛分娩にすることに決めました。

妊娠中の舞台稽古は、まわりの人たちのサポートで乗りきった

公園へお出かけ中。ふっくらしてきたおなかを抱える矢島さん

――妊娠中の仕事はどのようにされていますか?

矢島 仕事のお話って、実際に動く時期よりもずっと早い時期に来るんですよね。初めての妊娠で私自身もわからないことだらけだし、何カ月先の自分の体調も想像つかないしで、「受けたい、やってみたい」という気持ちがあっても、妊娠によってまわりの人に迷惑をかけてしまうんじゃないかと、かなり葛藤がありました。

それに、妊娠がわかったときは、ちょうどある舞台の稽古中の時期だったんです。だれにも妊娠のことを言わないまま稽古を続けていたので、そのときが一番つらかったかもしれないです。当時は食べづわりだったので、休憩中はとにかく、何かしら食べてしのぐ日々でした。

その後入院が決まり、マネージャーさんから、次にお話をいただいていた舞台側のみなさんに状況を伝えてもらったのですが、1日2公演にならないようにダブルキャストの方とスケジュールを配分していただいたりと、かなりサポートをしてもらいました。

切迫流産の入院中はずっと寝たきりで体力もかなり落ちてしまったし、立ち上がるだけで貧血もひどかったので、復帰後、体力がもつかとても不安で…。実際、復帰してすぐのころは、貧血で稽古を早退させてもらうこともありましたが、だんだんと体力も回復してきて、そのころにはつわりもおさまってきました。

この春に全公演を終えることができたのですが、無事に最終日を迎えたときは本当にホッとしましたね。

いつかお母さんになりたかったから、結婚後すぐに夫と話し合いを

32歳のバースデイイベントでの矢島さん。ファンの皆さんとスタッフさんにお祝いしてもらったそう。

――結婚して、いつぐらいから妊娠・出産について意識し始めましたか?

矢島 自分の中で、「いつかお母さんになりたいな」という気持ちは、夫と出会う前からずっとありました。そして夫と結婚して、2人できちんと話し合って、式が終わってからにしようと決めました。

妊娠がわかったときは、夫はすごく喜んでくれましたし、同時にすごくびっくりもしていましたね。夫から、「お父さんになるんだな」とか「仕事頑張らないと」という言葉を聞いたことで、父親になる覚悟みたいなものを感じてうれしくなりました。

夫は最初の健診にも一緒に来てくれたんです。自分も一緒にエコーを見られるものだと思っていたようなのですが、「ご主人はちょっと外で待っていてください」と言われてしまって、部屋に入れなくて…。夫は、「俺もお父さんになるのに…」と、ちょっぴりショックを受けていました(笑)

妊娠する前から、家事などを率先してやってくれる夫ではあったのですが、切迫流産を経験したり、日に日に私のおなかが大きくなるのを見ていて、以前よりさらに気にかけてくれるようになりましたね。重たいものを持ったり、私が動きづらいときにものを取ってくれたりと、すごく気づかってくれます。

――夫さんは出産に立ち会いをされる予定ですか?

矢島 最近は出産の話になると、「できたら立ち会いしたい」と言うようになってきて・・・。一生に1度のことだし、自分も父親になるという自覚がより強く芽生えているのかもしれません。

私が愛用している妊娠・出産アプリを夫も入れてくれています。赤ちゃんが何週でどのぐらい育っているのかがわかるようなアプリなんですが、「今、赤ちゃんはこのぐらいに育ってるんだね〜」なんて話してくれるんですよ。

今は立ち会い出産を希望していますが、夫の仕事のタイミングもあるので、こればかりはまだわからないですね。無痛分娩についても、夜間など時間によってはできないという産院なので、自然分娩になる可能性もあります。とにかく、出産は流れにまかせてという感じになりそうです。

お話・写真提供/矢島舞美さん 取材・文/内田あり(都恋堂)、たまひよONLINE編集部

切迫流産や重いつわりを乗り越えられた陰には、夫さんのサポートと心強い言葉があったようです。また、退院後は周囲の助けを得ながら、舞台の仕事にも徐々に復帰して、無事に最終公演を迎えました。
次回は、10歳から始めた芸能活動の話やお母さんとの関係、これからの子育てについて聞きます。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年6月の情報で、現在と異なる場合があります。

矢島舞美さん

PROFILE
1992年生まれ、埼玉県出身。10歳のときに、『ハロー!プロジェクト・キッズオーディション』に合格。2005年に℃-uteが結成し、のちにリーダーとなる。2014年にはハロープロジェクトリーダーに就任。2017年6月に℃-uteが解散し、その後は舞台を中心に、テレビ・ラジオなどで幅広く活動。2022年11月には、俳優の味方良介さんと結婚。

矢島舞美さんのInstagramアカウント

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