【佐橋佳幸の40曲】竹内まりや「毎日がスペシャル」山下達郎の注文はジョン・ホールで!  佐橋佳幸が山下達郎に呼ばれた “幻のセッション” とは?

連載【佐橋佳幸の40曲】vol.27

毎日がスペシャル / 竹内まりや 作詞:竹内まりや 作曲:竹内まりや 編曲:山下達郎

UGUISS時代から知っていた竹内まりや

竹内まりやと佐橋佳幸の出会いは、夫である山下達郎と佐橋が知り合うよりずっと前のこと。竹内のRCAレコード在籍時代、1980年代前半へと遡る。これは知る人ぞ知るサハシ・トリビアのひとつ。

「実は、まりやさんのことはUGUISS時代から知っていたんですよ。なぜなら、清水信之センパイがレコーディングやライブのサポートや… まりやさんの仕事をしていたんです。なんといっても「不思議なピーチパイ」のアレンジもノブさんだからね。だから僕、まだバンドでデビューする前、ノブさんから “ちょっと手伝いに来てくれ” って言われて、まりやさんのコンサートに行ったんだよ。といってもギターを弾いたわけじゃなくて。ノブさんの楽器運んだり、ケーブル巻いたり、という力仕事(笑)。日本青年館だったから、たぶん1979年、まりやさんのファーストコンサートだったと思う。その後も、今度はEPO先輩がRCAレコードからデビューするじゃないですか。まりやさんの妹分みたいな戦略で、デビュー前にまりやさんの「SEPTEMBER」のコーラスをやったり。だからこれもまた、ある意味で松原高校コネクションなんだけどさ」

山下達郎、竹内まりや、そして佐橋佳幸の奇跡のエピソード

竹内まりやが初めて山下達郎を見たのは、彼女が慶應大学に在学中、音楽サークル仲間とヤマハ渋谷店で行われたシュガー・ベイブのフリーライブを観に行った時だったというのはあまりにも有名な話。そして、この連載の読者にはすでにおなじみのエピソードだが、そのライブには当時中学生だったサハシ少年もフォークユニット “人力飛行機” のメンバーと共にチャリンコで駆けつけていたのだった。まだ山下と竹内が出会うよりずっと前のこと。ましてや佐橋はまだ中学生。後に出会い濃密なコラボレーションを展開することになる3人が、1970年代半ば、すでに同じ空間に居合わせていた… という、いまだに本人たちもしばしば話題にする、ウソのような奇跡のエピソードだ。

「そんなわけで、10代の頃からちょこちょことニアミスはしていたんです。ノブさんはデビュー当時のまりやさんと同じ所属事務所で同じマネージャーだった時期があるしね。なので一緒にお仕事させていただくようになるずっと前から、存在だけは何となく認識してくれていた… と、僕のほうは思っているんだけど。だから、デビュー前の10代の頃からすでに意外に近くにいた存在ではあるんです。ただ、それはあくまで清水センパイ、EPOセンパイを通して近くにいたということであって。結局、本当に一緒に何か音楽をやる仲間に入れてもらえるようになったのは、やっぱり達郎さんを通してだったということなんですけどね」

山下達郎に呼ばれた “幻のセッション” とは?

やがて超売れっ子セッションギタリストへと成長し、山下達郎が絶大な信頼を寄せるようになった佐橋。当然のごとく、彼がプロデュースを手がける竹内まりやのレコーディングやライブにも欠かせない存在となってゆく。

いや、というか。佐橋の記憶によれば、そもそも山下に呼ばれた初めてのスタジオ仕事が竹内まりやのアルバムのギターダビングだったらしい。UGUISS解散の直後、1984年にリリースされた竹内のアルバム『VARIETY』に収録されている「アンフィシアターの夜」のレコーディングセッションに呼ばれている “はずだ”… とのこと。佐橋が “はずだ” と言うのは、それが世の中には知られていない “幻のセッション” だったから。

「この曲、松浦(善博)さんというスライドの名手がリードギターとしてソロを弾いていらっしゃって。結局、完成したヴァージョンに僕のギターは入らなかったんです。というのはね、達郎さんのレコーディングではいろんな人にいろんなソロを弾いてもらって、その中から最終的に決定テイクを選ぶっていうことが珍しくないんです。で、ずっと後になって初めてまりやさんのライブにバックバンドのメンバーとして参加した時、リハーサルで「アンフィシアターの夜」を演ったんですよ」

「その時に “あっ、この曲は!?” と思ったの(笑)。確証はないんだけど、この曲で間違いないと思うよ。達郎さん、まりやさんとの “幻の初仕事”。スマイル・ガレージで、弾き終わった後もおふたりとずーっと話し込んじゃったことを覚えてます。その後、まりやさんのライブでは必ず演奏されてきた曲じゃないですか。そんなわけで、レコーディングヴァージョンでは採用にならなかったんですけど、その後めちゃめちゃいっぱい弾いている曲という(笑)」

「めざましテレビ」の10代目テーマソングになった「毎日がスペシャル」

山下の守備範囲である東海岸のコンテンポラリー・ポップサウンドも、竹内の得意とする西海岸AOR路線も、どちらも得意中の得意という稀有なギタリスト。この “幻の初仕事” をきっかけに、山下夫妻と佐橋は急接近してゆく。

「達郎さんはもともとご自身がギタリストだから、まりやさんをプロデュースする時も基本的には全部達郎さんがギターを弾いてるじゃないですか。でも、曲によって “あ、これは誰か違うギタリストの方がいいかな” みたいな時がある。と、誰かに来てもらう。そういう感じで、僕もちょこちょこ呼んでもらうようになったんですけど。そのうちの1曲が「毎日がスペシャル」です。個人的にも、とても思い出深いセッションでした」

2001年、竹内まりやのオリジナルアルバムとしては9年ぶりのリリースとなった『Bon Appetit!』のリードシングル。フジテレビ系『めざましテレビ』の10代目テーマソングとしてアルバムに先がけて世にお披露目された。

「僕は最終段階のダビングで呼ばれたんですけど。その前日、達郎さんから連絡があったので “明日、何を持っていけばいいですか?” って聞いたら “ジョン・ホールで。以上。” って。もう、めっちゃわかりやすい指示がありまして(笑)。そのココロは “ストラト1本で来い” ということです。つまりストラト持ってって、ダイナコンプでつないで、アンプそのまま直結で弾いてくれってこと」

さすが。超オタクのプロデューサーとギタリスト。話が早いにもほどがある。

「当日スタジオに行って曲を聴かせてもらったら、もうオケはほとんど完パケしていましたね。あのイントロのアカペラもすでに入っていた記憶がある。ようするに完璧に仕上がってはいたんです。でも、プロデューサーの達郎さんとしては、何かが足りないな、あとちょっと何か欲しいなって思ったらしくて。そんなわけで、ベーシックのリズムがアコギサウンドなんだけど、それは達郎さんが弾いていて。ジョン・ホールっぽいエレキは僕がひとりで弾いているという。ふだんと逆。なかなか珍しいでしょ」

「めざましテレビ」なだけに「モーニン」?

山下達郎が丹精込めて練り上げた極上の西海岸アコースティック・サウンドの上で、気持ちよさそうに歌う佐橋のストラトキャスター。それもこの曲の聴きどころのひとつだ。

「まずはイントロをどうしようとか、ちょっとずつ相談しながら作っていったんだけど。ひと通り終わったのはけっこう早かったはず。いくつか弾いたところで、達郎さんから “うん、これでいいよ” とOKが出たんです。でも、大好きなサウンドだけに、そこで僕もこだわりが出てしまったんですね。後でパンチインで繋いでもらおうと弾き直した箇所と、元の演奏とのタッチの繋がり方が気になってきちゃって。やり直したところ、ちょっと強く行き過ぎたかな… みたいなところが気になって。それで “ちゃんと元のテイクと同じことをやりますから、これ、頭からもういっぺん弾き直していいですか?” とか。それをやり始めたら、けっこう時間かかっちゃったの。達郎さんとしては、ミックスでうまく繋げれば別に大丈夫って考えていた箇所だったんだけどさ。気になりだすとどんどん気になってしまって」

「でも、途中から達郎さんが “わかったわかった。これはオレのプロデュースだけど、そのこだわりはサハシの問題だから。気がすむまで好きにやっていいよ” って言ってくれて。で、お言葉に甘えて、納得いくまでやらせてもらいました。だからね、今聴いてもよくできてるんだよ。エレキギターが全編リフになってるっていうか。あとね、昨日この曲を久しぶりに聴き返して気づいたことがあるんだけど。このイントロのオレのリフ、なんかちょっと、アル・ジャロウの「モーニン」に似てない?」

ま、まさか、『めざましテレビ』なだけに「モーニン」なのか!?

「いや、これ弾いた時には、自分では全然意識してなかったの。てっきりジョン・ホールのつもりだったのに。結局、「モーニン」でキーボードがやってることをギターでやっているんですよ。自分でもビックリしたんだけどさ。この曲って80年代前半のデイヴィッド・フォスターとジェイ・グレイドンがプロデュースしてるでしょ。ちょうど同じ頃、まりやさんもLA録音で彼らと一緒にやったりしてたじゃない。あの時代のイメージがあったのかな。わかんない、ただオレが思いついちゃっただけなのかな。ホント、昨日初めて気がついたんだよ。なんでこんなこと思いついたかなぁ。やるなぁ、オレ。と思いました(笑)」

とある佐橋の友人は、この曲を “佐橋のギターがたっぷり聴ける曲” リストの筆頭に挙げているという。同じアメリカ西海岸ロックやシンガーソングライターが大好きな竹内と佐橋は、ふだんから音楽談義でも話がはずむ気の合う仲間でもある。それだけに、竹内らしい西海岸テイストを山下ならではの洗練されたフォークロック・サウンドで彩ったこの曲を前に、佐橋が燃えたのも納得だ。佐橋といえば、どんなタイプの曲が来ても任せておけ… というオールマイティ・ギタリストのイメージ。実際どんな曲でも見事に料理してみせる職人ではあるが。やっぱり、心はずまずにはいられない楽曲と出会った時は特別。とっておきの歌心が、思わず、隠しようもなく、いつも以上の勢いでこぼれだしてしまうということか。

カタリベ: 能地祐子

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