引退の恩師“台湾の巨匠"ホウ・シャオシェン氏への思い 「オールド・フォックス」シャオ監督に聞く

台湾ニューシネマの巨匠、ホウ・シャオシェン氏(77)による最後のプロデュース作品「オールド・フォックス 11歳の選択」(6月14日公開)のシャオ・ヤーチュエン監督(56)がこのほど、よろず~ニュースの取材に応じ、作品に込めた現代社会への憤り、恩師であるホウ監督との思い出を語った。

バブル景気に沸く1990年前後の台湾を舞台に、思いやり深い父とともに、自分たちの家を買うことを夢見る11歳の少年を主人公に据え、庶民たちの哀歓に直面しながら少年が成長していく姿を描く感動作。人物への温かいまなざし、社会に対する冷静で批評的な視点が際立つ。歴史ある台北金馬映画祭では最優秀監督賞など4冠に輝いた。

「悲情城市」「冬冬の夏休み」「恋恋風塵」などが知られるホウ監督は昨年10月、アルツハイマー病などの影響で引退したことが台湾メディアで報じられた。ホウ監督作品「フラワーズ・オブ・シャンハイ」(1998年)で助監督を務めたシャオ監督は、自身の映画4作品全てでプロデュースを託している。家庭の食卓、レストラン、調理場の裏、食堂、屋台などさまざまな食事に関するシーン、車中での会話がさりげなく続き、物語が展開していくのはホウ監督作品を思い起こさせる。

Tシャツ、ジーンズとカジュアルな姿のシャオ監督は、穏やかながら時に批判的に言葉を紡いだ。今作品には〝共感〟〝人への思いやり〟を意味する中国語の「同理心」がテーマにある。それは、他人への配慮が希薄になっている台湾の現状への憂慮が根底にあるという。

「思いやりが希薄になった理由は二つあると思います。一つはインターネットの時代になり、直接のコミュニケーションをしなくなったこと。人との触れ合いが欠けたことで、思いやりを持てなくなったのではないか。もう一つは、経済的な環境です。僕らの時代は、僕も君も貧乏で、でもこの人は急にお金持ちになりました、という状況を目の当たりにしました。映画に登場する事業家じゃないですけど、金持ちでも貧乏を知っていました。今では、日本でいう〝親ガチャ〟のように、生まれた時点で貧乏、金持ちが分断されてしまっている。こうして、互いの環境、気持ちを知ろうとしなくなっているように思います」

シャオ監督の日常でも、そんな憤りを感じる場面が増えた。映画で描かれる庶民の哀歓は、金銭に起因するものが多いが、富裕層に対する受け入れがたいニュースも台湾で報じられている。

「僕の経験したことでは、たくさんありますが、一つ簡単な例を紹介します。皆で集まった時、昔は人と人で話をしたものですが、今は皆がスマホを触っています。それを見た時、少し異様だと思いました。ニュースでは、お金持ちの息子が起こした交通事故に関する報道に考えさせられました。たとえ人が亡くなった場合でも、彼らは平気で『あとはうちの弁護士を呼んで終わりだね』と言う。それはどうかと思いましたね。生まれた時に決まった、貧富の差の激しさが、ここまで来たのでしょうか」

SNSでは日本でも誹謗中傷、相手への礼節を欠く高圧的な投稿がしばしば問題になる。相手を圧倒する〝論破〟は、子どもたちが憧れる対象にさえなり得る。

「そういう話を聞くと、どこの国も同じだなあ、と思います。では自分の力でどう改善できるか、どう克服できるか、を考えた時、少なくとも自分は子どもたちにはこう伝えます。『他人の立場を理解しようとする努力くらいは払おう』ということです。ネット社会では、自分個人の世界だけを見ていればよく、そうなると、その世界の外にいる人には興味すら持たなくなる。だから、せめて他者の存在や考えを理解しようとする何らかの態度を持とう、と少なくとも自分の子供には話したいですね」

20歳と22歳の長男、長女への思いを語ったシャオ監督。映画で度々描かれる食事シーンについては「無自覚ではあるんですね。皆に指摘されて、そんなにたくさん撮っていたのか、と思うくらいです」と笑ったが、指摘を受けて改めて考え、言葉を口にした。

「それはきっと、僕個人の経験に根ざすのかもしれません。人生を振り返った時、大事な話をする時は、大体が食卓で行われていたような気がします。例えば息子との話だと、進学などの人生の岐路に立った時は食事をしながらでした。息子が小さい時は、食事といっしょに『学校でこういうことあったんだけど、これって正しいの?』とか『先生が言っていることをどう思うの?』のようなことを聞きましたね。それと、妻とけんかする時も大体食卓なんですよ」

尊敬するホウ監督とも、食事中の思い出は多い。助監督として師事していたとき、上海での出来事が特に印象深い。

「ホウ監督に頭にくる知らせが届いて、食事の席でだいぶ荒れていました。それで僕が慰めるつもりで『僕が監督の年齢になったら、そんなに勇気は持てませんよ』と話すと、ホウ監督は『違うだろ』と怒るんです。ホウ監督は『人は年齢のせいで失敗を恐れて勇気がなくなるわけではない。人は一度成功したから、失敗が怖くて勇気がなくなるんだ』と話されていたのをすごく覚えています。一度成功すると、有名にもなるので、なかなか失敗したくない、という気持ちが働くじゃないですか。それによって新しいことができなくなる人がいる、というのはよく分かる説明でした。食事の席としては、非常に消化に悪い状況でしたけれども」

助監督を務めた当時のホウ監督の年齢を超え、その言葉は自分自身にも投げかけられるようになった。「当時の僕は30代で、その言葉を思い返したのは、もう40歳を過ぎて、CMの制作会社を立ち上げた頃でしょうか。自分のやることが、自分の家庭だけでなくて、他のスタッフや多くの人に影響をおよぼすようになった時ですね」と、しみじみと語った。

ホウ監督のプロデュースを受けるのは4作目だが、今回はキャストに日本人を入れるというアドバイスを受け(後に門脇麦が配役)、脚本を渡したところでコロナ禍とホウ監督の体調問題のため、以降は直接言葉を授かる機会がなかった。プロデューサーとしてのホウ氏については「あまり干渉しない人でした。少なくとも僕に関しては、そうでしたね。以前は脚本を見てもらったとき、編集が終わったときに意見をもらいましたが、今回はなかったですね」と振り返った。

偉大なキャリアを持つホウ監督の引退には、意外な答えが返ってきた。

「僕は引退の知らせを聞いたとき、最初は少し心配しましたが、そうではなく、祝福すべきだろうと思い直しました。ホウ監督は自分のやりたいことは多分やり終えていると思うし、これからは家族と過ごされるといいます。家族にとっての大事な時間ができると思うので、祝福したいと思います。ホウ監督は日々起こったことを全て受け入れて生きる方でした。老いや死に対してもあらがわず、受け入れる方だと思います」

ホウ監督、「牯嶺街少年殺人事件」「台北ストーリー」などで知られるエドワード・ヤン監督(2007年死去)らが築いた台湾ニューシネマ。「その系譜を受け継ぐ次世代の幕開け」という今作のキャッチコピーは、非常に的を射たものだと感じさせた。映画「オールド・フォックス 11歳の選択」の紅海を前に、シャオ監督は「この映画は『選択』に関する作品です。日本の皆さんが気に入ってくれたらうれしいです」と笑みを浮かべ、穏やかに呼びかけた。

(よろず~ニュース・山本 鋼平)

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