[オフィスの窓から]アワ栽培 助け合い育む 中曽根直子

 八重山の民謡や神歌にたびたび登場する「ユバナウレ」という言葉の意味をご存じだろうか。民俗学の本をひもとくと、「ユバナウレ」は漢字で「世は稔(みの)れ」。なんと「稔れ」は「直れ」の意味を持つのだそう。

 つまり「ユバナウレ」とは、五穀豊穣(ほうじょう)であれば世の中が良くなると言っているのだ。これには感動した。先人たちは人が生きる上で要となる食べ物は何であるかを、祈りの歌に託して私たちに伝えてくれていたのだ。

 五穀豊穣の本当の意味に気付いた私は、雑穀栽培を未来につなげていくため、8年前、沖縄雑穀生産者組合を立ち上げた。

 そもそも沖縄に雑穀はあるのかと問われることがある。

 私が店を始めた13年前は、波照間・渡名喜・粟国でもちきび栽培が盛んに行われていた。奥武島ではおそらく今も在来の高キビ「トーナチン」が栽培されている。高キビは昔はカーサムーチーの餅に使われていた。

 これらの雑穀は「食べたい」という理由で今日まで栽培され続けてきたが、アワはちょっと違う。アワは島々を探し歩いても栽培者が見つからず、調べてみると、地域の祈り手である神司がその種子を守ってきたことが分かった。つまりアワは「祈り」と関わる聖なる作物だったから、その種子を残すことができたのだ。

 アワの祭りで有名なのが、竹富島の種子取祭(タナドゥイ)だ。祭りで必要なアワを半世紀近く栽培してきた前本隆一さんから話を聞くチャンスを得た。

 「竹富島は昔は一面のアワ畑だったよ。アワのかゆやアワのみそ、高キビの餅はとてもおいしかったよ」。島の人々はアワを栽培することで助け合いの心を育み、祭りを通して一つになっていたことも分かった。

 前本さんが語る昔の竹富島は、私には弥勒世そのもののように思えた。こうした先人の教えに導かれながら、私は今、再び沖縄に一面の雑穀畑をよみがえらせようと奮闘中である。(浮島ガーデン店主)

次回は照屋ゆきの氏(照屋食品社長)です。

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