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井原市出身の実業家で“東洋のビール王”と呼ばれた馬越恭平(1844~1933年)をもっと知ってもらおうと、出身地・木之子町地区の二つの住民団体が連携して顕彰活動に取り組んでいる。誕生月の11月には生誕180年の節目を記念した講演会を企画するなど、メモリアルイヤーを盛り上げる。
「馬越恭平翁顕彰会」と「まちづくり協議会」。約70年にわたって地道に取り組みを続けてきた顕彰会が、昨年の没後90年を機に活動の活性化を図りたいと、地域づくりに尽力する協議会に呼びかけてタッグを組んだ。
今年4月末には理事会を合同開催し、11月に研究者を招いた記念講演会を市内で開くことを決めた。詳細は今後詰める。このほか、生家跡に残る門の活用、地域行事を通じた啓発といった検討も進める。
顕彰会は、木之子公民館になっている生家跡の保存や命日(4月)に合わせた地元・三光寺への墓参などを行っており、公民館内の記念館では毎年、木之子小4年生の見学を受け入れている。
ただ、幅広いアピールにはつながっていないといい「新しい住民、特に保護者世代への浸透が必要」と公民館長で顕彰会副会長の内田正美さん(76)。顕彰会の井上晴正会長(76)は「協議会と協力して恭平翁の足跡を広めたい」と話す。
馬越恭平は三井物産に入社してビール業界の経営統合を進め、全国7割のシェアを占めた大日本麦酒(現在のサッポロビール、アサヒビール)の初代社長を務めた。地元に対しても、氾濫を繰り返していた稲木川を私財を投じて拡幅するなど大きな貢献を果たした。
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