『光る君へ』金田哲はカッコよさの中に“悲哀”を込める “死に様俳優”としての美しさ

NHK大河ドラマ『光る君へ』における藤原斉信(金田哲)は、あまりカッコいい役柄ではない。

出世欲のかたまりかつ風見鶏である。藤原伊周(三浦翔平)・隆家(竜星涼)兄弟の「長徳の変」がここまでこじれたのも、斉信のせいだ。2人を失脚させ、ちゃっかり後釜に座った。

プレイボーイを気取っているが、清少納言(ファーストサマーウイカ)には逆にもてあそばれている。「あのこざかし気な鼻をへし折ってやる」とか言ってたくせに、「1回寝たぐらいで自分の女みたいに言わないで」とか言われている。こんな一昔前のトレンディドラマみたいなやり取りが、1000年の昔からすでにあったことが感慨深い。

「F4(藤原4)」の他の3人がみんないいヤツであるため、より斉信の器の小ささが際立つ。それでいて嫌われず、やがて「四納言」の1人となる。なんだかんだでこれからも道長(柄本佑)を支え続けることとなる。

……ただ、この藤原斉信役のみで、俳優・金田哲を判断してしまっては非常にもったいない。金田哲が本当は大変カッコいい俳優であることを、啓蒙したい。カッコよさの中に「悲哀」を表現できる、稀有な俳優であることを知らしめたい。決して「ズクダンズンブングンゲーム」だけの男ではないのだ。

「カッコ良く、やがて悲しい金田哲」を知るには、原田眞人監督、岡田准一主演の2作を観るといい。『燃えよ剣』(2021年)と『ヘルドッグス』(2022年)である。

まず『燃えよ剣』だ。新選組隊士の1人、藤堂平助を演じている。この藤堂は、新選組結成以前、田舎剣法・試衛館時代からの仲間だ。隊長・近藤勇(鈴木亮平)、副長・土方歳三(岡田准一)らの古くからの同志である。

戦いの途中で刀の折れた土方をかばうシーンでは、沖田総司(山田涼介)とペアになって戦う。つまり、沖田と同じく土方の弟分的立ち位置だ。かの有名な池田屋事件の時は、今度は藤堂が深手を負う。それをかばう土方にあらがい、血まみれでなお戦おうとする姿は、美しかった。

そんな藤堂だが、近藤・土方らの隊内対抗勢力である伊東甲子太郎(吉原光夫)派に傾倒して行き、新選組を離脱する。新たに御陵衛士となった彼は、やがて土方と対峙することとなる。数合斬り結んだ後、土方は藤堂の腕を立ち関節で折り、そのまま背を向けて立ち去ろうと歩き出す。それでもなお片腕で斬りかかろうとする藤堂を、土方は振り向き様に斬って捨てる。

この作品で「鬼の副長」となってからの土方は、基本的に表情を顔に出さない。だが立ち去ろうとした時の背中には、「俺はお前を殺したくないから、このまま逃げてくれ……」という哀願がこもっていた。かつての兄貴分に殺される藤堂が、悲しくも美しいシーンである。

続いて『ヘルドッグス』だ。この作品で金田が演じるのは、武闘派暴力団・東鞘会の若頭・三神である。「金田哲がヤクザ役」と聞いて大方の人がイメージする通り、インテリヤクザである。映画では詳しく言及されないが、深町秋生の原作では、ヤクザなのにケンカが弱いことにコンプレックスを抱いている。そのくせ、言うことは威勢がいい。

「たとえ会長が許しても俺は許さねぇからな、このクソボケが。お前のケツの穴まで掘り返して、精進落としの余り物詰め込んでやらぁ」

これは、岡田准一演じる兼高の失態へのタンカである。ヤクザらしくない独特の高音(もしかしたら、これもコンプレックスかもしれない)によるまくし立てが、小気味よい。

最期は兼高の弟分である室岡(坂口健太郎)に、仲間割れの末、殺される。その際の、彼のセリフがあまりにも悲しい。

「兼高が入って来るまで、俺たちうまくやってたじゃねーかよ!」

元々室岡は、三神の弟分だった。しかし兼高が(実は潜入捜査官として)東鞘会入りしてからは、室岡は兼高の弟分となる。そして、兼高と対立している三神と距離を置くようになる。三神が兼高を目の敵にするのは、かわいい弟分を横取りされた恨みもあるのではないか。

原田監督作には、ブロマンス要素の強い作品が多い。この作品も、兼高と室岡、あるいは兼高と会長・十朱(MIYAVI)とのブロマンスが強調されている。だが実は、三神と室岡のブロマンスにも注目してほしい。「ブロマンスのやきもち」、あるいは「ブロマンス三角関係(十朱を入れたら四角関係)」と、ブロマンスがこじれるといかにややこしいかがわかる。

かつての弟分から濃厚な“死の接吻”を受け、らせん階段から突き落とされる。木の葉のように落ちていくさまも、なぜか美しい。

意外に思われるかもしれないが、金田哲はこのように「死に様俳優」なのである。悲しくも美しく死んでいく俳優は、ハードボイルドには不可欠だ。筆者は、これからも金田哲の死に様を追いかけたく思う。

ただ、今演じている藤原斉信は、史実通りならまあまあ長生きした末に畳の上で死ぬ。誰にも殺されない。大変喜ばしいことだが、残念極まりない。
(文=ハシマトシヒロ)

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