<日本人の忘れられない中国>上海行きに絶望、でも実際に住むと想像とは180度違った!

中国語がもっと上達したら中国人には中国語で日本の良さを、日本人には日本語で中国の良さを多言語を使って伝えていきたい。写真は上海駅。

2023年3月27日、私は現地校の高校に入学した。11歳のあの頃の私に想像できただろうか。

私は小学6年生になる春に上海に来た。5年前の9月頃、父から「来年の3月から中国の上海に転勤することになった」と伝えられた瞬間、深い絶望感に襲われた。今まで仲良くしていた友達と離れることや楽しみにしていた来年の修学旅行に行けなくなるのがとても嫌で私は行きたくなかった。しかし、まだ私は小学生。一人で日本で生活する力はあるはずもなく、両親に仕方なくついていくことにした。

この頃、上海に来る前の印象といえばマンホールが落ちたり建物が崩れたりなど、たくさん事故や事件が起こっていたので危険な国だと思って不安ばかりでドキドキしていた。初めての海外生活。言語もわからないため不安に駆られる毎日だったが、とうとう3月になり実際に上海に住んでみると想像とは180度違った。実際はマンホールも建物も安全で、街の至る所やショッピングモールにたくさん防犯カメラが設置されていて防犯面も安全だった。

さらに驚いたのは、中国人の国民性だ。みなとても積極的でコミュニケーション好きな人が多く、日本語を喋っていたらタクシーのおじさんが「何人?どこから来たの?」や「日本が好きです。日本語教えて」と外国人の私にたくさん話しかけてくれた。この時に私は海外の方が日本語に興味を持ってくれていることにとても嬉しくなった。

この頃は全く中国語が読めも話せもしなかったため、中国で使うと便利なアプリも知らなかった。だからお店で物を一つ買うのにもとても時間がかかり翻訳アプリが手から離せない状態だった。買い物をする時やタクシーに乗るときに以前は発音を間違えてしまいそうで失敗を恐れ、翻訳アプリや身振り手振りを使ってコミュニケーションをしていた。中国でタクシーを呼ぶアプリを知らなかったので、道で手を挙げて通りすがりのタクシーを止めて捕まえていた。だが、友人にタクシーの呼び方やお店でよく使うフレーズを教えてもらったおかげでだんだんとお店の人の話を理解できるようになった。現地の方達と会話をする時も、発音を間違えてもいいから中国人の国民性を見習って自分の口から積極的に中国語を使ってコミュニケーションをとっていこうと決意した。

そこから私は中国語教室に通い始めた。そこで学んだことを日常生活の中で活用し、翻訳なしで通じたのが嬉しくて嬉しくて仕方なかった。こうした体験のおかげで私は「中国語の勉強を頑張って友達をたくさん作り交流の輪を広げていき、高校3年間で中国語を勉強してHSK6級を取得し、日本に帰り大学受験をするときや将来就職する時に活用できるように引き続き頑張っていきたい。」という大きな目標ができた。これらをきっかけに中国語に興味を持ったおかげで上海の現地校に入学するきっかけともなった。

それは、友人の母からの紹介だった。父の仕事の都合で私は高校2年生頃に日本へ帰らなくてはならなかった。せっかく上海で生活しているのに中国語を全く習得せず、現地の子達とも交流せずに日本に帰るのは勿体無いなと思っていた。その時にちょうど中国語が話せる友人の母が現地校のその学校を勧めてくれて、たくさんの情報を教えてくれた。私はそれを聞き、そこで中国語を頑張って習得したいと惹かれた。今までの私だったら中国語だらけの現地校に行くという高い壁には向かっていなかったと思う。これからはもっと新しいことに挑戦してどんどん得意なことを増やしていきたい。

入学してまだ2カ月目。授業は全て中国語なので大変な面はあるがだんだんとその環境に慣れてきた。この学校に入ってから現地の中国人の友達もできた。私の中国語力はまだまだだが以前の目標だけでなく、「歳の離れた弟に中国語を教えられる能力をつける」という新しい目標にも向かっていきたい。

私が上海に来る前と同じように未だに中国の印象を悪く思っている日本人が多数いると思う。私自身も日本に住んでいる友達に「中国って危ない国なんでしょ……?大丈夫?」と心配されることが多々あった。また、私の友人は日本の学校に転校した際に中国から来たというだけで差別発言をされたという。だが、実際に行ってみなければわからない良さというものがある。現地で生活していた私が、上海で生活していて学んだことを日本に帰国した際に伝えていければいい。私は中国語がもっと上達したら中国人には中国語で日本の良さを、日本人には日本語で中国の良さを多言語を使って伝えていき、弟のような中国語初心者に簡単な言語も教えたい。そうやって少しでも偏見をなくしていき、日中友好の架け橋になれれば嬉しい。

私の将来の夢は中国語を使った職業に就き、海外に出て活躍することだ。その夢を叶えるために私は中国語の勉強を頑張っている。

■原題: 中国人には日本の良さを、日本人には中国の良さを

■執筆者プロフィール:中村 優芽(なかむら ゆめ)高校生

2007年生まれ。父の転勤に伴い11歳から12歳まで上海に在住、コロナの影響で上海に帰れず、2年間の国内生活を挟んで再び上海に戻る。上海に住んでいるうちに中国語に興味を持つようになり、高校からは中国語を本格的に学ぶために現地校に入学。

※本文は、第6回忘れられない中国滞在エピソード「『香香(シャンシャン)』と中国と私」(段躍中編、日本僑報社、2023年)より転載したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。

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