娘が覚醒する日

城間陽介・社会部

  「不登校」。30代半ばの記者が小学校に通っていた頃、学年に1人いるかいないかぐらいで、みんな学校に行くのは当たり前だった。行きたくないのは本人の怠けだとみられた。

 時代は大きく変わっている。不登校の児童生徒は全国的に右肩上がりで、フリースクールや家庭教育はもはや珍しくない。小学2年の次女は入学式とその後の1カ月ぐらいしか学校に行っていない。ピカピカのランドセルを投げ捨て、学校を飛び出した時には登校は無理だと半分諦めた。しばらくの間、行けない娘と行かせることができない自分を責めたし、前日から遠足の準備をして翌朝学校へ行くもバスに乗れなかった日、妻は泣いた。他のきょうだい2人は普通に登園登校するのになぜこの子だけこうなったのか。

 

 こども園の時から兆候はあった。渋々通っていたが、運動会や学習発表会になると体を硬直させて立ち尽くした。恥ずかしがり屋、人見知り―。最初はそういうものと軽く考えていたが、園で次女の声を聞いた者がいないと知り 驚愕(きょうがく)した。困ったときに声を出して助けを求めなければ、時として致命傷になりうる。あまりにも度を超えていると思い、児童精神科を訪ねた。

 おそらくは「場面緘黙(かんもく)」と自閉スペクトラム症の合併と思われた。場面緘黙とは社交不安障がいの一種。聞き慣れない症状だ。調べると、特定の社会的場面で黙り込み、体が硬直して動かなくなるといい、ひどい場合はトイレや食事もできないほど、他人の何十倍もの緊張を感じてしまう。

 その一方で、家庭内や近しい友人らとは普通におしゃべりし、笑う。次女は家ではひょうきんな一面すら見せる。外と内の落差が極端なのだ。

 先日、場面緘黙親の会が主催する講演会に出かけた。県内各地から大勢が詰めかけ会場を埋めた。こんなにも多くの悩める親や教育関係者がいるのかと驚き、同時に共有できる人の存在に安堵(あんど)もした。

 講演で、場面緘黙の子どもたちは生まれつき、不安を感受しやすい脳神経を持っていると説明があった。緊張の度合いは場面場面で異なり、比較的緊張の程度が軽いものから徐々に慣らしていくリハビリが必要なのだと教わった。

 主催者で重度の場面緘黙の子を持つ父親は「私の娘は公の場で助けを求めたくても求めることができない。時として命にも関わる問題。家庭で見せる個性を外で発揮できないこの症状を、個性と呼ぶことはできない」という趣旨を切々と語った。本当にそうだ。

 不登校に至る事情はさまざまであるが、次女のように場面緘黙が主要因の場合、人前に出ることを脳が不安に感じ拒絶するので、フリースクールや放課後デイサービス、塾、その他習い事も参加が容易でない。家庭外で人とコミュニケーションを取ることのハードルは極めて高い。

 場面緘黙に限らず、人は信頼している人の前では素の自分をさらけだす。人への信頼がベースにあれば、自分は大丈夫だと自信につながり、大勢の中でも堂々としていられるのだろう。 菓子作りが大好きな次女はおいしいチーズケーキを作って食べさせてくれる。すでに得意とするものがあるので、それをどう自信に変えていけるか。覚醒する娘の姿を想像しながら、あの手この手でお膳立てを頑張っていきたい。

写真説明 次女が作ったミニドーナツ。家では勉強の合間に菓子作りが日課となっている

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