平泉成「俺の時代が来たな」“征”→“成”の変更は「波風の立たない“成”のほうがいいと思って」

平泉成 撮影/三浦龍司、ヘアメイク/石下谷陽平

役者生活60年目にして、初めて映画に主演する平泉成さん、80歳。日本を代表する名バイプレイヤーとして、昭和・平成・令和で常に第一線で活躍し続ける平泉さんには、いくつものTHE CHANGEがあった。【第2回/全5回】

1964年に役者としての活動をスタートし、今年でキャリアは60年目。重厚な役者人生のなかでのTHE CHANGEを問おうとすると、まずは懐から取り出した、ミニサイズのキャンパスノートに目を落とす。

ーーいつもメモを取っているんですか?

「そんなことないですよ。いろいろなことがあったので今回の取材は特に緊張しますね。年、取ってきたからね。なんか聞かれても、シュッと答えられねえなあと思って」

ーーそんな、年齢は感じさせません。

「なかなか言葉が出てこないからさ。ほんとうに必死で書いてきたんですよ」

そう謙遜しながらも「質問されて、“別に……”とか言わないようにさ」と、軽口を交えて場を和ませてくれる平泉さんに、改めて「これまで、どんな転機がありましたか?」と聞くと、「ちょっと出てこないけど」と言いながら、1秒後。

「いま急に出てきた」

芸名を変えるきっかけになったできごと

ーー出てきましたか!

「先輩の川地民夫さんから連絡が入り、“家にいるので、ちょっと顔を出さないか……いま、みんなで、征のことを占いで見ているんだけど、あまりよくない占いが出ているよ!?”と」

川地民夫さんは1958年、石原裕次郎さんの家の隣に住んでいたことが縁で日活入りし、小林旭さん、沢本忠雄さんとともに「三悪トリオ」として重宝され、70年代には東映作品『まむしの兄弟』シリーズで人気を博した、芸歴では平泉さんの先輩に当たる役者だ。

「驚いた僕が、川地宅にお邪魔すると占い師さんのような方がいて、“平泉という姓はいいけど、征の名を変えないと病気になるかも”と言うんです。

デビュー直後の2年は本名で活動し、1966年からこれまで『平泉征』の芸名で活動をしていました。困惑しながらも、家に帰りよくよく考えてみました。“征”は争いごとなど穏やかでない意味合いが強く、もめ事を連想させる。代わりに、“成”は読み方も同じで“平泉が成る”となる。40も過ぎていたので、攻撃的な“征”よりも、波風の立たない“成”のほうがいいと思っての決断でした」

「俺の時代が来たな」

そして1984年、飲みの席での出来事をきっかけに、「平泉成」に改名した。ちょうど所属事務所も移籍し「よーいスタートな気分」で以降の仕事に挑んだ。

平泉成 撮影/三浦龍司

自身の右上に額縁を掲げるような仕草をする平泉さん。再現するのは、1989年1月7日。「小渕恵三官房長官(当時)が新元号『平成』を発表した瞬間をテレビで知ることとなりました」と続ける。

「真ん中に“泉”を入れたら“平泉成”じゃん。そのとき”俺の時代が来たな”と思った。それが、ひとつの大きなきっかけになりましたよね」

ーー芸名が変わると、マインドも“征”から“成”に変わるものでしょうか。

「ええ、穏やかになりましたね。仕事も穏やかで、良心的な役どころを意識してきましたね。意識的に穏やかになったような気がして、穏やかな役をたくさんやれたんじゃないかと思うんだけど、それがきっかけでしたね」

ーー平泉さんといえば、人情味あふれる穏やかな刑事、というイメージがあります。

「蹴り飛ばしたり殴ったり、そういう体力はもうなくなっていたしね。穏やかに諭す刑事ね、そういうの、テレビドラマでたくさんやりましたかね」

まさに、名前が現在の平泉さんを「成した」のだ。不思議な出来事である一方、仕事が好転したことは、平泉さんの実力が成したといえよう。

ひらいずみ・せい
1944年6月2日生まれ、愛知県岡崎市出身。高校卒業後、ホテルに就職。大映フレッシュフェイスに応募、1964年第4期ニューフェイスに選ばれる。その後、大映作品に出演、1966年『酔いどれ博士』で映画デビュー。1971年の大映倒産とともに活動の場をテレビドラマに移行。1984年から現在の芸名“平泉成“に改名。以降、作中で存在感を放つバイプレイヤーとして名を馳せる。その特徴的な声と唯一無二の人間味が、多くの人にものまねされることになり、世代を超えて支持されている。

© 株式会社双葉社