松岡城跡、憩いの場に 茨城・高萩 地元住民ら整備に力

木や雑草を切り、見晴らしが良くなった頂上付近の山道=高萩市下手綱

■堀切、切通し 山城の趣再現へ

茨城県高萩市下手綱の松岡城(竜子山(たつごやま)城)跡を市民の憩いの場や郷土史を学ぶ場にしようと、地元住民ら約30人が整備に取り組んでいる。2018年から作業を開始し、生い茂った草や木を切り、遊歩道や案内板を整備。現在は堀切(ほりきり)や切通(きりどお)しと呼ばれる敵の侵入を防ぐための設備や高台からの見晴らし改善といった山城の趣の再現に力を入れている。

市生涯学習課によると、竜子山城は室町時代、松岡の地を治めていた大塚氏が建築。関ケ原の戦いで武功を挙げ、松岡に領地替えになった戸沢政盛が1606年に改築、名を松岡城と改めた。標高57メートルの竜子山に本丸や二の丸も築かれたという。ただ、近年は草木が生い茂り、当時の趣が失われていた。

こうした状況で、同県日立市を中心に森林や公園の環境整備に取り組んでいた「常陸きこりの会」が2018年9月から作業を開始。この様子を見ていた地元住民も触発され、地域の宝を大切にしようと、作業に参加。現在は「松岡城址公園を希求する会」を組織し、平均年齢約70歳の両会員が毎月最終土曜日に共同で整備に取り組んでいる。

両会員は通行に支障を来す草や木、竹などをチェーンソーやのこぎりで切り倒し、遊歩道を整備。竹林に囲まれた美しい山道を楽しみながら山頂までウオーキングができるようにしたほか、本丸や二の丸の跡に看板を設置したり、切った木をベンチにして設置したりするなど城跡を楽しめるようにした。

現在は山頂付近の遊歩道から見える眺望や、尾根の一部を数メートルの深さに切り取った堀切、山の斜面に造られた通路である切通しの整備に注力し、雑草や枝などを伐採。希求する会によると、切り開けば北は阿武隈山脈、東は太平洋、南は城下町、西は高萩市街や土岳が見えるという。また、堀切や切通しは進軍を止めたり、石を転がしたりするなど攻撃にも役立ったといい、山城としての特徴を再現したいという。

希求する会の松田正弘代表は「山頂まで登ってもらい、高萩市内を一望できるようにしたい。夏場は大変だと思うが、頑張っていきたい」と意気込む。きこりの会の小栗貞夫会長は「歴史的な由緒のある所なので、一般の人にも広めて、案内できるようにしたい。頂上からの景色が楽しみ」と笑顔を見せた。

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