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ゼノ修道士は終戦後、行く先々で子供たちを並ばせて飴や物資などを配る活動をしました。そしてその様子を新聞記者たちに記事にしてもらい、その記事を持ち歩いて、寄付を募ったり、役所に行って交渉をしました。
ある兄弟は、ゼノ修道士が修道院の自室にこのような記事をびっしりと張り付けたスクラップブックや未整理の新聞が山のように積んであるのを見かねて、「これでは傲慢の罪になる」と心配し、全て燃やしてしまいました。
そのことを知ったゼノ修道士は笑いながら冗談を言いました。「焼けたものコレ修道院ゴウマンだけ。スクラップまだ同じくらい、方々預けてあるから大丈夫。残りのゴウマンと焼けたゴウマンとみなで十万だったでしょうか。」
ゼノ修道士は時に「売名家」と非難されたり、周りの理解を得られないことがありましたが、一貫して戦災孤児や生活困窮者のための救済活動を続けていきました。
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