「具体と抽象」なぜ今トレンドに? ベストセラー著者・細谷功氏に聞く、思考を整理する方法

■具体と抽象ってどういうこと?

「ものの考え方」の根本的なテクニックとそこに込められた思想が学べる書籍として話題となっているのが、ビジネスコンサルタントの細谷功氏の著書である『「具体⇄抽象」トレーニング 思考力が飛躍的にアップする29問』だ。低年齢向けに書かれた『13歳から鍛える具体と抽象』も出版されており、こちらも昨年の出版以来ロングセラーとなっている。

ビジネスパーソンから学生に至るまで、思考を整理するための手掛かりとして静かなトレンドとなっている「具体と抽象」をめぐる一連の書籍。これらの本は何を訴えようとし、具体と抽象を行き来する思考にはどのようなメリットがあるのだろうか。著者である細谷氏に、改めて「具体と抽象」を用いた思考について語っていただいた。

──これまでのご著書にも書かれていることではあるのですが、「具体」と「抽象」という概念について、ここで初めて触れるという方に向けて改めてご説明いただければと思います。

まず、皆さんは「具体と抽象」という言葉から何を連想するでしょうか? 「具体」という言葉が使われる機会は、例えば「具体的に言うと」とか「もっと具体的にしてください」といった形で、「ふわっとした言葉」をもう少しわかりやすくして欲しいときに使うことが多いと思います。

──そうですね。ふわっとしてつかみどころがない概念をわかりやすく理解するために「具体的にする」という操作が挟まる……というイメージだと思います。

逆に言うと、ここで「ふわっとした」と表現したもの、それこそが「抽象的なもの」ということになります。このように、「具体と抽象」という言葉がよく登場するのは「わかりやすい具体」と「わかりにくい抽象」といった場面が多いかと思います。ただしこれでは「具体と抽象」、特に「抽象」に関してはほんの一部しか理解していることにはなりません。特に抽象がもっている「とんでもない長所」については、解説が必要だと思います。これは、最も基本的な「具体と抽象」の関係を図示したものです。

──「野菜」という概念の下に、きゅうりやにんじんといった具体的な野菜がぶら下がっていますね。

皆さんよくご存じのきゅうりやニンジンやナス、玉ねぎ、トマトといった個別の具体的なものをまとめて私たちは野菜といいます。でも考えてみれば、「野菜」というものそのものは存在するわけではないし、「野菜(というもの)の絵を描いて」と言われても、「その具体例」はいくらでも描けますが、「野菜そのもの」を見てわかるように描いたり、触ることができるように存在させることは実は不可能ですね。

──例えば、いろいろな野菜をたくさん描いて「これが野菜です」といったところで、それは「にんじん」や「きゅうり」や「なす」がたくさん描いてある絵でしかない……ということですね。

これらの関係から、もう少し「具体と抽象」の関係が見えてきます。それらを簡単に比較表にまとめます。

■「具体と抽象」の関係は?

ここでは野菜を例にとりましたが、同様に「果物」や「動物」、あるいは「お菓子」でも「フランス料理」でもまったく同じように「個別の具体」と「まとめた抽象」という関係はいくらでもあげられるでしょう。

──「自動車」とか「玩具」とか、言われてみればそういう関係はどこにでもありますね。

これらの「野菜」や「果物」という言葉が「抽象」ということになるわけですが、「抽象の威力」を知るためには、「健康」や「平和」と同じように「それがなくなったら」と考えるのが簡単です。要は抽象がない世界とは言葉がない世界と同じと考えてよいでしょう。あまりに当たり前になっていて考えたこともないかもしれませんが、ほとんどの言葉は抽象に属するもので、これは他の動物にはない人間ならではの知性を反映したものです。同様に「数」や「お金」もすべて「抽象(化)」という人間だけが持っている知性の産物です。

──それはどういうことでしょうか。

「数」について言えば、例えば「靴下が3足あっても、机が3脚あっても、数はどちらも"3"」と考えることができるというのは、抽象化が間に挟まっているからです。靴下も机も本来は互いに全く関係のない物体ですから。同様に、「同じ500円で売っていれば、肉でも野菜でもコーヒーでも全部"500円の品物"と捉えることができる」というのも、個々の品物を抽象化してお金という概念でまとめて理解しているから可能です。動物の世界には言葉も数もお金も人間と同じレベルでは基本的には存在しませんから、これは人類だけが獲得した能力といえます。

──なるほど。普段は全然意識していませんが、雑多な物事の一部をピックアップして、共通点をまとめたり違うものを見つけ出したりすること自体が、人間特有の能力な訳ですね。細谷さんの『「具体⇄抽象」トレーニング 思考力が飛躍的にアップする29問』がロングセラーになっていることからも現代においてこの「抽象」という概念のニーズが高まっているように思います。

いくつかの観点から、確かにニーズは高まっていると思います。その主な要因としてふたつ挙げると、まずひとつには社会、特にビジネスのニーズが「知識」から「思考」に相対的に移ってきていることがあると思います。その理由としては、おもにVUCAの時代と呼ばれるような、変化が激しく過去の延長に未来がない時代であることがあげられると思います。もうひとつの理由が、デジタルや金融など「見えない世界」の重要性がますます上がってきていることですね。これらの「見えない世界」の正体のひとつが「抽象」なんです。

──それはどういうことでしょうか?

「お金の世界」が、根本的に抽象の世界であることは先ほどお話した通りです。確かに「お札」は眼に見える具体的な物体かもしれませんが、でも今やお金はそのほとんどが「データ」に置き換わっていますよね。そういったデータが行き来している金融の世界も、人間が具体的なものとして手に取ることのできない抽象の産物といえます。また、デジタルの世界が抽象であるという点については、Amazonなどネット販売のビジネスが一番わかりやすい例だと思います。Amazonなどが提供しているのは確かに本や日用品のような具体的な商品かもしれませんが、実際にやっている業務の大半はデジタルデータの処理です。

そうであるがゆえに「まとめて同じ」オペレーションで「ありとあらゆるもの」を取り扱うことができるわけです。先ほどの野菜の図のような形で、具体的な個々の商品は全て「Amazonの取り扱っている商品」という形で抽象化されているから、同じオペレーションで取り扱うことができる。このように、現在の私たちの社会は「見えないもの」にかなりの部分を司られています。そういう社会だからこそ、「抽象」という概念へのニーズは高まっていると言えます。

──具体的な物品を抽象化してデータにすることで、現在の世の中は回っているわけですね……。もうひとつ昨今では、脚本の原作改変やパクリなどが社会問題となっています。こういった問題にも関係する、「自由度」や「アナロジー」について先生のご意見をお聞かせください。

「社会問題」の方に関しては、当事者でないので一般論として第三者的に論じるのは控えます。ただ、改変やパクリについて一般論として語れるのは、「真似をする」には具体レベルと抽象レベルがあり、この軸をもって論じる必要があることだと思います。見た目が違うが抽象度の高いレベルでの真似が「アナロジー」で、これはアイデアの源泉となりますが、具体レベルの高い真似は状況に応じては「剽窃」ということになって問題が生じる……ということだと思います。

──作品の内容を一旦正確に抽象化して、そこから別の具体に降ろす……という形ならば、改変やパクリといった誹りは受けにくいですよね。ただ、こういった原作改編などについては、メディア側の「具体的なわかりやすさ」一辺倒の姿勢が原因だとも思います。テレビや本など、全てが具体化してわかりやすくなってきている世の中で、あえて思考を抽象化するためには何が必要でしょうか?

「思考を抽象化する」というよりは、「抽象化によって思考する」という表現の方がベターかと思います。具体化することのメリットは大きくふたつで、解釈の自由度が減って万人にわかりやすく誤解が少なくなること、そして実行につながる現実的な形で訴えられることです。半面のデメリットとして、具体的に考えると視野が狭くなって応用がきかなくなります。そうならないため、抽象化して多くの範囲にひとつの事象や経験を応用させることが、人間の知恵の源泉なのです。

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