市立船橋で一時代を築いた名将が高校サッカー界で再出発。朝岡隆蔵監督がふたば未来学園で描く新たな未来

都内から車で約3時間。福島県のいわき市を越え、さらに奥にある広野町で新たなスタートを切った男がいる。市立船橋で一時代を築き、今年4月から、ふたば未来学園で監督を務めている朝岡隆蔵氏だ。

現役時代は布啓一郎監督が率いる市立船橋でプレーし、同校初となる選手権優勝に貢献。日大に進学し、卒業後は指導者の道に入った。

教員として子どもたちと向き合う日々を過ごしながら、千葉県内の公立中学校やジュニアユースのクラブで監督を歴任。そして、2008年に母校の教員となり、石渡靖之監督(現・東邦総監督)のもとでコーチとして強化に携わった。

11年に指揮官となり、就任1年目にいきなり選手権を制覇。ここから黄金時代を築き上げ、13年と16年にはインターハイで全国優勝に導き、選手に寄り添った指導をベースに辣腕を振るった。

また、多くの選手をプロの世界に送り込んできた。就任1年目の選手権制覇に経験したMF和泉竜司(名古屋)はその代表格。16年度のインターハイ制覇に2年生ながら貢献したDF杉岡大暉(湘南)、DF原輝綺(清水)の代は最もインパクトがあり、彼らが最終学年で迎えた17年度の選手権本大会1回戦・京都橘戦で先発した11人のうち、杉岡と原を含めて実に7人の選手がJリーガーになった。

19年度いっぱいで退任したため、2年次までしか指導できなかったが、DF畑大雅(湘南)、MF鈴木唯人(ブレンビー)も教え子だ。

市立船橋を去ってからは新たな道へ進み、19年4月に千葉U-18の監督に就任。Jクラブの育成組織で経験を積み、昨年は中国の成都市サッカー協会アカデミーU-18で指揮を執った。

そして朝岡氏は今年の4月から日本サッカー協会の派遣で、ふたば未来学園の監督に就任し、再び高校サッカーの世界に舞い戻った。

「元々、千葉を辞めたタイミングではトップチームを考えていたんだけど、中国での挑戦が終わってからは並行して大学も視野に入れていたんです。いくつかの大学とも話し合っていたんですけど、カゲさん(影山雅永技術委員長)からいただいたので」

なぜ、高校サッカーに戻ることを決断したのか。朝岡氏は言う。

「タイミングが合ったというのも大きいけど、カゲさんを昔から知っていた。市立船橋時代にカゲさんはうちの選手をよく代表に呼んでくれていて、そういう信頼感がある人からの話が一番大きかった。カゲさんに誘われたらというのはあったし、結局ジェフの時もそうだったけど、誰とやるかが一番大事だったので」

高校サッカーではない世界で勝負する意向を持っていたため、葛藤もあった。だが、後悔はしたくなかった。

「さすがに悩んだ。返答のタイミングも早かったけど、この話を断ったら後悔するだろうなと思ったんです。やっぱり、こっちをやっておけば良かったと思うんじゃないかなって」

S級ライセンスを保持しており、大学サッカーだけではなく、プロの世界で勝負する道もあったはず。それでも将来的に日本サッカー協会の仕事に関わることができる可能性も含め、昔からお世話になっている人からの誘いは魅力的で、朝岡氏の心を揺さぶった。

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ふたば未来学園は福島県の県立高校で県リーグ1部の所属。「真の国際人として社会をリードする人材の育成」を基本目標とする関係団体(福島県、双葉郡各町村、日本サッカー協会等の競技団体、大学等)の連携により、06年度にスタートした人材育成プログラムである双葉地区教育構想(双葉地区未来創造型リーダー育成構想)のモデル校としてスポーツに力を入れているが、サッカー部の実績はまだない。チームの最高成績は福島県ベスト8。市立船橋や千葉U-18で采配を振るった時とは異なり、選手獲得の面も含めて、やるべきことは多い。

「3種のチームと連係しながらチームを作っていく。いわゆる強豪校になるための土台を作るところからやらないといけない」

選手の指導だけではなく、中学生のスカウティングも一からのスタート。今までに築き上げてきた人脈を活かしながら、選手の発掘に力を入れてチームの強化を進めている。

5月下旬のインターハイ予選は、2枠の出場権を懸けて県大会を戦ったが、初戦で敗退。福島ではU-18高円宮杯プレミアリーグEASTに籍を置く尚志などが鎬を削っており、全国舞台までの道のりはまだまだ遠い。

だが、朝岡氏は近い将来の飛躍を目論んでいる。選手たちと膝を突き合わせ、新たな環境での戦いに闘志を燃やす。高校サッカー界で一時代を築いた名将の戦いはまだ始まったばかりだ。

取材・文●松尾祐希(サッカーライター)

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