山梨県大月市に「仙人」がいた!25年間続けたサバイバル生活 戦争で妻、息子を失い自給自足

俗界を離れて山の中に住み、人間離れした超能力や神通力を持つという「仙人」。その正体は神や妖怪に近い存在とも言われている。

東京駅からJR中央線電車で山梨方面へ2時間ほど進むと鳥沢という山梨県大月市内の駅に着く。近くには高畑山という標高1000mほどの山があり、都心からのアクセスが良い事もあり登山客に人気が高い。実はこの高畑山には昭和時代の一時期「本物の仙人」が住んでいたという。

仙人の痕跡は鳥沢駅ホーム内に建てられた看板にも記録されていた。看板には「その昔仙人が住んでいた名残を感じる事ができる」とハッキリと書かれており、まるで神話時代の話にも聞こえるかもしれないが、この「高畑山の仙人」が住んでいたのは今から僅か50年ほど前の話だという。

昔の新聞や雑誌を調べてみると高畑山の仙人は終戦直後の1945年(昭和20年)から1970年(昭和45年)までの25年間に渡り、高畑山の尾根に建てた小屋にて自給自足の生活を続けていた一般人であった。

仙人の本名は「天野博英」といい1893年(明治26年)前後に高畑山近くの村で生まれた。実家は裕福な農家であり、成人後は結婚し3人の子宝にも恵まれたが、第二次世界大戦が彼の人生を狂わせた。妻は早く亡くなり、可愛がっていた息子までもが戦死してしまったのだ。

そして1945年(昭和20年)8月15日の終戦後、息子の死と日本の敗戦にショックを受けた天野氏は身の回りのものを処分して、戦争が終わってから1週間後の8月22日に少しの麦と塩、そして風呂桶を背負って高畑山へ山籠もりをはじめてしまったのだという。以来、特別な理由がない限りは山から降りて来ることは無くなり、次第に彼は地元住民から「高畑山の仙人」と呼ばれるようになった。

仙人としての生活は自由気ままであり、山の中に「近月庵」という名の15坪程度の小屋を建てて、畑で摂れたトウモロコシやイチゴを主食に、自作の詩を詠んでのんびり暮らしていたという。当初こそ怪しまれていた仙人だったが、その経歴やユニークな人柄から次第に大月市の名物男として有名になり、訪ねてくる子供達のためにブランコや滑り台、三輪車といった遊具を作り、時には「現代のターザン」としてテレビ出演なども行っていたようだ。

以上のように「高畑山の仙人」は神ではなく普通の人間ではあったが、病気やケガとは不思議なほど縁がなかったようで、崖から転落する大怪我を負っても3日間ほど休めばすぐに治ってしまうなど、いかにも「仙人」らしいエピソードも残っている。

2024年現在、かつて仙人が暮らしていた小屋は撤去されており、当時を偲ばせるものは残っていない。記者も複数の山梨県人に聞いて回った。年配の世代になると「昔、テレビで見た事ある」「仙人の家に遊びに行った人を知っている」などの声を聞くことができた。実在した高畑山の仙人の話は早くも「伝説化」しているようだ。

なお、仙人が暮らした高畑山の最寄り駅、JR鳥沢駅の創業100年を超える食堂「浜田屋食堂」は現在まで仙人の逸話を現代に伝えている希少な存在であり、浜田屋の従業員によると、この店の名物は仙人がその味を絶賛し、詩も読んだ「天丼」だという。店内には元気いっぱいに山の中を駆け回る仙人の写真がメニュー表にも掲載されており、訪れる人を楽しませているようだ。

高畑山の仙人の伝説は神や妖怪の類いではなく、非常に人間らしい「変なおじさん」であったようだ。

【参考文献】
住まいル新聞 vol.149(日本ステンレス工業株式会社)
週刊新潮 1962年4月9日号(新潮社)
主婦の友 1962年7月号(主婦の友社)ほか

【取材協力】
浜田屋食堂
https://r.goope.jp/hamadaya/

(よろず~ニュース特約・穂積 昭雪)

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