私たち、転校しました~日本一15回のバレー部~  転校後の1年 進化を続ける「真実(こころ)のバレー」

部員ゼロの長崎県立高校バレー部に転校してきたのは全国制覇15回の名門・九州文化学園(長崎県佐世保市)の部員たち。「転校」という大きな決断をし、西海市での生活をスタートさせた彼女たちのその後を追った。

恩師とともに始まった新生活

転機は2023年2月に訪れた。

高校バレーの強豪・九州文化学園高校(以下「九文」)を全国大会に100回導き、インターハイ、国体、春高バレーの3大大会で通算15回の全国制覇という偉業を部員とともに成し遂げてきた指導者・井上博明監督が、九文を離れることになった。井上監督は西海市の西彼杵高校バレー部の外部指導者として招かれた。

九州文化学園バレー部 井上博明監督:真実(こころ)のバレーの進化を頑張ってやっていくことが西海市の地域の方々にも応援していただけるようなチームになっていくんじゃないか。

恩師の決断に、部員たちが出した結論は、井上先生とともに九文を離れることだった。

ドロストきいら選手:先生が西彼杵に行くと聞いた時に先生が自分たちのことを第一に考えてくれているなと感じたから、もう行って、勝たないといけないとなとなりました。

市川すみれ選手:付いていくしかないと。

田中聖華選手:バレーだけじゃないし、人として成長するから。

西彼杵高校への転校を希望した17人は転入試験に無事合格し、寮での新生活をスタートさせた。

市川すみれ主将:学校生活で初めての人たちとばっかりなので慣れていけるかちょっと不安。

不安を抱きながら新生活をスタートして2週間。彼女たちの西彼杵高校バレー部としての初陣は長崎県内を3ブロックに分けた地区大会だった(長崎地区春季戦)。冒頭苦しみながらも逆転勝利。九文時代には気にもとめなかった「地区大会」での経験は彼女たちにとって、気を引き締める活力となった。

田中聖華選手:当たり前じゃないことをずっとしてもらってきて、そもそも転校できたのも当たり前じゃないし、すごく当たり前じゃないことを当たり前かのように周りの方がしてくださって、すごく暖かい声援ばかりもらっていたから、絶対に勝たないといけないと思った。

寮生活を送る彼女たちは、昼食は食事当番を決めて自分たちで作っている。この日のメニューはそうめんだ。

できることは自分たちで行う。共同生活を送り、学年関係なく「姉妹のような絆」を作り上げる。

地域の人たちの思いと支援を受けて

練習中の部員たちを訪ねてきたのは学校の近くに住む地域住民だ。日々練習に励む部員たちのために、コメやメロンなどの差し入れをしてくれている。

差し入れをした農家の川本浩さんは「学校が廃校という話もあり、かなり心配していた。井上先生が来てくれると聞いて飛び上がって喜んだ。とにかく地域に子供がいないので子供たちが一人でも2人でも定着してくれてたとえばここの企業に勤めてもらうとか、地域を何とかして盛り上げてもらいたい」と話す。

西海市は人口減少が止まらず若者も減っている。「転校」のため市外から引っ越してきた高校生は若さと明るい話題を届けてくれる存在になっている。

いつの間にか保護者だけでなく、地域の人たちが試合の応援に来る姿も見られるようになり、井上監督の指導にも熱が入る。

西彼杵高校バレー部 井上博明監督:どれだけいろんな人たちの気持ちをいただいてやっているか、それなのにどんな気持ちを出してやっているのか、本当に自分たちで話し合って絶対にこんな恥ずかしい試合をしないようにプライドがあるゲームができるように。

見えた春高のオレンジコート、しかし

“東京体育館で西彼杵の校歌を歌いたい”地域や保護者の支えを受けながら西彼杵高校としての日本一を目指す彼女たちが待ちに待った春の高校バレーがやってきた。

西彼杵は順調に勝ち進み、長崎県大会でベスト4に進出した。しかし試練は準決勝の序盤に訪れた。大会初日に足を痛めていたエースの田中聖華選手が、ジャンプ後に転倒。

田中選手はメンバーに支えられながらコートを去らざるを得なかった。チームは勝ったものの翌日の決勝を大黒柱不在で臨むことになった。

ドロストきいら選手:試合中にショウ(田中選手)を見てやるけんね!って合図を送った。3年生だし、春高で絶対に自分が決めてショウと一緒に日本一を取りたいと思う。

全国大会まであと1歩。相手は九文時代からの好敵手「純心女子(じゅんしんじょし)(長崎市)」。先に3セットを取った方が勝ちの5セットマッチ。西彼杵が続けざまに2セットを先取し、勢いにのる。

春高オレンジコートが見えてきた第3セット。西彼杵に負けまいと努力をしてきた純心女子が息を吹き返す。西彼杵は苦しい場面で一本を決めてくれるエースの不在がボディブローのように響いてくる。純心女子が第3・4セットを取り返し、最終の第5セットへ。マッチポイントを握ったのは純心。そのまま純心が逆転勝ちを収め、試合終了。

「転校」という大きな決断をして春高を目指してきた3年生の最後の戦いが終わった。

市川すみれ主将:自分たちにしかできない経験をさせてもらって本当に感謝の気持ちしかない。これからも西彼杵が強くなるように頑張っていきます。

勝っても負けても始発駅

春高出場は叶わなかったが、目標に向けてともに歩んできた地域との絆は着実に深まっている。

西彼杵高校バレー部 井上博明監督:生徒に言っているのは勝っても負けても始発駅だと。高校スポーツは過程が一番大事だと思う。誰もが味わうことができなかった一年だった。いま体験できている人たちは高校時代だけじゃなくて将来にもつながるようないい感謝の体験ができたんじゃないかと思う。

3年生旅立ちの日。高校生活最終学年での「転校」という激動の一年が終わろうとしている。地元の人たちが「お別れ会」を開いてくれた。

西彼杵高校の卒業生 平井康司さん:この子たちの顔を見るのが楽しみでした

西彼杵高校の卒業生 平井房子さん:主人は全員をフルネームで覚えていて、ちょっと迷惑かもしれないですけど(笑)――康司さん:アイドルですから追っかけました

米などを差し入れた川本浩さん:希望の星です。力をいただけます。彼女たちのために一生懸命頑張らないといけない

3年生に将来の夢を聞いた。

ドロストきいら選手:私の夢はCAです

山浦楓選手:私の夢はお嫁さんに行くことです

松本るな選手:私の夢はかっこいい女性になることです

柴山れゆ選手:私の夢は保育士です

中尾梨緒選手:夢は立派な大人になることです

河内美咲選手:将来の夢は助産師です

田中聖華選手:私の夢はVリーガーです

市川すみれ選手:私の夢は人生を楽しむことです

3年生はそれぞれの夢に向け、次のステージに旅立っていった。

卒業生のいま

田中選手とドロスト選手、市川選手は明海大学(千葉県)へ進学、ともに新しいバレー部の仲間ができた。ケガからの復帰に時間がかかる田中選手は裏方の仕事に奮闘中、ドロスと選手と市川選手は入部早々公式戦でコートに立っている。

3人は高校時代そのままに、ルームシェアしている。彼女たちが「転校」という大きな決断をして西彼杵で学んだことは何だったのか。改めて聞いた。

ドロストきいら選手:高校の時にやっていた気持ちの部分とか、取ってやるぞというのがあったら、技術無くてもカバーできるなと思う。西彼杵に行って学んでよかった

市川すみれ選手:西彼杵での考え方を(大学の)先輩たちも知っていたらもっとすごいだろうなと思う。自分たちが行動やプレーで伝えていって、技術とかを自分たちが学んでいけたらと思う

田中聖華選手:バレー以外でも、起業とか夢があるので、プラスバレーでコミュニケーションを取る場だったり、動く場だったり体育館でも自分の言葉で伝えることが色々とできると思うので、そういうのを西海市とかでできたらなと思うので、将来にご期待を

「転校」をきっかけに西彼杵バレー部の歴史が再び動き出して1年が経ち、新しい寮が完成した。

新しい寮には、太陽と山の「サン」と元気が絶えない動物園のような場所という意味を込めて「さんがーるZOO」という名前が付けられた。3年生の卒業後、新入部員を含めた24人となった西彼杵バレー部、このうち新3年生9人は「転校」を知る最後の世代だ。

西彼杵高校バレー部 新3年(リベロ)吉田 葵選手:伝えてくれた文化や伝統があるので自分たち残しつつ、新しい自分たち西彼杵らしいバレーを作っていきたい。学年関係なくチーム全員で勝ち切って、最後にここに来てよかったと心から思えるようにしていきたい。

新しい世代の西彼杵は6月に行われた長崎県高総体を制し、西彼杵として初のインターハイ出場を決めた。「転校」で初めて気付いた「地域」の温かさとともに、西彼杵の「真実(こころ)のバレー」は進化していく。

(テレビ長崎)

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