『オールド・フォックス 11歳の選択』硬派で切ない、親子と経済の物語

1980年代末の台湾で、一組の親子が経済的に豊かではなくとも穏やかな毎日を送っている。11歳の少年リャオジエの夢は、亡き母の夢だった理髪店を父親タイライとともに開業すること。ふたりは願いを叶えるため、日々の生活費を節約しながら貯金を続けていた――。

映画『オールド・フォックス 11歳の選択』(23)は、懐かしい時代の台北郊外を舞台にしたハートフルな家族の物語。しかし同時に、そうしたジャンルの壁を突き抜ける硬派な経済ドラマでもある。

「人への思いやり」を撮る


監督・脚本はシャオ・ヤーチュエン。80年代に「台湾ニューシネマ」のムーブメントを牽引した巨匠、ホウ・シャオシェンの『フラワーズ・オブ・シャンハイ』(98)で助監督を務めた経歴の持ち主だ。2000年に『命帶追逐(英題:Mirror Image)』で監督デビューして以来、本作を含む長編映画4本はホウ・シャオシェンがプロデュースを担当。この『オールド・フォックス 11歳の選択』は、2023年に引退を発表したホウ・シャオシェンが最後に送り出した一作だ。

シャオ・ヤーチュエンが映画のテーマに選んだのは、現代社会における「人への思いやり」だった。「自分自身を振り返っても、価値観が固まったのは10歳や11歳の頃でした。父親として子どもたちを見ていても、やはりそれくらいの頃に価値観が決まるように感じます」。少年リャオジエを11歳に設定したのは、まさにそうした理由からだった。

『オールド・フォックス 11歳の選択』©2023 BIT PRODUCTION CO., LTD. ALL RIGHT RESERVED

リャオジエはさまざまな大人たちと接しながら毎日の生活を生きている。台北郊外のレストランで給仕長をしている心優しい父親タイライ、家賃の回収に来る“美人なお姉さん”ことリン、マンションの1階にある麺店の主人、そして家主であり事業家のシャ社長だ。

偶然にもシャ社長と親しくなったリャオジエは、父との夢を叶えるため「家を売って」と頼み込む。ところがシャ社長は、他人の人生や感情を一切顧みることなく巨財を築いた、“腹黒いキツネ”と呼ばれる人物。タイライは警戒して「シャ社長に近づくな」と注意するが、リャオジエはシャ社長から「他人を思いやるな、同情を断ち切れ」と教わっており、やがて父にも辛辣な態度を取るようになる。

リャオジエは父親譲りの優しさと親切心を守り抜けるのか、社会の中で上昇するために心を失ってしまうのか。タイライとの絆は、周囲の人びととの関係はどのように変わっていくのか……。

現代を問う経済ドラマとして


少年リャオジエが暮らす小さな世界には、彼の人間性を左右する大きな分岐が待ち受けている。これは愛情をもって自分を育てる父親との親子関係と、冷淡な成功者との擬似的親子関係のあいだで引き裂かれる少年の物語なのだ。なにしろシャ社長は、リャオジエに「お前は俺に似ている」と語りかけるのである。

監督のシャオ・ヤーチュエンは、多くを語らない台詞と抑制の効いた演出を駆使しながら、登場人物のそれぞれに優しい視線を向ける。リャオジエとタイライ、シャ社長の3人による絶妙なコントラスト――それぞれまったく違う人物像でありながら、実はとてもよく似ている――を丁寧な手つきで紡ぎ出し、“腹黒いキツネ”であるシャ社長にも決して一面的ではないディテールを書き込んだ。

もっとも本作は、決して「小さな世界」だけの話ではない。シャオ・ヤーチュエンによると、時代設定を1989~1990年にしたのは、1987年に戒厳令が解除されたことで、台湾の経済に激変がもたらされたため。「株で儲けたり、土地を転がしたりして、あぶく銭を手にした人が増え、急激に拝金主義が生まれた時代だった」という。

『オールド・フォックス 11歳の選択』©2023 BIT PRODUCTION CO., LTD. ALL RIGHT RESERVED

1990年当時の台湾の株式市場を説明する冒頭のキャプション、株で儲けを出したというタイライの叔父、不動産価格が2倍になったために立ち退きを余儀なくされる自転車屋――。映画の前半から周到に織り込まれた、不穏な経済状況を示す情報の数々は、リャオジエとタイライの暮らしに異変が訪れていることを物語っている。

日本の観客に伝わりにくいのは、1990年に発覚した、“台湾史上最大の集団的経済犯罪”といわれる「鴻源事件」だろう。1981年に設立された投資会社・鴻源機構は、高金利をうたって1,000億台湾ドルもの資金を不正に集めながら1990年に突如倒産。16万人の債権者と900億台湾ドルもの負債を残し、金融システムに混乱をもたらした。

劇中最大の悲劇と言える、知人に勧められるがまま投資に手を出した麺店主人のエピソードは、この「鴻源事件」が背景にある。本作の傑出した点のひとつは、人びとの生活を決定的に変えてしまうほどの経済的異常事態が、音も立てずにひたひたと迫ってくるさまをリアルに描き出したところだ。

大それた夢を掲げるわけでもなく、人並みの暮らしをしていた人びとの生活に、突如として資本主義経済の大波がやってくる。2020年代の今にも通じるハードな社会を、他者と支え合うコミュニティのなかでゆるやかに生きていくのか、それとも「すべては自己責任、他人のことはどうでもいい」という新自由主義的な発想で戦うのか――。このように読み直すと、父親と指導者のあいだで葛藤するリャオジエの背後で、特定の経済状況におけるふたつの思想が対決していることがわかる。

台湾ニューシネマの流れを汲む


シャオ・ヤーチュエンの映画が日本で紹介されるのは、監督第2作『台北カフェ・ストーリー』(10)に続いて今回が2本目。デビュー作『命帶追逐(英題:Mirror Image)』(00)、第3作『范保德(英題:Father to Son)』(18)は日本未公開だが、すべての作品に共通するのは、物語の背後に横たわる歴史・政治・経済への透徹した視線があることだ。

『命帶追逐』の舞台は質屋で、人生と恋愛と経済が同じ空間で展開する。『台北カフェ・ストーリー』は物々交換、すなわち“価値”のトレードがテーマだった。『范保德』では、年老いた父親の人生を紐解いていくうち、そこに台湾の歴史が見えてくる。今回の『オールド・フォックス 11歳の選択』は、そうした複雑な作劇に挑み続けてきたシャオ・ヤーチュエンのひとつの集大成と言えるかもしれない。

人びとの織りなすドラマをダイナミックに描きながら、社会や歴史に対する意思を明確に打ち出すシャオ・ヤーチュエンの映画は、とても優しく、一方で非常に硬派だ。その作風のみならず、台湾の町並みを美しく切り取り、また生活の細部を丁寧に掘り起こすアプローチは、ホウ・シャオシェンやエドワード・ヤンら台湾ニューシネマ世代の影響を感じさせる。

『オールド・フォックス 11歳の選択』©2023 BIT PRODUCTION CO., LTD. ALL RIGHT RESERVED

具体的な演技指導はせず、主に俳優に方向性を示すのみという演出スタイルも、役者たちの化学反応をうまく引き出した。瞳に独特の暗さをそなえたリャオジエ役のバイ・ルンイン、物語の骨格を背負うタイライ役のリウ・グァンティン、圧倒的な芝居で金馬奨(台湾アカデミー賞)の助演男優賞に輝いたシャ社長役アキオ・チェンのほか、短い出番ながら存在感を残すヤンジュンメイ役の門脇麦、シャのもとで働くリン役ユージェニー・リウら、すべてのキャストによるアンサンブルが独特の作品性をしっかりと支えている。

本作で金馬奨の最優秀監督賞を受賞したシャオ・ヤーチュエンは、台湾映画界でのキャリアを確実にひとつ上のステップに進めてみせた。1967年生まれで今年57歳、いまや“名匠”と呼ぶべき存在だ。今後の作品に注目するとともに、未公開作の日本公開にも期待したい。

[参考資料]

・『オールド・フォックス 11歳の選択』プレス資料

文: 稲垣貴俊

ライター/編集者。主に海外作品を中心に、映画評論・コラム・インタビューなどを幅広く執筆するほか、ウェブメディアの編集者としても活動。映画パンフレット・雑誌・書籍・ウェブ媒体などに寄稿多数。国内舞台作品のリサーチやコンサルティングも務める。

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『オールド・フォックス 11歳の選択』

6月14日(金)新宿武蔵野館ほか全国公開

配給:東映ビデオ

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