【<東日本大震災>から13年あまり】津波で同僚10人亡くした元消防士 自らも津波にのまれた当時の体験を語り始める 「防災について自ら考えて欲しい」(宮城)

6月11日で「東日本大震災」から13年3か月。

津波で10人の同僚を亡くした南三陸消防署の元消防士が、自らも津波にのまれた当時の体験を高校生に語り始めた。

南三陸消防署の一角に、慰霊碑がある。

震災で命を落とした10人の消防職員。

震災直後の記者リポート

「消防団の消防車ですね。原形をとどめていません」

震災から3日後、宮城県外から応援に入ったレスキュー隊と共に街を歩くと被災した建物があった。

看板がはがれ落ちた南三陸消防署。

命を取り留めた人がいる。

元消防士の及川淳之助さん(69)。

元消防士の及川淳之助さん(69)

「私も津波にのまれましたが九死に一生を得てひとりだけ生き残りました。その経験をみなさんにお話したいなと思います」

震災から13年がたって、自らの体験を伝る決意をした。

話を聞くのは、震災の記憶がほとんどない高校1年生。

元消防士の及川淳之助さん(69)

「水温は全然寒いとは感じませんでした。 極限状態にあるとそうなるのかなと思います」

あの日、及川さんは消防署の2階で津波に流された。

海の中に何度か頭までのまれたが、タイヤや木材につかまり漂流することおよそ3時間。

消防署から7キロ離れた場所まで流された。

元消防士の及川淳之助さん(69)

「立ち上がろうとしたら体がピクリとも動きません。いくらがんばっても動きません。 低体温症だったと思います」

及川さんを救助してくれたのは、近くの工場に避難していた中学生3人だった。

「東日本大震災」で殉職した消防職員と消防団員は、宮城県内で103人にのぼる。

元消防士の及川淳之助さん(69)

「10人の仲間が亡くなった。毎日車に乗っても、寝る時、作業していても、誰かが脳裏に浮かんでくる。それが一秒だったり、あいつはこういう人だったな。毎日あるんですね。今でもあります」

市民の命を守るという消防の任務。

最後の瞬間まで全うした仲間たちのことを、ずっと考え続けてきた。

震災から2年後、高台に仮設の消防署が完成。

及川さんは、気仙沼・本吉消防本部のトップ 消防長も務めた。

自らの震災での体験は、遺族の感情を考えると語ることはできなかった。

2015年に消防を定年退職した後も、ずっと後悔を抱えてきた。

消防として数々の防災訓練に携わり、津波の恐さは常々伝えてきたはず。

気仙沼市の震災遺構伝承館。

この春、及川さんは気仙沼市から依頼を引き受け、館長に就任した。

元消防士の及川淳之助さん(69)のあいさつ

「自ら考えて欲しいと思いますJ 防災に対しての危機管理は準備をするJそれを養ってもらえれば嬉しいです」

震災から13年が過ぎる中で、及川さんを動かしたのは風化への危機感だ。

そして、及川さんが防災において大切だと考えていることがある。

元消防士の及川淳之助さん(69)

「自ら考えてほしい、この場は人材育成の場と考えているので、何度もいいますが自ら考えて欲しいと思います」

震災を知らない世代へ。

津波で海を漂流したあの日の出来事を伝え始めた。

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