『虎に翼』寅子が設立に携わる“家庭裁判所”とは? 発足までの歴史と役割を解説

『虎に翼』(NHK総合)第11週では、寅子(伊藤沙莉)たちが家庭裁判所(以下「家裁」)の設立に向けて奔走する。家裁は私たちにとってもっとも身近な裁判所かもしれない。一般人が裁判所に行く機会は多くない。傍聴を趣味にしている人を除けば、会社を経営していたり、事件や事故に巻き込まれたりしなければ、なかなか裁判所に足が向くことはないだろう。

家裁は少年事件と家事事件に特化した裁判所で各都道府県に設置されている。2014年からは、ハーグ条約に基づく子どもの返還や面会交流に関する紛争も担当する。少年事件は、18歳未満の少年と18、19歳の特定少年が対象となる。家事事件は離婚、遺産分割、養子縁組など家庭内の問題を扱う。相続や婚姻にまつわるトラブルは誰でも起こりうることであり、個人間で対処しきれない場合、家裁に足を踏み入れることになる。

民事や刑事の事件は公開の法廷で審理される。これは憲法で保障された裁判を受ける国民の権利に由来している。これに対して、家裁で扱う事件は審判や調停など非公開の手続が特色だ。少年の更正と社会復帰を目指す少年事件は、教育的な配慮が求められる。プライバシーが尊重される家事事件では、まずは当事者同士で円満な解決の可能性を模索するため、非公開の調停や審判を経て、そののちに離婚や親子関係などの人事訴訟に進むことになる。

柔軟な事件処理が求められる少年事件や家事事件では、裁判官以外に調停委員や参与員など経験と学識を備えた専門家が携わる。それによって多角的な視点から当事者にとって最善の解決策を探る。その過程で重要な役割を果たしているのが家裁調査官である。行動科学を専門にしており、事件の背景に関する調査や当事者との面接を経て、調整や援助を行う調査官の職務は多岐にわたる。

家裁調査官を主人公または作品のモチーフにしたドラマには、毛利甚八と魚戸おさむ原作の『家裁の人』があり、各局で繰り返し制作された。ほかにも少年犯罪を扱った上川隆也主演による『少年たち』(NHK総合)や、単発ドラマとして放送され、映画版も制作された伊坂幸太郎原作の『CHiLDREN チルドレン』(WOWOW)など秀作が多い特徴がある。

日本で家裁が発足したのは1949(昭和24)年1月1日。2024年は発足から75周年の節目であり、家裁の歩みを振り返るには絶好のタイミングだ。家裁は、まず法律(旧少年法)にその存在が記され、後から組織が整備された。家裁の開設には紆余曲折があった。GHQの通達で設置が求められた家裁は、少年審判所と家事審判所を合体して作られた。家事審判所は1948(昭和23)年にできたばかりの新しい組織で、裁判所の管轄。かたや少年審判所は司法省の行政組織で、同じ司法でも職務分掌をめぐって対立があった。

家裁設立には多くの人々が関わっている。その中で、キーパーソンと呼べる一人が「家庭裁判所の父」と呼ばれる初代最高裁家庭局長の宇田川潤四郎である。大陸帰りの裁判官である宇田川は、京都少年審判所で戦災孤児の処遇に積極的に取り組んだ。戦後、都市部には戦災孤児と浮浪児があふれ、食糧不足から少年の非行が後を絶たなかった。宇田川は、学生たちを集めて少年少女の健全育成を目的とするボランティアの「BBS運動」を軌道に乗せる。宇田川が掲げた「独立的」「民主的」「科学的」「教育的」「社会的」という家裁の5性格は、設立後の基本理念として浸透した。

アメリカの「ファミリー・コート(Family Court)」にならった家裁設立に尽力したのが「殿様判事」こと内藤頼博である。戦前に訪米して現地の裁判所を視察した内藤は、最高裁秘書課長として女性や少年少女の権利を尊重する新憲法の理念にかなった家裁設立を後押しする。そうして設置された家庭裁判所設立準備室に、民事局で法改正に携わる日本初の女性弁護士・三淵嘉子も所属することになった。

『虎に翼』で家裁設立に関わるメンバーは、史実をベースにしながら個性全開で物語に彩りを添えている。共通するのは新しい時代への期待に胸を高鳴らせていること。家裁の歩みを通して、現代につながる司法の息吹を感じてほしい。

参考
・https://www.courts.go.jp
・清水聡『家庭裁判所物語』(日本評論社)
(文=石河コウヘイ)

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