義方小の歴史振り返る 元校長の神庭さんが書籍出版 校舎移転の変容まとめ

学校の歴史を掘り下げ書籍を出版した神庭さん

 米子市で最も古い小学校の一つ、義方小(米子市義方町)の歴史を振り返る書籍「しゃちほこのある学校~義方校150年の学校文化史~」を、元同校校長の神庭誠さん(63)=境港市=が今井出版から発刊した。創立から戦前戦後までの歴史を、時代の流れにほんろうされた三度の校舎移転を中心に掘り下げ、地域に根ざした学校の歩みを記した。

 同校は学制が公布された翌年の1873年、明道小などとともに市内の小学校で最初に創立され、歴代校長が記録した「学校沿革誌」が保存されている。神庭さんは2018年から20年まで校長を務めた間、沿革誌を基に同校の歴史を児童や教員に伝える「校長室だより」を発信し、退職後に加筆修正して同書を出版した。

 同書では同校の成り立ちとして、米子城下の寺町にあった寺を仮校舎として創立し、その後寺町に西洋建築の校舎が建てられ「銀学校」と呼ばれたことを紹介。初代校長・伊吹市太郎さんが因幡二十士の一人だった縁などで、米子城天守閣にあったしゃちほこが校舎の屋根に飾られシンボルになったとし、「商家が中心となって建設された学校の屋根に、城のしゃちほこが置かれるということは、武士の時代の終わりを象徴する出来事だったのかもしれません」とつづっている。

 その後は児童数の増加に伴い西町に新たな校舎が建てられたが、太平洋戦争末期には医学専門学校(現・鳥取大医学部)の開設のため校舎を手放し、校区外にある角盤高等小学校の校舎に移転。教室数が足りず教育環境の悪化に悩まされ、校区内に校舎を戻すことが「地域全体の悲願」だったと伝えている。

 終戦後には地域住民らが立ち上がり、1951年に現在地で新校舎が起工。完成後は児童が健康優良児日本一に選ばれるなど教育環境が改善された-と記している。

 学校運営に尽力した地域住民の思いや当時の学校生活、校舎を焼いた昭和の火災についても取り上げた。神庭さんは「義方校に強い思いを持って関わってきた方々に、改めて学校の歴史を知ってもらう機会が作れてうれしく思う。いろいろな方にアドバイスももらい本当に感謝している」と話した。(平塚千遼)

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