氷見線(JR西日本)高岡と富山湾に臨む氷見を結ぶ絶景路線

富山湾の雄大な眺めが待つローカル線・氷見線(JR西日本)

日本全国津々浦々をつなぐ鉄道路線。
そんな日本の鉄道路線は、150年以上の歴史を持ちます。

日常の一部でもある鉄道路線は地域と密接に関わり、さまざまな歴史とともに走ってきました。
通勤・通学で使用するなじみのある路線にも、思いがけない歴史があるかもしれません。
旅の目的地へ連れて行ってくれる路線には、見逃せない車窓が待っています。
さあ、鉄道路線の歴史の風を感じてみませんか?

今回は、北陸新幹線でのアクセスもよく、手軽な車窓旅や海水浴など多彩な楽しみ方ができる氷見線(JR西日本)をご紹介します。

氷見線の歴史

全長16.5kmの路線。手軽ながらも、極上の景色が楽しめる


氷見線雨晴(あまはらし)駅近くの義経岩(1977年5月撮影)

富山湾ののどかな景色を楽しめる絶景路線、それがJR西日本の氷見線です。
富山県の高岡駅と、富山湾沿いの港町・氷見駅を結ぶ、全長16.5kmの非電化路線で、全線を乗り通しても所要時間は30分弱。1時間に1本程度運行され、北陸新幹線の新高岡駅も近いので、手軽に乗車できる路線です。

氷見線は、明治末期から大正初期にかけて、私鉄の中越鉄道によって建設されました。中越鉄道は、高岡市と庄川を中心とする砺波平野に鉄道を建設した企業で、氷見線と同様高岡を起点とする城端線を建設した鉄道でもあります。1900(明治33)年に高岡〜伏木駅間が開業、1912(大正元)年に氷見駅まで延伸しました。

中越鉄道時代は城端〜氷見駅間で直通運転が行われ、1920(大正9)年に国に買収された際も、城端〜高岡〜伏木駅間が「中越線」、伏木〜氷見駅間が「氷見軽便線」とされました。その後、氷見軽便線は氷見線と改称され、戦時中の1942(昭和17)年に高岡〜氷見駅間に変更。やがて城端線との直通運転もなくなり、現在に至ります。

氷見線の車両

国鉄型気動車とお寿司が人気の観光列車

2024年6月現在、氷見線では国鉄型気動車のキハ40系が使用されています。1977(昭和52)年から製造が始まった一般形気動車で、国鉄が全国の路線に向けて設計した最後の標準型気動車です。
氷見線では、1両で走行できる両運転台・片開き戸のキハ40形2000番代と、2両1組で運行する片運転台・両開き戸のキハ47形0・1000番代が使用されています。車内は4人掛けボックスシートと一部ロングシートが配置されたセミクロスシートで、車体は国鉄時代と同じ朱色1色の「首都圏色」に塗装されているなど、国鉄時代の趣をよく残しています。全車が冷房完備ですが、上段の窓は開けることができるので、季節によっては窓を開けて富山湾の香りを楽しむこともできます。


「首都圏色」に塗装されたキハ40形(2024年3月栗原景撮影)

氷見線のキハ40系のうち、キハ40 2084は、氷見出身の漫画家、藤子不二雄Ⓐさんの作品である「忍者ハットリくん」のキャラクターを車体と客室にラッピングした、「忍者ハットリくん列車」です。
通常の普通列車として運行されるので、乗車券だけで乗車できますが、城端線との共通運用で、運行されない日もあります。どの列車に使用されるかは毎日変わりますが、氷見市観光協会の公式Xが情報発信しているので、参考にするとよいでしょう。


忍者ハットリくんとゆかいな仲間たちが随所に見られる列車 ©藤子スタジオ

そして、氷見線を訪れるなら一度は乗りたい列車が、毎週日曜日を中心に砺波・新高岡・高岡〜氷見駅間で運行されている観光列車「ベル・モンターニュ・エ・メール」、通称「べるもんた」です。
キハ40形2027を改造した列車で、富山湾や立山連峰の雄大な車窓を眺めながら、寿司職人が車内で握った握り立てのお寿司を味わうことができます(要事前予約)。全国に観光列車は数あれど、寿司職人が同乗する列車は貴重です。なお「べるもんた」は、土曜日は城端線で運行されています。


フランス語で「美しい山と海」の名を持つ「べるもんた」(2015年10月 越中国分~雨晴駅間撮影)


車内でぷち富山湾鮨を堪能できる

寿司職人が乗車して、新鮮な海の幸を提供


氷見線の見どころ

JR貨物の専用線が分岐する

高岡駅は、4本のホームに乗り場が7番線まである駅で、氷見線は主に一番北側の7番線から発着します。反対側の1・2番線は城端線乗り場で、こちらも車両はキハ40系。1・2番線の東側にはキハ40系の車両基地があり、国鉄色の気動車がずらりと並んでいます。
かつての北陸本線は北陸新幹線の開業に伴い、あいの風とやま鉄道に移管しており、JRの定期旅客列車は氷見線と城端線のキハ40系しか発着しません。「国鉄型気動車しか発着しないJRの乗り換え駅」は、全国的にも極めて貴重です。


「べるもんた」の車窓に広がる海(2021年7月 越中国分~雨晴駅間 栗原景撮影)

なお、北陸新幹線は城端線新高岡駅に発着し、高岡駅までは4分です。
氷見線は、日中はキハ40形1両で運行されることが多いですが、混雑する場合もあるので、時間に余裕をもって乗車するとよいでしょう。座席は、富山湾が見える氷見駅に向かって右側が断然おすすめです。

高岡駅を発車した列車は、ホームを離れるとすぐに左へ大きくカーブして北へ向かいます。国鉄時代は、まもなく右手に田園風景が広がりましたが、今はすっかり住宅地となりました。

2駅先の能町駅は、広々とした構内にたくさんのレールが並んでいます。ここはかつて、北陸有数のコンテナ取扱量を誇る貨物駅を兼ねていました。現在は、当駅から分岐する新湊線高岡貨物駅に機能が移り、当駅でのコンテナ取扱はなくなりました。

能町駅を発車すると、まもなく右手に分岐していく線路がJR貨物の新湊線で、1951(昭和26)年までは旅客列車も運行されていました。現在は貨物線で、1日1往復のコンテナ貨物列車が設定されています。万葉線の下をくぐると、伏木臨海工業地帯に入って伏木駅に到着。ここは氷見線が中越鉄道として最初に開業した時の終着駅です。

窓のすぐ下を富山湾の波が洗う雨晴海岸

次の越中国分駅を発車すると、まもなく右手から富山湾が近づいてきます。岩崎ノ鼻灯台下の短いトンネルを通り抜けると、車窓いっぱいに、海。高岡方と氷見方に1つずつ見える、松の木が生えた岩礁は、男岩(高岡方)と女岩(氷見方)です。


写真中央に見えるのが女岩 ©(公社)とやま観光推進機構

女岩を過ぎた先、海との間に小さな祠が見える場所は「義経岩」。鎌倉幕府の追捕を受けた源義経が奥州へ落ち延びる途中、雨宿りをしたとの伝説がある巨大な岩です。ここを過ぎるとまもなく、伝説に由来する地名を駅名とした雨晴駅に到着です。

時間に余裕のある方は、ぜひこの雨晴駅で途中下車をしてみましょう。駅から5分あまり歩いた義経岩の向かいに「道の駅 雨晴」があり、3階の展望デッキからは富山湾と義経岩、女岩、そして海沿いを行き交う氷見線の列車を見晴らすことができます。冬の、空気が澄んだ晴れの日なら、富山湾越しに雄大な立山連峰が見えることもあります。


雨晴駅から海岸まで徒歩5分ほど(2021年7月 栗原景撮影)

「道の駅 雨晴」展望デッキからの眺望(2021年7月 栗原景撮影)


雨晴海岸の日の出の景色もまた美しい ©(公社)とやま観光推進機構

雨晴駅からは、列車は少し内陸に入り松林の横を進みます。この辺りはキャンプ場となっていて、次の島尾駅からは海水浴場もすぐ近く。ローカル線の旅の途中で、浜辺を散策したり海水浴を楽しんだりというのも楽しいものです。

松林を過ぎると市街地に入り、仏生寺川を渡って終着氷見駅に到着します。
氷見の中心は、駅から1kmほど北にあり、藤子不二雄Ⓐさんの生家である光禅寺もあります。商店街は「まんがロード」と呼ばれ、「忍者ハットリくん」や「怪物くん」、「プロゴルファー猿」などのキャラクターが見られます。

氷見線は、七尾線の羽咋駅まで延伸する構想もありましたが、実現しませんでした。しかし、氷見駅前からは、富山・石川県境の脇バス停乗り換えで七尾駅まで、海岸沿いをバスでたどることもできます。
北陸新幹線のおかげで訪れやすく、手軽な車窓旅から海水浴、マンガのふるさとめぐり、あるいはバスに乗り継いでの観光まで、多彩な楽しみ方ができる氷見線は、多くの人におすすめのローカル線です。


氷見線(JR西日本) データ

起点 : 高岡駅
終点 : 氷見駅
駅数 : 8駅
路線距離 : 16.5km
開業 : 1900(明治33)年12月29日
全通 : 1912(大正元)年9月19日
使用車両 : キハ40形、キハ47形


著者紹介

栗原 景(くりはら かげり)

1971年、東京生まれ。鉄道と旅、韓国を主なテーマとするジャーナリスト。出版社勤務を経て2001年からフリー。
小学3年生の頃から各地の鉄道を一人で乗り歩き、国鉄時代を直接知る最後の世代。
東海道新幹線の車窓を中心に、新幹線の観察と研究を10年以上続けている。

主な著書に「廃線跡巡りのすすめ」、「アニメと鉄道ビジネス」(ともに交通新聞社新書)、「鉄道へぇ~事典」(交通新聞社)、「国鉄時代の貨物列車を知ろう」(実業之日本社)ほか。

  • ※写真/JR西日本、(公社)とやま観光推進機構、交通新聞クリエイト、栗原景
  • ※掲載されているデータは2024年5月現在のものです。変更となる場合がありますので、お出かけの際には事前にご確認ください。

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