落語家・桂ざこばさん死去 76歳 誰からも愛された人柄「朝丸の頃から知ってる、寂しい」「素直に率直にしゃべる人」

落語家の桂ざこばさんがぜんそくのため、12日午前、亡くなった。76歳だった。

桂ざこばさんは、12日午前3時、ぜんそくのため自宅で亡くなったと、所属する米朝事務所が明らかにした。

ことし4月30日、弟子3人の襲名会見に出席したざこばさん…

桂ざこばさん:おはようございます。元気でっか。

桂ざこばさん:(胸のあたりを触って)あきまへんねや。ぜんそくで。全然あかんねん。あ~あ。

「ぜんそく」と言いながらも笑いをとり、元気な姿を見せていた。

■上方落語を代表する落語家として活躍

桂ざこばさん、本名・関口弘(せきぐちひろむ)さんは、1947年に大阪市に生まれ、1963年に桂米朝さんに入門。上方落語を代表する落語家として、関西を中心に活躍した。

桂ざこばさん 2009年「扇町寄席」より:(着物の羽織を脱ぎながら)すぐに脱ぐんやったら何も着てこなくてよかったんですけど。一応あるところを見てもらおうかと思って。

落語家としての実力もさることながら、ユーモアのある明るい人柄から、テレビのバラエティー番組で長年にわたり活躍してきた。

■「桂ざこば」を1988年に襲名 後進の育成にも力を注ぐ

1988年に「二代目 桂ざこば」を襲名した際には、多くの祝い花に囲まれながら、師匠の桂米朝さんと意気込みを語った。

桂ざこばさん 1988年:おかげさんで、きのう、おとといから。タクシー乗っても『おお、ざこばはん。もう(襲名は)終わったんでっか』ってぐらいです。だいぶ浸透して、ありがとうございます。(Q呼ばれた時の気持ちは?)気持ちええで。(杉山アナウンサ-に向かって)おたくも名前変えなはれ。山田はんにしますか?

師匠の桂米朝さん:名前を変えてダメになるやつもあります。それがきかっけで妙におさまったり。(ざこばさんを指して)おさまることだけはない。

桂ざこばさん:頑張ってやります。どない頑張るのか、このまま一生懸命、頑張っていきましょう。

2008年には大阪・西成区に寄席の動楽亭を設立し、後進の育成にも力を注いでいた。

さらに、実績が評価されて2016年度の文化庁の「芸術選奨 文部科学大臣賞」を受賞している。

■「心の底から怒ったり、感情を出したりなさった」

関西テレビの番組「痛快!エブリデイ」にもレギュラー出演していた。

風船で司会を選ぶ場面では、緊張して愛らしい一面も見せ…
桂ざこばさん:いま、もうドキドキしとんねん。
関西テレビ 関純子アナウンサー:ざこばさん手を…
桂ざこばさん:分かっとるわい。

長年、番組で共演していた関西テレビの関純子アナウンサーは…
関西テレビ 関純子アナウンサー:ざこばさんなしでは、「エブリデイ」を語れないぐらい、ずっと出ていただいていて。裏表がない方なので、いろんな時事問題とかおしゃべりになるときは、心の底から怒ったり、感情を出したりなさったと思いますね。ざこばさんには天の上で、思いっきり“ざこばさんの落語”をやっていただきたいですね。

■「誰からも愛されるよね」大阪の街では別れ惜しむ声

街の人は…
-Q.桂ざこばさんが亡くなられましたが…

街の人:え~。(桂)朝丸から、よう知ってるさかいにな。どないしてんのかなあって思ってたけど。ああそうか。米朝一門でも筆頭格でね、非常に良かったと思うよ。寂しいな。

街の人:元気そうやったのに。(Qどんなイメージ?)素直に、率直にしゃべる人。世間体にもとらわれない、自由にしゃべってくれる人。

街の人:びっくりした。非常に残念ですね、大阪人としては。同じぐらいの年やからね。誰からも愛されるよね、庶民的な。

通夜や葬儀は、桂ざこばさんや家族の意向から家族葬にするということで、後日、お別れの会を行う予定になっている。

(関西テレビ「newsランナー」 2024年6月12日放送)

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