「令和3年の年賀状」団塊の世代の物語(5)

牛島信弁護士・小説家・元検事)

【まとめ】

・このシリーズは、年賀状を振り返ってはその時その時の自分を思い返してみようとおもって始めた。

・むかしの自分に再び巡り合って、懐かしい驚きを繰り返すという思いつきで始めた。

・まだ何回か残っている旅だが、どうなることやら。

未だ新しい生活に慣れません。ついこの間まであった、夕食後のひと眠り、その後の一杯の紅茶、そして夜明け近くまでの深夜の書斎での独り切りでの無限の時間、満ち足りた刻(とき)。そうした全てが懐かしいのです。それ無しの生活が、生き続けてゆくために必要で、健康のためと自ら納得して改めたことではあっても、ときどき寂しくなります。

無理もありません。私は50年以上もの間、そういう人閏として暮らして来たのですから、急に別の人間にはなれません。

でも、住めば都。日々新しく見つけ出す悦びもあります。たとえばひと気のない朝のオフィスで取リだす鍵の冷たい感触です。

『身捨つるほどの祖国はありや』というエッセイ集を出しました。8冊目になります。寺山修司が21歳のときに詠んだ歌の下の句です。

私には祖国を選ぶという発想はありません。日本に生まれ、日本語を母国語として育ったからです。そういえば、心臓の精密検査のあと、「大丈夫。もう10年は国のために働いてください」と医者にいわれたのが6年前です。

焦りはありません。これでいいのです。この国に生まれ、たぶんこの国で死ぬ。それだけでも、生きている間に少しは祖国とそこに住む未来の人々に恩返ししなくてはなりません。そのつもりでいます。どうかよろしくお願いします。

「夕食後のひと眠り、その後の一杯の紅茶、そして夜明け近くまでの深夜の書斎での独り切りでの無限の時間、満ち足りた刻(とき)」

「そうした全て」、実はそれこそが若さだったのだ。いま74歳になってはじめて分かる。たった3年半の時の経過にすぎないのに、今になったからわかるようになっている。

70歳まで「満ち足りた刻(とき)」をむさぼり、また、いつくしんでいた。それまで、当たり前のようにそうした生活にひたり、甘美な時間を愉しんでいたのだろう。思えば、つくづく幸運だったとしか言いようがない。だが、もう過ぎてしまった時間、忘れてしまった時間。

日は昇り、そして沈むもの。

しかし、未だ私の日は沈んではいない。沈むまでには未だまだ間がある。そう思っている。

もともと体を動かすことが好きではなかったから、年齢とともに消え去ってしまう肉体の切れ味、たとえばテニスで小気味よいスマッシュが相手のコートにピタリピタリと決まっていたのが突然はずれるようになってしまったことを思い知るとき。そんな瞬間に感じる自分への軽い驚き。そうした類のこととは無縁に過ごしてきた。

本を読む。机に向かってすわって読み、ベッドに横になって読む。肉体の老いを感じさせられる機会はそこには存在しない。したがって自覚が遅かったのだろう。「50年以上もの間、そういう人間として暮らして来た」のだから、考えて見ればそれはそれで結構なことだったのだと、つくづく思わないではいられない。

そうなると、この新しい世界は「住めば都」なのだろうか。

「ひと気のない朝のオフィスで取りだす鍵の冷たい感触」もまた、いずれ慣れてしまってアクビがでることだろう。あのことにも慣れ、あのやり方にもなじんでしまえば、どれもこれも、あってもなくても、同じということになる。

だから、本当は「住めば都」ではないのだろう。

無理無体に、無残にも引き剝がされてしまった昔の生活こそが都に住む生活だったのだのではなかったのか。

もう、ない、なくなってしまった。

我と我が手でそいつを縊り殺してしまった。「生き続けるために必要で、健康のためと自ら納得して」だったのだろう。そのつもりだった。だからこそ、いまこうして文章をつづることもできているというものだ。

「この国に生まれ、たぶんこの国で死ぬ。」「未来の人々への恩返し」

そんなことを、どうして思いついたのか。思ったことを書いたのだろうが、本当は違ったのではないか。もしそうなら、早く訂正しておかないと時間がなくなってしまうではないか。

そのとおり。

「焦りはありません」どころか、焦りが心のうちで音を立てて逆巻いている。消えてしまう一瞬いっしゅんの人生の刻。時間が身体から、皮膚から、確実にぼろぼろと剥がれ落ち、離れてゆく感覚が感じられる。

これが年の功、ということになるのか。

それを感じるために、これまで生きていたということなのか。

なんとも皮肉な話ではないか。

これは、まるで少年が性のめざめにおののいているようなものじゃないか。

性ならぬ、死のめざめとでもいうべきもの。

そこに、いやまだ20年は行けると自分に言い聞かせている自分がいる。滑稽な物語を織っている男がいる。20年前はこうだったと思い出しては、あれから経った時間だけが未だ消化されないままに、そっくり残っているのだと自ら慰めている。

本気なのだろうか。

このシリーズは、年賀状を振り返ってはその時その時の自分を思い返してみようとおもって始めたことだった。

『舞踏会の手帖』という映画があった。初めての舞踏会で出逢った男たちを20年後、夫に先立たれた女性が訪ね歩くという映画だった。石原さんに、その映画のタイトルにも触れた同じ趣向の小説があった。

この、私のはその時その時の他人を訪ねる旅ではない。

むかしの自分に再び巡り合って、懐かしい驚きを繰り返すという思いつきで始めたことだった。

それが、こうして旅の終わりが近づいてくると、なにやら嘆きのようなものが目立ってきて、我ながらお粗末な気がし始めている。まだ何回か残っている旅だが、どうなることやら。

だが、それでも多少とも意味があると考えているのは、私は私が独りではないという確信があるからだ。たった1票に過ぎないにもかかわらず、投票に行くのと同じことだ。私がいれる1票は、他の人がいれる1票と足されて、候補者の当落を決める。私たちは、すくなくとも投票で権力の所在を決めるシステムの社会では、そのように考えて投票所へ赴く。

私が生きてきたのと同じ時間を生きてきて、まだ生き続けていこうとしているたくさんの人々の存在を感じる。その人々にとって、私の例は、たった一つではあっても、無意味であろうはずがない。正反対のことを考え、あるいはまったく無縁のことをしてきたとしても、同じ時間、同じ日本、同じ世界で生きて来たことだけは間違いないからである。ああ、こいつはこんな風に考えていたのか、わかるわかる、または、違うものだなあ。どちらでもよい。

それに、このシリーズにはオマケがある。

途中から、新しい小説を少しずつ付け足してきた。『団塊の世代の物語』と題している。

先日、BS11で連続している『団塊物語』なる私の番組に幻冬舎の見城徹さんが出てくれた。その時に、この新しい小説の話が出たのだが、「題が悪い」と一刀両断にされてしまった。もっとも、私がそうした小説、戦後とぴったりと重なった団塊の世代の、男女の物語と戦後史がどろどろとないまぜとなった小説を書こうとしている、その意図は大いに理解してくださった。

私も、そうしたものは私でなければ書けないだろうと自負しているのだ。フィールドでプレーしている人間にはそのプレーの歴史的位置づけはできないものだ。

あれも、これがなければ出現しなかった。

次は令和4年、そして令和5年、6年。

さて、その次の年になってしまうまでに終わりになっているかどうか。

「団塊の世代の物語」(5)

「お願いがあるの」

食事が終わって大木が運ばれてきたカプチーノにシナモンの棒きれを差し込んだところで、英子が大木の手元をみつめながら口を開いた。大木は、以前はカプチーノなど飲まなかった。ふつうのコーヒー、でなければエスプレッソ。それが、ある理由があって愛飲するようになったのだった。それほど昔ではない。

大木がエスプレッソを飲むようになったころのことを思いだしていると、つかの間の沈黙を破るように、英子が低い声で、しかし断固とした調子で話しかけた。

「大木先生、どうしてもお願いがあるんです。」

「はい」

大木が、謎解きでもするように英子の瞳をのぞき込んで言い返すと、英子が、

「私を、三津野さんにご紹介ください。」と、短い言葉を、しかし強く投げだした。

「え?」

大木は薄茶色のシナモン・スティックでゆっくりとコーヒー椀をかきまわしながら、半ば顔をあげて英子にむかって、

「三津野さんにって。どうしてまた」と低い声でたずねた。謎はとけない。

英子の二つの目は大木の顔のさらに向こう側、部屋の壁に突き刺さっている。人の目ともおもえない静けさをたたえている。

両の目から壁までの強く張られた視線になにかをぶらさげることができそうだな。大木の頭に脈絡のない想像が浮かんだ。目は歳をとらない。

三津野のことならよく知っている。大木だけではない。世間に広く知られた存在だ。不動産業に携わっている人間なら知らない者はない。それだけではない。三津野はそれ以上に、自分の会社の女性社員への熱心な取り組みでも世の中に評価されている存在だ。77歳。団塊の世代の最初の年に生まれている。すでに旭日大綬章を受けてもいる。

それ以上に、三津野はなんとも格好がいい、男性としてのオーラがあふれている。その長身と豊かで黒々とした頭髪ゆえに、テレビに出るようになってからの石原裕次郎みたいだという人も多い。外観だけではない。さわやかな雰囲気を漂わせ、グレン・チェックのダブルのスーツを小粋に着こなしているところが、多くの男性にとっては憧れの的なのだ。もちろん、女性にとっても同じことである。

大木は三津野のことを人前でもいつも「私の恩人です」と呼んでいる。本当にそうなのだ。大木が顧問弁護士をしていたある巨大な会社で大木を非難する騒ぎがあったことがあった。なんの根拠もない、会社内での派閥闘争にからんでの争いで、何通もの怪文書も出回ったのだが、すぐに収まってしまった。後になってから、社外役員だった三津野が役員会でその騒ぎを見事に鎮めてくれたのだと伝え聞いた。大木は、敢えて三津野に対してその件を口にはしなかったが、以来、大木は三津野を人生の恩人だとずっと思って深く感謝し続けているのだ。

「三津野さんにお会いしたいんです。」

「そりゃそうだろうね、そんな怖い顔して、紹介してくれっておっしゃっているくらいだから」

大木は英子の指先が小刻みに震えていること、それを気取られないように両の手を合わせ、テーブルの上に重ねて強く押しつけることで隠そうとしているのを見てとった。どうやら英子にとっては人生の重大事らしい。耳のイヤリングまでが揺れているような気もした。

「よくご存じの方ですよね」

「ああ、そのとおり。仲良しといっていい関係だと思っている。」

微笑を浮かべ、わざと気軽な声で答を返した。

「ですから」

英子の固い、凝ったような表情は変わらない。

「だから、どうしてなのかを聞いているのさ。

三津野さんならいますぐ、いま、ここでスマホをかけてもいいような仲だけど、でも」

「でも?私じゃだめ?」

英子の顔の筋肉がほんの少しゆるみ、安堵の色がみてとれた。

「とんでない。喜んで。

でも、どうして」

大木は二、三回シナモン・スティックでコーヒーカップの縁をぬぐうように大きな円を描いた。いつもこれが終わるとすぐに取り出すのだ。

ほんとうは、ここでシナモンの棒の先を舐めたいのだ、ちょっと噛んでみたい。だが、それをするのは目のまえにいる相手による。さすがに英子のまえではやめておいた。

いつも思うことなのだが、シナモン・スティックというのは不思議な茶色の棒切れだ。うるわしく銀色の紙に半身が包まれて、優雅にコーヒーカップの横に長く横たわっている。取りあげただけで香りがただよう。軽い、浮き立つような刺激にみちた香りだ。

だが、口に含んで舐めてみても美味しくもなく、齧ってもシナモンの香りが再びあふれ出すというのでもない。不愛想きわまりないしろものだ。そうとわかっているのに、大木は毎回カプチーノを頼むたびに、シナモンの棒を舐めたくなる、齧りたくなる。あの、夢のようなニッキの香りがコーヒーとおなじに口の中に広がりそうな気がするのだ。もう何回も試してみてそうはいかないとわかっていても、カプチーノを頼むたびに誘惑に駆られないではいられない。幼児体験かもしれないと思ったこともある。いや、カプチーノを飲むようになったきっかけとからんでいるという自覚もある。

ある、もう若くない女性から相談ごとがあるからと言われ、オークラのオーキッドの半分個室のようになったスペースに座ったときのことだった。あるレストランでサービスのトップをしていた女性で、お店ではなんどもその日の料理の材料の話、シェフの腕前のこと、彼女がほめてくれた大木のスーツの柄やワイシャツ、ネクタイのはなしなど、とりとめのないやりとりをしてきた。

それが、突然電話をしてきたのだった。もっとも電話というのはいつも突然ではあるのだが。大木は手帳をながめて日時を決め、オークラのオーキッドを指定した。

なにを飲まれますか?とメニューを手にたずねたら、その女性がカプチーノをとこたえた。それまで大木はなんども目にしたことはあったが、自分で飲んだことはなかった。その女性が、運ばれてきたカプチーノの泡のなかにシナモン・スティックをゆっくりと差し入れる動作が、なんとも優雅だった。指でつまむ部分が縦に刻まれた銀紙でコックの帽子のように飾られている。彼女は右手の親指と人差し指でつまんでいた。残りの指がカップをおおっている。かきまぜる1,2秒がコーヒーカップの泡におまじないをかけているように見えた。

大木はいそいでウェイターを呼んでいつもの紅茶、それも濃いめの紅茶でのミルクティーの注文を取りけしてカプチーノに替えてもらった。スティックをエスプレッソにすっと突っ込んでやろうと決めていた。何年か前のことだ、いつだったか。

彼女は、シナモン・スティックというのは、浅岡スパイスという会社のものが一番で、その会社はスティックではなくステッキと呼んでいるのだとも教えてくれた。商売柄とはいえよく知っているものだと思いながら、大木はペンギンが「ステッキ買い込んで黒い鞄を持ったなら素敵なお医者さん」という、昔のCMソングを思いだしたのを憶えている。

コーヒーカップから取り出したシナモン・スティックの先端から泡が消えてゆく。香りが移ったエスプレッソを一口すすると、その先っぽを見るともなくみる。濡れるまえのしゃっきりと張りきっていた姿が、水分を吸いこんだせいでかピンとした丸い管だった先端部に皺がよってしまってぐにゃぐにゃになってふやけてしまっている。もうどこに管の穴があったのかも怪しくなっている。

スティックをすこし持ち上げて、鼻先であらためて香りを確認してみる。香りはほとんどない。その瞬間だった。あ、舐めてみたいと感じたのだ。そのときはさすがにそうはしなかったのだが。

別の機会に舐め、さらに齧ってみて、なんだつまらないとおもった。なんの味もしないのだ。両の前歯の先で潰された棒きれからシナモンの香りのするコーヒーが口じゅうに広がるのを期待していたのだ。だが、現実は違った。

英子は三津野とのわずかな過去を独りがたりに物語った。

話し始めると、大木の顔を見てはいない。口はとまらない。

「高校のときの先輩なんです。

茶道部の2年先輩で、男子も女子も、みんなの憧れの部長だった方。

茶道部には夏の合宿があったり、正月には初釜があったり。三津野さんの指揮で、まるで茶道部全体が魔法にかかったように滑らかに、愉しく動くの。

でも、三津野さん、私のことは頭からこども扱いして、同じ学年で生徒会の役員をいっしょにやっていた女性とばかり話していたの」

テーブルに置いた両手に力をこめると、一瞬とおくをながめるように息を飲みこみ、とぎれることなく続けた。

「それから東大に入られて、不動産会社に入られたっていうことは同級生に聞いていました。

雑誌でも新聞でもよくお見掛けするようになったのは30年くらい前からかしら。

社長になられて、私、同じ不動産の世界でも天と地の方に遠い世界の方になられてしまったんだなあと思っていました。」

かるい溜息がはさまった。

「でも、私、決めたんです。

いましなければ、もう永遠にない。

あなたに同窓会であったのは神様が導いてくださったから。私、そう思っている。

あなたにあそこで会わなかったら、三津野さんにお会いしようなんて思わないで死んでしまったと思う。

でも、私、決めたの。

もう男の人に出遇うのは嫌。出遇いっていうでしょ、あの漢字、私きらい。

私は私の方から、出会いを造って、それをつかみ取りたい。

だからあなたにお願いすることにしたの、三津野さんにどうしてもお会いしたいんです、って」

大木は英子を見すえると、「なんだか、とっても淡い、甘美でロマンティックな話だね。高校以来っていうと59年前だね。

茶道部かあ。僕の高校にもあったよ。素敵な男性の先輩がいたのもおんなじだ。その人、後になって僕に大きな幸運を授けてくれた。

あなた、59年まえに三津野さんに会ったことがあって、で、いまどうしても彼に会いたいってわけだ。

74歳の女性が77歳の男に会いたい、59年まえ、女性が15歳のとき、男が18歳の時いらいの出逢い。それをつかみ取りたい、か。」

大木は、74歳の女性が77歳の男性に59年ぶりに会いたいと言っている、その事実に単純に感動した。

「きっと三津野さんはあなたのこと、よーくおぼえているよ。僕も男だからわかる。男って、そういうものだよ。過ぎ去ってしまった59年間なんて存在しないも同然さ。」

大木は自分がしゃべればしゃべるほど、未練を抱いている気がしてならない。ただ紹介すればいいじゃないか、と自分でも思う。でも、しゃべりたい。

意を決した。

「で、僕は三津野さんに、なんていえばいいのかな」

「私の名をいっていただけば、憶えていらっしゃるかもしれない」

「なんだって?やっぱりね。

それじゃ、紹介なんていらないじゃないか。もともとそんなに深い知り合いなんだったら。」

大木は自分の心に嫉妬がきざしたのを感じた。英子はなにもなかったように、

「だって、もう59年もお会いしていないんですもの」

「そうか。それじゃ、紹介してくれってのもわかるな。きっかけがないと、こんにちわ、ってわけにはいかないよね。

でもね、しつこいようだけど、三津野さんはあなたのことをきっと憶えていると思うよ。あなたに会ったことのある男性で、あなたを忘れてしまう人なんていないよ。」

大木は自分が嫉妬しているのをもう一度確認した。男性として、そんな思いはもう金輪際したくなかったのだが、我がことながら、心ひとつでどうなるものでもありはない。

運ばれてきたエスプレッソの上におおきく盛り上がった泡に、ちょうど真ん中をねらってぐっとシナモン・スティックをまっすぐに突き刺すように差し込んだ。泡に模様のない、スティックをつかうタイプのカプチーノの方が流行りだと知ってはいても、大木にはスティックのないカプチーノは考えられない。いつだったか、そもそもカプチーノは原産地のイタリアではシナモンなんて関係ない、アメリカ人がそんな飲み方を始めただけだと聞いたときも、でも、カプチーノはシナモン・スティックだよとしか思わなかった。

自分のなかのなにかを振り切るように乱暴にシナモン・スティックを右手の親指と人差し指で摘みあげると、

「英子さん、あなた、自分でさっさと三津野さんに会いに行けば良さそうな気がするけど、ま、なにかあなたなりの事情があるんでしょうね。

はい、はい、わかりました。

ちょっと電話してみましょう。

でも、なんて言おう。

英子さんが会いたがっているってだけじゃ、なんだか老人のキューピッドだしなあ」

英子は声をあげて笑った。安心したのだろう。

「もちろん。

私、三津野さんに私の上場会社の少数株主戦略のアドバイザーになっていただきたいの。」

「そうか。わかった。でも、いろいろなところに関係している方だから、大丈夫かな。わからないぞ」

大木はそう答えてシナモン・スティックをカップにもどすと、大きくカップのなかで円を描いてから引き上げた。

三津野周一は滝野川地所の社長だった男だ。滝野川地所の社長としては豪腕で鳴らした。部下を叱責するときには灰皿がとんでくるというまことしやかな伝説があった。社長を8年やって会長を8年。会長のあいだもCEOのタイトルを手放さなかった。いまや相談役という身分になっている。もちろんCEOではない。会長になってすぐ、業界団体の会長にもなった。もらった勲章も旭日大綬章だから、むかしでいえば勲一等大綬章ということになる。なんでも、会社の格と業界団体の会長職を務めたことだけではそこまでいかないところを、刑務所の収容者の更生に尽くしたということで、国交省だけでなく法務省も推してくれたということらしかった。大木が三津野本人からきいたことだ。

とにかくカッコいい。背が高く、大木よりも2歳年上だが、髪も豊かで、話しながら髪をかき上げ、なんどもなでつけるのが癖だった。

亡くなる前の、『太陽にほえろ!』の七曲署の藤堂係長だった時代の石原裕次郎のよう、というのが周囲の人間のもっぱらの評価だった。

だが、三津野の晴れの受勲のときに妻はいなかった。妻がいればいっしょに天皇陛下に拝謁すべく皇居にいったはずだった。三津野が独りで皇居をおとずれたときには、もう妻がいなくなって5年が経っていた。小柄で、いつも三津野のことばかり考えている、そんな女性だった。会社に入ってすぐに知り合った。そして、しばらく逢瀬を重ねて、結婚を申し込んだときにはお互いの肉体をむさぼり合う関係になっていた。結婚する直前、三津野はもう出口はひとつだなと思い定めて妻になる女性と性関係を重ねた。三津野は彼女にとっての初めての男性だった。少しおどろいたが、彼女らしいという気がしていっそう可愛さが募った。

これも三津野本人から聞いたことだった。

一柳恵子という名のその女性は広島の出身で東京では一人住まいだったから、彼女の大森の小さなマンションを訪ねれば、いつも二人きりだった。要するに、三津野にとって彼女はとても都合のよい暮らしをしている女性だったということだ。初めは、訪ね、泊まると三津野のワイシャツを洗って夜のうちにアイロンをかけて乾かしてくれた。彼女が買い置きにしていたサントリーのVSOPを三津野は当たり前のように好きなだけ飲んだ。丸いブランディ―グラスを空ける三津野に、いいのみっぷりね、と恵子はいつも微笑んでくれるのだ。そして、ボトルは必ず補充されている。

そのうちに三津野の下着を恵子がマンションに買いおいておくようになり、それに靴下とワイシャツが続き、最後にはスーツが狭い洋服かけに納まった。スーツは三津野が自分の家から出張用のガーメントケースに入れて持ってきた。まだ三津野がワイシャツを恵子の家に置いておくようになる前には、恵子は深夜、三津野のワイシャツを洗いアイロンをかけてくれた。

三津野が教えたとおりに恵子は性を学び、その分野ではとても成績の良い生徒だった。3度目くらいまで出血があったが、ひと月もすれば性の悦びを感じるようになり、初めは自分の変化を隠していたが、そのうちに恥ずかしがりながらも積極的に応じる態で応えるようになった。好ましい変化だと三津野は思った。三津野にとっては初めての経験ではない。もちろん恵子にそんなことは言いはしない。

50年後のいま、三津野は独りで50坪を超える南青山の広いマンションの最上階で暮らしている。妻が亡くなったとき、それまでの等々力の一戸建てから引っ越したのだ。とても妻と暮らしていた家には住み続けることができなかった。ホテルもためしてみたが、都心のホテルは到底人が定住するという感覚をもつことはできないところだ。

それでも、週の半分はホテルに泊まる。洗濯をしないで済む。会社の経費で落とせるときには毎日ホテルの部屋を使っていた。それがかなわなくなっても、その程度の資産なら三津野は個人で持っていた。不動産会社のトップを長い間やっていれば、周りが放っておかないものなのだ。建設業者をはじめとした取引先がなにかに理窟をつけてお金を押しつける。それは三津野の流儀ではなかった。しかし、三津野が片意地をはれば、そうした餌をたのしみにしている同僚が恨めしい目で三津野を見ることになる。幹部従業員協同組合の代表として東証1部上場会社たる滝野川不動産のトップになったのだ。三津野には行動の自由は意外なほど狭かった。会社は自分のものではなく、組合のものなのだ。

最近では株主の意見も重要になっているらしい。しかし、滝野川不動産は旧滝野川財閥グループを支える三つのリーディングカンパニーの一つなのだ。政策保有と称してグループ内で持ち合っていれば、外の株主がつけいる隙などありはしない。すくなくとも三津野が経営していた時代はそれでよかった。

ヌーベル・エポックの個室から、英子の熱い沈黙の視線を感じながら三津野に電話した。

コールしているスマホを英子の手前、真っ白なテーブル・クロスの上において、20回のコールを確認して

「明日だね。たぶん返事が返ってくる。そしたらすぐに連絡します」

そう軽快に英子に説明すると、英子は目を閉じたまま素直にうなずいた。

62年まえ、大木の自宅で水色のカーディガンの裾を指先で下に強く引っぱった英子がそこにいた。手の甲の太く浮き出た血管、首の周りの皺。どれも、昔のなにかとその場でくらべるわけもなかった。

眼の前にいるのは、花の女王だ。62年まえに大木の上幟町の自宅の玄関にいて、二つの乳房の膨らみを隠さなかった英子という名の花の女王だった。

本当は、三津野とは万一のための電話番号をべつに交換しているのだが、それは使わなかった。英子ともっとかかわっていたいということかなと大木は自らを嗤った。

三津野からは朝8時半に電話が返ってきた。

「昨晩は失礼しました。」

そう詫びる三津野に、大木は半ば微笑みながら、

「三津野さんにご紹介したい方がいましてね。矢も楯もたまらないので、夜の9時半に電話しました。こちらこそ失礼しました。」

明るい声で話すと、

「岩本英子さんという方なんです。

もっとも、三津野さんのことは昔からご存じだという話なんですけどね。」

「岩本英子さんだって。

驚いたな。あの、花の女王かい。こいつは驚いた。

なんであんたが。

それはいいや。彼女、僕のことおぼえていてくれたってことか。」

三津野は上機嫌に大声をあげた。

天下の滝野川不動産の元実力社長にして財界の雄の反応がこれだった。

「三津野さん、憶えているみたいですね。」

大木はわざと声を潜めてささやく。

「先生、憶えているみたいですねだって。もちろんさ。

あんたもわかるだろう、男には誰にも少年時代があって、そのときに自分の花の女王に巡り合う。

そうやって出逢った花の女王を忘れる奴なんていないさ。生涯忘れるもんじゃない。いや、歳をとればとるほど思いは募る。とくに僕みたいに先が短くなってくるとね。

あんたの花の女王が誰かはしらんけど、ね。だいいち、あんたは未だ若い。

いやまて、あ、そうか、あんたの花の女王は僕と同じ女性だってわけか。こりゃ参ったな」

まだお互いに自宅にいてのやりとりだった。大木はまだスーツに着替えていない。新聞を読みながら朝ごはんを食べる習慣だから、チノパンツをはいてポロシャツを着ている。いちおう、ベッドのなかにいるときの慣れた木綿の下着姿ではない。大木はパジャマを着る習慣を廃してから、もう何十年にもなる。「メリヤスの、着古した下着が眠るのには一番いい」と真からそう信じている。

<男はみんなそんなもの、か。また三津野さんには教えられたなあ>

大木は朝から上機嫌になっていた。

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