58歳・古田新太「“なんてバカバカしいんだ”と爆笑しました」役者を目指した小学生時代のきっかけ

古田新太 撮影/三浦龍司 ヘアメイク/田中菜月、スタイリスト/渡邉圭祐

近年の主演作で言うと、映画『空白』やドラマ『俺のスカート、どこ行った?』など、重厚感のある難役からコメディまで、幅広い作品で独特な存在感を放つ古田新太(58)。今年で役者歴40年を迎え、先日は『第45回 松尾芸能賞』の優秀賞を受賞するなど一見、順風満帆にみえるが、ここまでの道のりに不安や迷いはなかったのだろうか。役者を志したきっかけやこれまでの道のり、「脇役でいい」と思った出会いなど、自身にとっての変化「THE CHANGE」を聞いた。【第1回/全5回】

取材部屋の一角。小上がりのようなスペースがあり、古田さんに座ってもらうと、一気に居酒屋感が漂う。以前、筆者が「三軒茶屋に行けば古田さんに会える」という都市伝説(?)を信じて探しに行ったが、そのときは会えなかったことを伝えると「あれ、いなかった?」とフランクに話しかけてくれた。

そんな古田さんの劇団デビュー作は、大学在学中の84年に出演した『宇宙防衛軍ヒデマロ』。いのうえひでのりさんが主宰する劇団☆新感線の舞台で、以来同劇団の看板役者として数々の作品に出演している。改めて、役者を志したきっかけを聞いた。

「小学校の芸術鑑賞会で、劇団四季のミュージカル『ふたりのロッテ』を観に行ったんです。劇中に朝市のシーンがあるんだけど、舞台上で急に歌ったり踊ったりするのを見て“なんてバカバカしいんだ”と爆笑しました。

当時はプロレスラーや漫画家、ミュージシャンになりたいと思っていたんだけど、そのミュージカルを観て“この職業に就けば何やってもいいんだ。こんなお得な話はない”って思ったんです。

ぶっちゃけ、最初は“歌ったり踊ったりするのってなんてバカバカしいんだろう”と思っていたけど、その後に観た自由劇場では、役者さんが楽器を演奏していて“これをやりたい”に変わって。そこから割とまっしぐらにこの仕事をやってきました」

迷いや不安は「なかった」

――役者を志してから今日まで、迷いや不安はなかったのですか?

「なかったですね。大学在学中に“劇団☆新感線”にスカウトされて入ったんですけど、座長がヘビーメタル好きで、自分がやりたい、好きなことを同じように思う人がいた。もともと『ロッキー・ホラー・ショー』とか『トミー』みたいなロックミュージカルが好きだったから“もしかしたらこの劇団にいた方が、オイラがやりたいことへの近道なんじゃねぇか”と」

――劇団☆新感線には、今も現役で活躍している同世代の役者さんがいますよね。

「基本的にうちの劇団はオーディションなんです。同じ大学に右近健一や橋本さとし、 高田聖子とか歌える人がそろっていたから“ぜひ欲しいな”と思ったので“お前ら、オーディション受けに来い”って誘ったらまんまと入った。オイラとしては“しめしめ”という感じでした」

「“枯れた演技”とかやっているのかな」

古田新太 撮影/三浦龍司

――学生のころから付き合いがある同年代の役者仲間がいるのは心強いですね。まだ少し先のことですが、2年後に還暦を迎えます。俳優として、1人の人間として、今思い描く未来を教えてください。

「しばらくはこのスタンスを続けていきたいかな。どうせいずれは体がいうことをきかなくなってくるから、今みたいに“戦え”とか“飛べ”と言われても、だんだんできなくなってくる。そうなったときに、オイラも“枯れた演技”とかやっているのかなと思うと、自分でもちょっと楽しみ」

――こういう人になりたいと思う先輩はいますか?

「尊敬する伊東四朗さんのような“ふざけたジジィ”に憧れます。楽屋に来るときに“ニン!”って言って入ってくるようなね(笑)。それで“先輩、何しに来たんですか。早く帰ってください”って言われるジジィになりてぇな」

そういって笑うが、今の古田さんでも十分その素質を感じる。この先もまだまだ、私たちを楽しませてくれるに違いない。

取材・文/根津香菜子

ふるた・あらた
1965年12月3日、兵庫県生まれ。大阪芸術大学在学中にデビュー。近年の主な出演作に、映画『空白』や、テレビドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』、『俺のスカート、どこ行った?』、『不適切にもほどがある!』、NHK大河ドラマ『どうする家康』など多数。また、「劇団☆新感線」の各作品のほか、『贋作・罪と罰』、『リチャード三世』、『パラサイト』などの舞台にも精力的に出演している。
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