『巨人ゴリアテを倒した英雄』 ダビデが犯した唯一の悪事とは ~美女バテシバとの関係

画像:『ダヴィデ像』ミケランジェロ作 wiki c Livioandronico2013

ミケランジェロのダヴィデ像で有名なダビデは、貧しい羊飼いから身を起こしたイスラエルの第二代目の王です。

若い頃には巨人ゴリアテを知恵と勇気で打ち負かし、初代イスラエル王サウルの嫉妬にも耐え、全イスラエルを統一したダビデは旧約聖書の英雄とされています。

美しく、強く、賢いダビデは完全無欠に見えますが、王の地位を手に入れた後に重大な過ちを犯しています。

それは一体どのようなものだったのでしょうか。

画像 : 「ダビデとゴリアテ」(オスマール・シンドラー作、1888) public domain

目次

ことの発端

ダビデがイスラエルの第二代王として即位した後も、ユダヤ民族とカナン系諸民族との戦いは続いていました。

若い頃は前線で勇敢に戦ったダビデも、王となってからは前線に出ることはなく、部下たちを戦場に送り出すようになっていました。

アンモン人との戦いの際、イスラエル軍は現在のアンマンにあたるラバを包囲していましたが、ダビデ自身はエルサレムの王宮に留まっていました。

ある日、ダビデが王宮の屋上を散歩していると、近くの屋敷で沐浴している女性の姿が目に入りました。

罪とその隠匿

画像:『ダヴィデとバテシバ』クラナッハ画 public domain

その女性の美しさに心を奪われたダビデは、使いの者を送り彼女を王宮に招き入れました。その女性の名はバテシバで、ダビデの命令でラバの包囲戦に出陣中の部下ウリヤの妻でした。

それでもダビデはバテシバと関係を持ってしまいます。バテシバは家に戻りましたが、その後妊娠に気づき、ダビデにそのことを知らせました。

当時、王であっても姦通は相手ともども死罪に値する重罪でした。謙虚で清廉潔白だったダビデも、部下の妻を寝取った上に妊娠させ、ここで不倫を隠そうとします。

まず、ダビデはラバに出陣していたウリヤを自らの元に呼び戻し、戦況や兵士の安否を尋ねた後、自宅に戻り妻と共に過ごすように言います。しかし、ウリヤは仲間や家臣が野営している中、自分だけがそのようなことはできないと答えます。

策略が失敗したダビデは、更に卑怯な手を打ちます。今度はウリヤを最前線に戻し、彼を残して他の兵士を退却させ、ウリヤを戦死させるように命じたのです。

結果として、ダビデの思惑通りウリヤは戦場で命を落としました。しかし、ダビデは良心の呵責を感じるどころか、部下に対して「戦場では誰かが死ぬのだから、これからも奮戦して町を滅ぼせ」と伝えます。

嘆き悲しんだのはウリヤの妻バテシバです。夫の上司に言い寄られ、妊娠し、そして夫を失ったのです。

そんな彼女の心痛をよそに、ダビデはウリヤの喪が明けると彼女を王宮に引き取り、妻としました。

悪事の結末

画像:預言者ナタンのイコン public domain

ダビデの行為は、何とも後味の悪いものでしたが、ついに神がこれを見咎め、預言者ナタンをダビデの元に遣わしました。

ナタンはダビデにこのような話をしました。

「豊かな男と、貧しい男がある町に住んでいた。貧しい男は一匹の雌の子羊以外は何も持っておらず、娘同然にその羊を育てていた。ある時豊かな男の元に来客があったが、豊かな男は自らの持ち分でもてなすことを惜しみ、貧しい男から羊を取り上げ、それで客をもてなした。」

ダビデはこの話を聞いて憤り、「その男は死罪に値する」と断じました。するとナタンは、「その豊かな男こそがダビデ自身だ」と神の言葉を伝えたのです。

これを聞いて、ダビデは己の罪が神の目から逃れられなかったことを悟り、ついに自らの罪を認めました。これに対してナタンは、「ダビデ自身は死罪を免れるが、彼の幼子がその身代わりとして死ぬ」と告げたのです。

その言葉の通り、ダビデとバテシバの間に生まれた男児はわずか七日で病死してしまいました。罪なき子が親の罪のために命を落とすという、何ともやるせない結末を迎えたのです。

スキャンダルは画家たちが好む格好のテーマに

今も昔も、スキャンダルや背徳の物語を好む人間の性は変わらないようです。

ダビデが残したこの唯一の汚点は、後世の画家たちにとって格好のテーマとなり、多くの作品に描かれました。

特にユニークなのは、17世紀オランダの画家レンブラントの作品です。彼の絵画には、聖書には記述されていないダビデからの呼び出しの手紙を手にするバテシバが描かれています。

画像:『ダビデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴』レンブラント画(部分)public domain

これは、17世紀のオランダで発達した郵便制度と女性の識字率の向上を背景にしています。

夫の上官からの口説きの手紙を手に呆然とするバテシバの姿と、当時のオランダの市民生活が同時に描かれているのです。

最後に

どんなに完璧に見えるような人間であっても、どこかに落ち度があるのは古今東西通じて変わらない教訓なのかもしれません。

また、他人事のように思って相手を責めた話が、実は自分の身にも覚えがあったというくだりは、宗教や信仰を超えた普遍性さえ感じさせます。

格調高い芸術作品に多く登場するダヴィデも、その背景を知ることで、少し親しみを持って鑑賞できるのではないでしょうか。

参考文献:『背徳の西洋美術史』 池上 英洋 (著), 青野 尚子 (著)

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