ベネディクト・カンバーバッチが狂気を体現 『エリック』の裏に隠されたメッセージを読む

ベネディクト・カンバーバッチ主演で、子どもの誘拐を題材にサイコサスペンスが展開する、Netflix配信のリミテッドシリーズ『エリック』は、切り口がユニークなだけでなく、繊細かつダイナミックな心理描写と作劇によって、配信ドラマの質への期待を、また一つ引き上げることになるのではないか。

そう思わせるほど、この作品には、さまざまな点で周到に練り上げられた魅力と奥行きがある。ここでは、そんな本作『エリック』の裏に隠された、現実の問題や、実在するものに焦点をあて、その全体像を明らかにしていきたい。

カンバーバッチが演じるのは、1980年代のニューヨークで、パペットアーティストチームの中心として創造性を支える人物、ヴィンセントだ。彼とチームは、さまざまなパペットたちが登場する、子ども向けTV番組『おはよう お日さま』を長く手がけている。次々にアイデアを生み出し、才能に溢れたヴィンセントは、クリエイターとして多くの人々から尊敬される存在だ。

そんなヴィンセントのキャラクター設定で多くの人が想起するのは、アメリカのTV界や映画でも才能を発揮し、本作の劇中でも言及されている、ジム・ヘンソンその人だろう。パペット(ジム・ヘンソンのパペットは「マペット」と呼ばれる)界の伝説である彼もまた、子ども向けの有名長寿番組『セサミストリート』の中心クリエイターとして知られている。

ジム・ヘンソンについて理解を深めるには、近頃ディズニープラスでオリジナル作品として配信されている、ロン・ハワード監督によるドキュメンタリー映画『ジム・ヘンソン:アイディアマン』が、うってつけだ。ユニークなアイデアを次々に生み出す才能の凄まじさや、同じくパペットアーティストの妻、そして家族との関係など、本作の主人公ヴィンセントには、ヘンソンとの共通点が多く見出せることだろう。

1969年からスタートした『セサミストリート』と同期するように、本作では劇中の架空の番組『おはよう お日さま』が、70年代に人気があったことが描かれる。だが『おはよう お日さま』の方は、物語の舞台である80年代に人気に翳りが見えてきたという設定になっていて、明るいメッセージを発信する番組の内容と裏腹に、スタッフたちの空気がギスギスしているのだ。

ドキュメンタリー『ジム・ヘンソン:アイディアマン』で客観視されたヘンソンの負の部分を知ることで、マイナスのイメージもまた、一部強調されたかたちでヴィンセントに投影されているようにも感じられる。本作では、エキセントリックな面がフィクションとしてよりカリカチュアライズされ、ずけずけと皮肉や批判をぶつける激しい彼の性格が、TV局の幹部に煙たがられたり、仲間や家族さえ傷つけてしまう様子を描いている。

創造力が、ある意味で狂気にも繋がっているという、天才的なアーティストへのイメージもまた、役柄に投影されている。なんとヴィンセントは、自分の息子エドガーの行方が分からなくなり、誘拐事件として警察が捜査するという展開になったときに、エドガーの描き残したスケッチを見つけて、新しいパペット「エリック」の制作を始めるという、奇妙な行動に出るのだ。番組にそのキャラクターを出演させれば、息子が帰ってくるかもしれないというのである。それを知った妻のキャシー(ギャビー・ホフマン)は、「おかしくなったのね……!」と動揺する。このときのホフマンの迫真の演技や表情も素晴らしい。

もちろん、視聴者の多くもまた、ヴィンセントの精神状態が一気に悪化し、あり得ない妄想を抱いているのだと考えるはずだ。だが興味深いのは、そんな意味不明ともいえる行動が、じつはヴィンセントを事件の真実へと次第に導いていくところだ。カンバーバッチは、そんな狂気と真実の狭間に立つ男性を見事にリアリティをともなって演じていて、視聴者もまたその精神世界を通して作品世界を体験することで、不安な思いにかられながらストーリーを味わっていくのである。

また、事件の真相に近づいていく過程で明らかになってくるのは、ニューヨークの街のさまざまな問題だ。80年代は、とくにニューヨークでホームレスの増加が深刻となり、路上から追いやられた人々が、地下鉄のトンネルや下水道内の空間で生活する「モールピープル(もぐらびと)」と呼ばれる人々が目立ってきた。ニューヨークのホームレス問題は、現在もコロナ禍以降とくに深刻になっていて、過去と今を結ぶ重要なトピックとなっている。

本作では、街からホームレスを排除しようとする政治家が、パペットの人気を利用して市民の同意を得ようとする場面もある。もともと、裕福な父親との確執などから権威に対して反骨的な精神を持ち、番組にもその意思を反映させてきたヴィンセントは、自分の創造したものが不寛容と排斥に加担するという、悲惨な様子を見せつけられるのである。

そして、この時代は有色人種や性的少数者に対する差別も、現代に比べ苛烈だったといえる。黒人でゲイという特徴を持つ、事件を担当するルドロイト刑事(マッキンリー・ベルチャー三世)は、人種や社会的地位などの違いによって警察の対応が変わる現実や、保守的な組織内で性的少数者であることが明らかになってしまうことへの恐怖に直面することになる。

そういったさまざまな事態に対して唯一の解決策になると考えられるのが、劇中で『おはよう お日さま』のモデルになったと考えられる『セサミストリート』の精神だ。この番組には、人種や性別の違いなどへの偏見を子どもたちに持たせないような配慮がなされてきた。70年にはすでに黒人のマペットが登場し、続いて外国人や自閉症、アジア系のキャラクターが増えていった。そんな多様な存在が、同じ場所で不当な扱いを受けずに生きることができるのが本来あるべき社会だということを、子どもたちに示しているのである。

ヴィンセントと息子エドガーとの共作であるといえるパペット「エリック」は、暗闇に住んでいた孤独な存在だという設定だ。エドガーは、父親が自分を見てくれないという境遇を「エリック」に託し、またヴィンセントも、自分自身を「エリック」に重ねているところがある。

『セサミストリート』の内容を、現実の社会とはかけ離れた「きれいごと」だと考える人も少なくないだろう。だが、いま現在差別を受ける当事者にとって、現実にもそうあってほしいと、切実に願っているはずに違いない。そして、自分がマイノリティの側に立っていないと考える人々も、じつはヴィンセントとエドガーのように、何かしら他人と違う部分があり、その点で孤独を抱えているはずなのではないか。

そういった意味において、多様性やそれぞれの違いを認め合うことは、大事な存在を救おうとすること、そして自分自身を救おうとすることにも繋がっていくはずなのである。本作『エリック』が、厳しい苦難を通り抜けていく物語を通してうったえかけているのは、そういうメッセージなのだと考えられる。
(文=小野寺系(k.onodera))

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