R-1決勝進出・どくさいスイッチ企画 脱サラで上京、36歳のお笑い挑戦「人生が楽しくなる」

3月に〝ピン芸日本一〟を決める「R-1グランプリ2024」で、史上初めてアマチュアとして決勝に進出した、どくさいスイッチ企画が5月16日に東京進出を果たした。大阪在住の会社員として話題となったが、3月で退職し、フリーの芸人として妻とともに関東に転居。都内でのライブ出演など、お笑い活動を本格化させた。

R―1ではツチノコをモチーフとしたネタで、決勝4位と奮闘。「決勝に行けたら、ちょっと考えようかなと思っていました。優勝しないにしても、決勝に出られたら、お笑いを仕事にしたいという気持ちでした。それで2月くらいから考え始めていて、いざ決勝が終わってから、会社に退職を伝えました。いろんな人に相談して、関東の方がお笑いの仕事、ライブを取りやすいという話をいただきました」と経緯を語った。

大学の落語研究会でお笑いに取り組み、R―1にも出場していた。卒業の際は「お笑いを仕事にするなんて考えられなかった」と就職し、以降は実力派の社会人落語家として趣味の形でお笑いに関わってきた。コロナ禍で年配者が集まる落語会が開催できなくなり、ピン芸活動をスタートさせ、R-1挑戦を再開。22年のR―1で準々決勝に進出した頃から、お笑いを職業とすることを意識し出した。

「実際にお笑いのライブなどに出るようになって、やはり楽しかった。もし仕事にできたらいいな、というのは何となく思っていました。ただ何も実績もない状態で、というのは違うとは思っていました。こう言うと、すごく主体的に動いたみたいなんですけど、結局は流れに身を任せた感じでもあります」

こうして迎えた3月の決勝。「見たことのない世界。味わったことない感じがありました。これがまたできるのであれば、もう一回真剣にやってみたくなりました」と決意は一層強くなった。

ツチノコネタに対しても「終わってからの反響がものすごくて、こういうことが起こるなら、人生が楽しくなる」と驚くほど。関西ローカルの情報番組「よーいドン!」(カンテレ)への出演も契機となった。街中で出会った印象深い人を出演者が「となりの人間国宝」に認定する人気コーナーが関西では知られており「『となりの人間国宝さん』に出るのが目標の一つだったのに、自分がスタジオで(VTRを)見る側になるとは思っていませんでした。ゲストで呼んでいただいて。それも結構大きかったですね」と語った。

23年に結婚した妻からは、お笑い活動を応援され続けており「形になって良かったね」と決断を後押しされた。兵庫に暮らす両親からの反応は想定外だった。「いつかはそうなると思っていた。ただ、引き際だけは見誤るなよ」と、背中を押された。どくさいスイッチ企画は「やめろと言われるかなと思っていたんですけど、そうじゃなかった。もう言い訳はできない。やるしかないですね」と、覚悟が決まった。

今後は東京でのライブ出演を軸に、5月22日発売の文芸誌「小説新潮」に掲載されたコラムのように執筆活動も行っていく。「安定した収入基盤を築きたい」としつつも、お笑いへの熱意が先立つ。「せっかく東京に出てきたので、もっといろいろな仕事をしたい。R-1優勝が目標ですが、基本的にはライブに出て、もっとネタをしたいです」と決意を述べた。ツチノコの正体に迫るドキュメンタリー映画「おらが村のツチノコ騒動記」(今井友樹監督)のトークイベントに登場するなど、想定外の仕事にも恵まれ始めた。

当面はフリーとして活動する意向。9日に東京公演は終わったが、15日には大阪で単独ライブを控える。改めてお笑いへの意気込みを尋ねると「今の率直な思い…仕事を募集しています。面白そうな仕事は何でもやっていきたいと思っています」とキッパリ。36歳の転身。人生をもっと豊かなものにする。

(よろず~ニュース・山本 鋼平)

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