コロナ禍に一筋の光をもたらした“大谷フィーバー”…大谷翔平こそが「時代を映す鏡」と言われるワケ

(※写真はイメージです/PIXTA)

今やその名前を知らない人はほとんどいない、日本中…いや全米も熱中するアスリート・大谷翔平。本記事では内野氏による新刊『大谷翔平の社会学』(扶桑社)から一部抜粋し、コロナ禍を救った大谷フィーバーを解説します。

コロナ禍と大谷フィーバー

大谷は2017年オフ、エンゼルスと契約を結んだ。当時、大谷は23歳。「日本のベーブ・ルース」の呼び声とともに渡米したが、日本でもアメリカでも「メジャーで二刀流なんてできるわけがない」という声が多かった。日本球界の「ご意見番」張本勲も、大谷の無謀とも思える挑戦に「喝!」を入れた。

しかし、実際にはベーブ・ルース以上だった。2018年シーズンが開幕してすぐ、打者として3試合連続本塁打、投手として7回途中まで完全試合という離れ業をやってのけ、アメリカの野球ファンの度肝を抜いた。シーズン途中に肘を故障して、しばらくは打者に専念することになったが、メジャー1年目の日本人野手としては歴代最多のシーズン22本塁打を放ち、アメリカン・リーグの新人王を受賞した。

日本のメディアはもちろん、大谷のニュースで持ちきりだった。といっても僕は当時、マレーシアの首都クアラルンプールに住んでいて、日本のテレビを見ていたわけではない。でも、たまにオンラインのニュースを見れば、大谷の話題性の高さは十分に伝わった。

僕はこの頃、日系通信社のマレーシア支局で経済記者として働いていたが、その通信社は世界各地のニュースを自社のウェブサイトに掲載して、有料で契約している企業の従業員向けに配信していた。ヤフー!ニュースなどと同じくトップページに「アクセスランキング」があるのだが、2018年4月のある日、ふとランキングに目をやると、アクセス数トップ5がすべて大谷関連の記事だった。

大谷の活躍を速報する記事、監督やチームメイトの称賛コメントを並べた記事、大谷の地元・岩手の人々をインタビューした記事、等々……。ちなみにこのウェブサイトの主な読者は、国外で働く日本人ビジネスマンたちだ。彼らは自分が駐在する国のニュースや自分の仕事に関連する記事、あるいは日本の政治や経済に関する情報よりも、大谷の活躍を知りたくて仕方なかったようだ。

大谷は2019年シーズンも打者に専念し、前年より少し成績を下げたが活躍した。そして2020年は、トミー・ジョン手術を経て投手として復活し、再び二刀流選手としてプレーすることが期待された矢先に、新型コロナウイルス感染症のパンデミックが世界を襲った。その影響でシーズン60試合に縮小された2020年シーズン、メジャー3年目の大谷は不本意な成績に終わった。打者としては打率.190、本塁打7本。投手としてはわずか2試合の登板で、防御率37.80。

もはや「二刀流」は諦める潮時かと思われる成績だったが、翌2021年シーズン、エンゼルスのジョー・マッドン監督は「大谷を打者としても投手としてもフル回転させる」と明言した。具体的には「登板日の前日や翌日は休ませる」「登板日には打席に立たない」といった従来の起用法の制約を撤廃。「そんな使い方をしたら疲労でつぶれてしまうのではないか?」という周囲の懸念をあざ笑うかのように、大谷は開幕から投打で大活躍した。打者として46本塁打、投手として9勝。大谷はこの年、アメリカンリーグのMVPを満票で受賞。2014年に当時ニューヨーク・ヤンキースのデレク・ジーターが表彰されて以来となるコミッショナー特別表彰の栄誉も手にした。

大谷にとって最初のMVPイヤーが「ウィズコロナ」が定着した2021年にやってきたのは、単なる偶然だったかもしれない。だとしても、完璧なタイミングだった。

大谷の大活躍は、終わりの見えないコロナ禍に悶々としていた日本社会に明るいニュースをもたらした。みんながマスクで顔を隠すが、それにもかかわらず感染者数は増え続け、ワクチンも(他国に買い負けているがゆえに)なかなか提供されない。在宅勤務や外出規制によって心を病む人が増え、とくに女性の自殺者数が激増。「アベノマスク」など頓珍漢な施策を連発した政治は混迷を極め、もはや誰も政府に期待しなくなった。日本はこの先、どうなってしまうのか? そんな得体のしれない不安が高まっていたころに、大谷の「リアル二刀流」が解禁されたのだ。「終わりなきコロナ禍」「先行きの見えない日本社会」という世相と相まって、2021年の大谷フィーバーは最高潮に達した。

ちなみに2021年といえば、当初の予定より1年遅れで東京オリンピック2020が行われた年だ。大谷が驚異的なペースでホームランを量産していたまさにそのころ、オリンピックが開幕した。まだコロナ禍が継続していたにもかかわらず強行開催されたオリンピックに対して批判の声が少なくなかったが、大谷に対する否定的な声は皆無だった。一部の既得権益者により政治利用されていたオリンピックに対し、大谷はただ単に野球をしていただけだから当然だろう。

大谷の「ヒーローズ・ジャーニー」

2022年シーズンも前年に劣らぬ大活躍を見せた大谷はその年の10月、エンゼルスと年俸3000万ドルで1年契約を交わした。

歴史的な円安がニュースになっていたが、年俸をドルで受け取る大谷にとって、円安になるほど懐に入る円での金額は増えることになる。契約当時のレートで約43億円という大谷の年俸は、物価上昇を受けて、日々の生活費を切り詰めている多くの庶民にとっては天文学的な数字となった。あまりに桁が違うため、羨ましいとすら思わない。等身大の「会いに行けるアイドル」が一般的になった今日だが、大谷の存在は物理的にも精神的にも、あまりにも遠い。そのとてつもない遠さ、手の届かなさが大谷を紛れもないスーパーヒーローにした。いわば神話的な存在で、多くの人はその生身の姿を見たこともないが、しかしこの世界に確かに存在していると信じる存在。それは即ち「神」である。

大谷は神のごとく、人間を超越した存在として崇められている。「雲の上の存在」、などという表現では不十分で、この世のものとは思えない存在。アメリカのMLB中継を見ていても、現地のアナウンサーが大谷を“He is not from our planet”(彼は地球人じゃない)、“He is not a human”(彼は人間じゃない)といった表現で大谷のすごさを称えている。

僕ら日本人は、この世界における最たる「大谷信者」だ。この生きづらい、先の見えない世の中を大谷さまが救ってくれる……。

2023年春、世界はすっかり「アフターコロナ」となり、日本でもようやくマスクの着用要請が解除されたころ、大谷は日本に“上陸”した。第55回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に出場する「侍ジャパン」の一員として。

大谷が日本のファンの前でプレーするのは、2017年オフのMLB移籍後では初めてで、実に5年半ぶりのことだった。初の実戦となった3月6日の強化試合で、大谷はいきなり魅せた。この日の対戦相手だった阪神タイガースの投手陣を相手に、2打席連続の3ランホームラン。1本目は低めの変化球に体勢を崩され、片膝をつきながら片手でバックスクリーンまで運んだ。2本目は内角のボールにつまらされ、バットを折りながらも右中間スタンドまで運んだ。「メジャー級」などという言葉ではまったく物足りない、規格外のパワーだった。

日本のメディアはこの日、当然ながら大谷一色となった。大谷と同じユニフォームを着る侍ジャパンの選手たちも「次元が違う」「言葉が出ない」などと、あっけにとられた様子で感想を述べた。この試合を中継していたテレビのアナウンサーは「大谷がとんでもない姿で帰ってきました!」と興奮して伝えた。

そう、大谷は帰ってきたのである。MLBで世界最高の選手になるという旅を終えて、母国の日本へ。

アメリカの神話学者ジョゼフ・キャンベルは、古今東西の神話に登場するさまざまな英雄の物語を研究し、それらの物語に共通のテンプレートがあることを発見した。それは「主人公が旅に出て、苦労しながらも成長し、やがて帰還する」というものだ。この物語の流れは「ヒーローズ・ジャーニー(英雄の旅)」と呼ばれ、古い神話だけでなく現代のフィクションにもよく見られる。たとえば『スター・ウォーズ』『ライオン・キング』『千と千尋の神隠し』『ドラゴンボール』など、世界的にヒットした物語の多くはこうしたシンプルだが力強いプロットにのっとっている。

大谷翔平の人生も、そんな「ヒーローズ・ジャーニー」のひとつだと言えよう。23歳で渡米し、故障やスランプで苦労しながらも成功を収め、そして故郷に帰ってきたのだ。もちろん大谷はまだ旅の途中にあり、物語の続きは誰にもわからない。創作された物語と違って、シナリオはない。シナリオがないからこそ、僕らは大谷にこれほどまで夢中になれるのだろう。

“とんでもない姿”で日本に帰ってきた大谷はその後、大会MVPに輝く活躍で侍ジャパンを世界一に導いた。間もなく始まったMLBのシーズンでは日本人初、アジア人初のホームラン王に輝き、MLB史上初めて2度目の「満票MVP」を受賞した。そしてシーズン終了後の12月、ロサンゼルス・ドジャースと10年総額7億ドル(約1015億円)というスポーツ史上最高額で契約し、大谷の「ヒーローズ・ジャーニー」は次のチャプター(章)へと移行した。

「日本人メジャーリーガー第1号」村上雅則の渡米から約60年。そして「日本人メジャーリーガーのパイオニア」野茂の渡米から約30年。大谷は、日本人メジャーリーガーの歴史における頂点を極めた。

日本人メジャーリーガーの歴史において今後、これ以上の高みが果たして訪れるのだろうか?

もし今後、日本社会が過去30年と同じようにゆっくりと衰退していくならば、やがて大谷を超えるような選手が現れるのかもしれない。これまで日本社会が衰退すればするほど優れた野球選手が出てきて、ついには大谷が登場したのだ。政治が混乱し、経済が低迷するほどスポーツの熱狂は高まり、優れたアスリートが誕生する……。

スポーツは時に「時代を映す鏡」と言われるが、今の日本では大谷こそが「時代を映す鏡」なのだ。

内野 宗治

ライター

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