【第3回WUBS】国内の「カレッジスター軍団」日本学生選抜の出場が決定

一般社団法人関東大学バスケットボール連盟が創立100周年を迎える今年、ワールドユニバーシティバスケットボールシリーズ(世界大学バスケットボール選手権=WUBS)に、国内大学の有望選手を集めた日本学生選抜の参加が決まった。昨年の第2回WUBSでも、初代チャンピオンのアテネオ・デ・マニラ大とのエキジビションで同様のチームが登場したが、今年は他の7チームとともに王座を競うことになる。

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直近の李相佰盃、しり上がりに調子を上げた日本学生選抜

WUBSに出場する日本学生選抜の顔ぶれについては、現時点では明らかになっていない。ただし、昨年のエキジビションにジョーンズカップ出場チームが出場していたことを思えば、やはり国内トップクラスのタレントが名を連ねることが予想される。直近のセレクションでは、5月17日から19日にかけて国立代々木競技場第二体育館で開催された、第47回李相佰(リ ソウハク)盃日・韓大学代表バスケットボール競技大会の男子日本学生選抜チームが参考になりそうだ。

李相佰盃のメンバーのうち、昨年のインカレ王者として出場する白鷗大の境アリーム、陳岡流羽、佐藤涼成および、同じく関東大学連盟のスプリングトーナメント王者の立場で参戦する日本体育大の小澤飛悠は除外されることになる。彼ら4人のほかには、李相佰盃のメンバーには以下の顔ぶれが名を連ねていた。

塚本智裕(大東文化大学3年) PG/180cm
ハーパー ジャン ローレンス ジュニア(東海大4年) PG/180cm
副島成翔(筑波大2年) C/197cm
星川開聖(筑波大2年) SF/193cm
介川アンソニー翔(専修大学2年) PF/196cm
新沼康生(日本大4年) PF /193cm
浅井英矢(筑波大4年) PF/197cm
武藤俊太朗(明治大2年) SF/190cm

この中で塚本と介川アンソニーの2人は、第2回WUBSのエキジビションでプレーし、その直後からのジョーンズカップも戦ったメンバーだ。

白鷗大の網野友雄監督が率いた今回の李相佰盃における日本学生選抜は、ハーパーがキャプテンを務め、フィジカルさとスピードを併せ持つチームだった。初戦の入りで思うようにゲームを作れず、前半で19-41と大きなビハインドを背負う展開苦しいスタートとなり、シリーズとしては1勝2敗で負け越している。しかし、その初戦の終盤に猛反撃を見せ最終スコア57-64まで詰め寄った後、翌日の第2戦は53-55の接戦での黒星、そして最終日に77-66で勝利を挙げるという「しり上がり」の出来栄えだった。

白鷗大、日体大勢を除くメンバーの中では、3試合すべてで得点を2桁に乗せ平均14.0得点、5.3リバウンド、2.7アシスト1.7スティールのアベレージを残したハーパーが個別に最も際立った数字を残した。初戦を除く2試合では、星川がフィールドゴール成功率50.0%で平均12.0得点、武藤も同75.0%で10.5得点を記録している。個別のチーム事情もある中で、最終的にどんな顔ぶれになるかは全くわからないが、あくまで直近の実績のみに着目すれば、彼らがWUBS学生選抜候補に名を連ねる可能性は十分ありそうだ。

第47回李相佰盃初戦で速攻から得点を狙うハーパー ジャン ローレンス ジュニア(写真/©月刊バスケットボール)

大会の価値を上げるWUBS
日本国内の大学バスケットボール界の注目株が一つのチームを組んでプレーする機会はそう多くない。その意味で日本学生選抜の参戦は、プレーする立場と見る側の立場の両方にとって貴重な機会を提供することになる。それが大会の価値を高めることにつながるのは間違いない。

実は今年の大会には、複数のNCAAディビジョン1加盟大学から参加の打診が寄せられたという。これは、2022年に初めて開催されて以来大学バスケットボール界に新たな風を吹かせているWUBSの価値が、海外でも認められてきているからこその流れだ。来年以降の大会に弾みをつける意味でも、今年の大会がどんな盛り上がりを見せるかが重要な要素になる。日本学生選抜にも、遠慮なく大暴れして優勝争いに絡み、日本の大学バスケットボールの熱気と実力を大いに世界に発信してほしいところだ。

☆日本のバスケットボール界発展の礎となった大学界

日本におけるバスケットボールの発展を大学界が支えてきたことは、一般社団法人関東大学バスケットボール連盟の前身である全日本学生籠球連合結成が1924年(大正13年)で、日本バスケットボール協会のそれが1930年(昭和5年、当時の名称は大日本籠球協会)であることからも自明だ。協会創立時の中心メンバーも、早稲田大学を卒業して間もない李相佰(イ サンベク=日本では前ページの大会記述のとおり「リ ソウハク」の呼び名で知られている)ら、大学バスケットボール界出身の若者たちだった。

背景には当然、1854年の開国以降欧米列強に対抗すべく近代化・国際化を図る日本の変革がある。1868年(明治元年)の東京遷都、72年(同5年)の学制発布を経て77年(同10年)に東京大学が誕生。その後、1920年(大正9年)の大学令発布により、首都に8つの私学ができたところまでが、学生たちの交流基盤形成の第一段階と言えるかもしれない。

一方で、海外から流入してくるスポーツ文化が日本社会において教育的価値を持つ存在として受け入れられていく。その中でバスケットボールは学生たちの間で人気競技として市民権を獲得。天皇杯で毎年のように大学チームが頂点に立つ時代が訪れる。それがやがて、より幅広い人々の関心を集めるようになっていくのだ。

昨年のインカレ決勝より、白鷗大の陳岡流羽(写真/©月刊バスケットボール)

☆一般財団法人全日本大学バスケットボール連盟とは

全日本連盟の誕生は、第2次世界大戦終戦から間もない1949年(昭和24年)。それは戦後の学制改革に伴う新制大学と、いわゆる6・3・3・4制の教育制度がスタートした年に当たっている。

当時は体育に関して、戦前・戦時の富国強兵という考えに沿った「体錬科」から、「運動と衛生の実践を通して人間性の発展を企画する教育」としての「体育科」に改められていく過程。戦後の新指針に基づき、画一的・形式訓練的な運動ではなく、学習者の興味を尊重しながら民主的・社会的態度を育成する考えにのっとり遊戯・スポーツ中心の内容へと転換が図られていく時期だ。スポーツが戦後の現代的なあり方に進化していく初期段階での全日本連盟誕生は興味深い出来事だ。

大学バスケットボール界では49年に、全日本連盟のほかにもいくつかの支部連盟が誕生(関東と関西には既存の連盟が存在した)し、記念すべき第1回全日本学生バスケットボール選手権大会(インカレ、男子のみ)も行われた。同大会の初代王者は慶應義塾大。女子に関しても、5年後の54年(昭和29年)に第1回大会が開催され、奈良女子大が初代チャンピオンの座に就いている。

その後の競技の発展とともに、全日本連盟は規模を拡大。現在は全国9つの地区で全11連盟(北海道、東北、北信越、男女各々の関東、東海、男女各々の関西、中国、全四国、九州)を統括する団体に成長している。


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