双子に憧れていたママがまさかの3つ子妊娠!?実家・義実家フル稼働で育てた3つ子【多胎育児体験談】

広島県在住の上岡あやきさん(34歳)は、長女・ゆづきちゃん(7歳)、3つ子の長男・はるきくん、二男・りゅうとくん、三男・そうたくん(5歳)、二女・しずくちゃん(2歳)、夫・たかはるさんの7人家族です。三卵性の3つ子を含む、5人きょうだいの育児に奮闘中のあやきさんに、3つ子の妊娠・出産当時のことを振り返っていただきました。全2回のインタビューの1回目です。

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双子妊娠だったはずが…まさかの3つ子妊娠!

妊娠初期のエコー写真

あやきさんは2014年に夫のたかはるさんと籍を入れ、2016年12月に長女を出産しました。夫とは、子どものことをどのように話し合っていたのでしょうか。

「私と夫はお互いに3人きょうだいの末っ子で、にぎやかな家庭で育ったため、『3人は欲しいね』と夫婦で話し合っていました。

長女が1歳になるころに2人目の妊活をスタートして、3つ子を自然妊娠しました。初めて健診へ行ったときは3つ子だとわかっておらず、医師から『二卵性の双子です』と言われ、とてもうれしかったのを覚えています。実は、私はもともとものすごく双子に憧れていたんです。自分自身も双子で生まれたかったし、いつか自分が親になったときは双子が欲しいと思っていました。夫も私が双子を欲しがっていることを知っていたので、妊娠報告したときは一緒に大喜びしてくれました。

2回目の健診は、長女と夫を連れて家族3人で健診に行きました。ところが、エコーを開始したところ、あきらかにおなかの中で3つの心臓が動いていてびっくり。先生にも『3人いますね!』と言われ、まさかの三卵性の3つ子だということが判明しました!1回目の健診ではバニッシングツインを心配していましたが、1人消えるどころか1人増えていたのでうれしい気持ちでいっぱいでした。

両親と義両親に報告したらみんなすごく喜んでくれて、だれもネガティブなことを言わず3つ子の妊娠を受け入れてくれました。身内の反応があたたかかったので、私もマイナスな考えに陥らず、安心して妊娠を継続することができました」(あやきさん)

周囲の理解と支えがあり、安心して3つ子を出産する決意ができたというあやきさん。3つ子の妊娠中も比較的穏やかに過ごせたそうです。

「もし、初めての妊娠で3つ子の妊娠だったら、とても不安だったと思いますが、長女の出産・育児を経験していたので、あまり不安はありませんでした。私も夫もむしろワクワクする気持ちのほうが大きかったです。医師からは『3つ子のつわりは大変。大きい病院で診てもらったほうがいいよ』と言われ、妊娠20週過ぎごろに個人の産院から大きな病院へ転院しました。しかし、ありがたいことに、妊娠中はまったくつわりがなく、切迫早産(せっぱくそうざん)もなく、とても元気な妊婦でした。予定どおり26週から管理入院が始まり、子宮頸管(しきゅうけいかん)が短くなって点滴を打つことはありましたが、病室でゆっくり過ごしたり、院内を散歩したり、比較的穏やかに過ごしていました。

入院中、夫と娘は私の実家で暮らしていて、長女の保育園の送迎は母と父が担当していました。私より、イヤイヤ期真っ最中の長女のお世話をしていた家族のほうが、大変だったと思います。ありがたいことに娘はパパっ子だったので、私がいなくても全然平気で、むしろ私のほうがさみしいぐらいでした」(あやきさん)

産後は立ち上がれないほどの貧血に。ベッドのままNICUへ

NICU入院中の3つ子

3つ子出産の前例がある大きな病院だったこともあり、出産までの流れはスムーズだったそう。妊娠32週で、予定どおり帝王切開の日を迎えました。

「妊娠32週の午前10時ごろに手術室に入り、帝王切開で、長男・11:39(1697グラム)、二男・11:41(1515グラム)、三男・11:43(1346グラム)と、2分ごとに1人ずつおなかの中から出てきました。3人ともしっかり泣いているのを聞いて、私は『本当におなかの中に3人いたんだ!』という驚きとともに、『やりきった!』という達成感でいっぱいでした。しかし、生まれたばかりの子どもたちはすぐに保育器に入れられて、顔をよく確かめることができないまま、NICUに運ばれて行きました。手術後、私は部屋に戻りましたが眠けに襲われてそのまま休みました。

出産した次の日、看護師さんに起こされてベッドから立ち上がろうとしたら、ひどいめまいと耳鳴りがして、ベッドから起き上がることができませんでした。出産したときに2リットルほどの出血があったので、ひどい貧血になっていたようです。車いすにも座れなかったため、ベッドごとNICUに運ばれて、子どもたちに会いに行きました。しかし、ベッドに横たわったまま、保育器に入っている子どもを見るので、やっぱり顔はよく見えなかったです。何日か思うように身動きが取れない日が続き、産後5日たってようやくシャワーが浴びれるようになりました。1週間だったはずの入院も13日間に延びて、ようやく退院しましたが、退院後も多汗症がひどく、1カ月ぐらいは体がしんどかったです。体調が元に戻らないまま、車で片道1時間の病院まで自分で運転して、NICUの子どもたちに会いに行くのは大変でしたね。

ようやくカンガルーケアができるようになったのは、産後2週間頃。はじめて抱いた3つ子たちは、小さいけれどずっしりと重みがありました。そのとき、看護師さんに『まだおなかの中にいるはずの赤ちゃんに直接触れられるのは早産のお母さんの特権ですよ』と言われて、『確かに!』とふに落ちました。一般的に、NICUに入っている子どもたちは管につながれていて“かわいそう”と言われるイメージがありますが、私はNICUという“いちばん安心できる場所”に子どもたちを預けられていたことに心底ホッとしていました。優しい看護師さんたちに励まされながら、ネガティブな感情に陥らずに過ごすことができました。

また、コロナ禍前だったこともあり、長女も3つ子と面会ができました。3人の赤ちゃんを見せて『弟だよ』と教えてあげたら、NICUの赤ちゃんを見るたびに指を差して『おとうと』と言うようになりました(笑)。3つ子が生まれたことによって、上の子の成長を感じることができました」(あやきさん)

実家・義実家が総出でバックアップ!人の支えがあっての産後育児

退院後の3つ子と長女

「退院後の3つ子育児はやっぱり心配なことも多かったですね。長女もまだ幼かったので、夜中に3つ子が泣いたら起きちゃうんじゃないかとヒヤヒヤしていました。最初は授乳のタイミングが全然つかめず、深夜バラバラに起きた3つ子にミルクや母乳をあげていましたが、そのときは眠れなくて本当にしんどかったです。3人の授乳のタイミングを3時間ごとにそろえ、哺乳びんもすぐに洗わなくていいように12本ぐらい用意したら、だいぶ楽になりました。

しんどいこともありましたが、私の場合、長女の育児を経験していたことが非常に大きかったです。1人目だったら戸惑っていたと思いますが、赤ちゃんが泣いていても、『これはおなかがすいて泣いているんだな』『眠くて泣いているんだな』と多少のゆとりを持って構えていられました。

退院後は3カ月ほどは、自分の実家に里帰りをしていたので、家族の支えも大きかったです。母は、毎日ごはんを作ってくれて、沐浴(もくよく)も手伝ってくれました。私の兄2人は、上の子を連れて散歩に行ってくれました。父は、朝早くに泣いている子がいたらリビングに連れて行ってあやしてくれました。夫も夜勤がある前日は朝まで子どもをみてくれたため、私はその間に寝かせてもらいました。また、2カ月ほどは訪問看護を利用していたので、3つ子の1人の通院がある日は看護師さんに来てもらって、母と一緒に子どもたちをみてもらうこともありました。

里帰りが終わってからも、夫の実家で義両親と同居していました。義父も義母もすごく協力的で、オムツを替えてくれたり、ミルクを作って飲ませてくれたり、なんでもしてくれたおかげで安心して過ごさせてもらいました。たくさんの人の手を借りて、育児に集中させてもらえたので、実家・義実家の親族には本当に感謝しています」(あやきさん)

夫と5人の子どもたち

夫と二姫三太郎

3つ子を含む5人の子どもたちを育てるには、夫との支え合いが不可欠です。

「3つ子が2歳になったころに、家を建てて家族だけで住むことになりました。夫も1人目の育児を経験しているので、3つ子育児が始まってからも即戦力。オムツが汚れたら率先してオムツポーチを持ってトイレに駆け込むほどです(笑)。夫はすごく面倒見がよいので、子どもを任せて私が出かけても大丈夫。ふだんのごはん作りは私の担当ですが、料理もできますし、食器を洗ったり、おふろはもちろん、寝かしつけも夫の担当です。夫が寝かしつけをしている間に私が洗濯物を干したり、次の日の準備をしています。朝は、私がお弁当作りや、連絡帳の記入、身支度で忙しくしているので、子どもたちの準備は夫がほとんどやっています」(あやきさん)

もともと子どもが3人欲しかったという上岡さん夫婦。3つ子を生んだ時点で子どもは4人でしたが、2021年に5人目の二女を出産しました。

「3つ子は2歳ごろから徐々に言葉が通じるようになり、だんだんと手がかからなくなりました。そのタイミングで5人目を授かりました。実は、3つ子の帝王切開のときに医師から『卵管を縛ろう』と言われたのですが、卵管を縛ると自然妊娠ができなくなってしまうので、『まだ縛らないでください』とお願いしていたんです。30代前半でもう1人、あわよくば双子を産みたいと思っていたので(笑)、31歳で5人目の二女を出産しました」(あやきさん)

お話・写真提供/上岡あやきさん(二姫三太郎ママ:@tkyk716) 取材・文/清川優美、たまひよONLINE編集部

両親・義両親・きょうだいなど親族のバックアップを借りて、みんなで育てた3つ子たち。1人目の育児を経験していたこともあり、夫婦の連携もバッチリですね。

2本目のインタビューでは、働くママの1日のスケジュールや、子どもたちの成長、3つ子育児ならではの楽しさ・面白さについてお聞きしました。

「たまひよ 家族を考える」では、すべての赤ちゃんや家族にとって、よりよい社会・環境となることをめざしてさまざまな課題を取材し、発信していきます。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年5月の情報で、現在と異なる場合があります。

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