『蛇の道』黒沢清監督 オリジナルを知っている自分だけが混乱した【Director’s Interview Vol.412】

今年は黒沢清監督の新作が立て続けに公開されるという幸運な年である。そのうちの一本である『蛇の道』は、監督自身の過去作をセルフリメイクするという興味深い試みとなっている。元となったのは1998年に製作された同名タイトルの『蛇の道』。哀川翔・香川照之主演によるVシネマとして作られた作品だ。それを何とフランス映画として監督自らリメイクし、哀川の役を柴咲コウが、香川の役をフランス人俳優のダミアン・ボナールが演じるという。ここまで聞いただけでも、興味を掻き立てられずにはいられない。

しかし大変恥ずかしながら、筆者は98年版の『蛇の道』は未見で、その存在すら知らなかった…。そこで、2024年版の『蛇の道』を観た上で、続けて98年版を鑑賞してみたのだが、これが非常に面白い映画体験であった。これから観る方には、この順番での鑑賞をぜひお勧めしたい。

セルフリメイクという試み自体が初めてだったという黒沢監督だが、いかにして『蛇の道』に再び挑んだのか。話を伺った。

『蛇の道』あらすじ

何者かによって娘を殺された父、アルベール・バシュレ(ダミアン・ボナール)。偶然出会った心療内科医の新島小夜子(柴咲コウ)の協力を得て、犯人を突き止め復讐することを生きがいに、殺意を燃やす。“誰に、なぜ、娘は殺されたのか”。とある財団の関係者たちを2人で拉致していく中で、次第に明らかになっていく真相。“必ずこの手で犯人に報いを——”その先に待っているのは、人の道か、蛇の道か。

Vシネマで終わるのがもったいなかった


Q:『蛇の道』は、「復讐」という普遍的なテーマがセルフリメイクとしての選定理由の一つだったそうですが、作品に対しての思い入れなどもあったのでしょうか。

黒沢:当初Vシネマとして作ったオリジナルの『蛇の道』は、友人の高橋洋という男が書いた脚本で、良く出来てるなぁと当時から思っていました。Vシネマだとそうそう多くの方が観る機会もないので、もったいなかった。それで、自分の作品でリメイクするとしたら何かと言われ、深く悩みもせずにすぐに『蛇の道』と答えたんです。

『蛇の道』© 2024 CINÉFRANCE STUDIOS – KADOKAWA CORPORATION – TARANTULA

Q:今回は高橋洋さんが直接関わっていないからか、舞台がフランスになったからなのか、ホラー風味が薄れてサスペンス色が強くなった気がしました。意図されたものはありますか。

黒沢:当時のVシネマはスーパー16mmというフィルムで撮っているんです。画質も悪く、ガサガサしたフィルムの質感もあり、異様な感じがより出ていた。一方、今回はデジタルで撮っていて、クリアで陰影もある美しい映像になっている。その違いは大きいと思います。

また、オリジナルは全く分らないまま放り出すという脚本になっていました(笑)。当時撮っているときも「まぁ、Vシネだからいいか」と放り投げたのですが、それがより不気味にさせたのかもしれません。でも今回はそこまで無責任にするのはやめました。分らせるところは分からせつつ、ただ最終的にはやはり放り投げるのですが(笑)、それでも前回のような荒っぽい感じはなくなっていると思います。

オリジナル版との違い


Q:脚本は具体的にどのように改定されたのでしょうか

黒沢:オリジナルと比べると二つの要素が違っています。まず一つは、オリジナルはVシネマで何たってヤクザ映画なので、フランスに置き換えるとマフィア映画になるはずですが、それをあえて変えたことです。オリジナルは、いわゆるヤクザ映画とはだいぶ違う感じで“外して”いました。例えば、ヤクザの組長を柳ユーレイ(柳憂怜)さんに演じてもらっているのですが、その時点で相当変化球なわけですよね。その微妙な感じを狙っていたのですが、フランスでマフィアとして描きつつも、微妙にマフィアの感じを外していくって、それは多分出来ないだろうなと。そこの“外し方”って日本人の僕らだと分からないんです。やったとしても中途半端なマフィアにしかならない。そこで、ヤクザが持っている暴力的なものとは違う、もう少しちゃんと利潤を追求している会社みたいなもの、「財団」にしてみました。そこが一つ目の大きな違いですね。

もう一つは、主人公をフランスにいる日本人女性にして職業も変えたことです。これはやっていて面白かったですね。オリジナルでは男二人が復讐していく話だったのですが、これが男女のペアになった。そうすると、オリジナルでは全然気にもしなかったのですが、自分の娘が殺されたという点から、男側には「妻がいたであろう」、女側には「夫がいるはずだ」という感覚がだんだん大きくなっていった。裏組織のようなところから始まったものが、自分の妻、あるいは自分の夫との関係に行き着くようになった。そこはオリジナルには全く無かった要素で、書いているうちに自然とそうなっていったものです。

『蛇の道』© 2024 CINÉFRANCE STUDIOS – KADOKAWA CORPORATION – TARANTULA

Q:オリジナルからの取捨選択で迷ったものなどはありましたか。98年版に出てきたコメットさんや生徒の女の子が出てこないのは意外でした。

黒沢:コメットさんは躊躇なく外しました。あれは高橋洋のアイデアでしたが、ヤクザ組織が追いかけてくるときに、「誰が追いかけてくるんだ?」「コメットさんだ」という、そこにはものすごい“外し”があったわけです(笑)。ただ、これをフランスでどうやるかは全く思いつかない。ごく初期には、フランスでコメットさんに相当するものを考えたりもしましたが、これはどうやっても無理だなと。

Q:オリジナル版の新島(哀川翔)の数学塾のようなところで、女の子の生徒が出てくるのが印象的でした。あの女の子に相当するのが、今作での西島秀俊さんになるということでしょうか。

黒沢:相当するかどうかは正直よくわかりませんが、オリジナルでの数学塾みたいな設定は心療内科に変更しました。そこの心療内科で小夜子がアルベールと知り合うという、分かりやすく手堅い設定にしたんです。心療内科の患者という形で西島くんが出てくるのですが、その顛末はオリジナルには全く無い要素として入れました。西島くんが出演してくれるかどうかはスケジュールも含めて一か八かでしたが、たまたまスケジュールがあって1日だけ出演してもらうことが出来ました。

Q:寝袋を引きずるカットでは今回は悲鳴が上がります。その辺の微妙なアレンジも脚本段階で考案されたのでしょうか。

黒沢:寝袋を引きずるというのは脚本段階からありましたが、オリジナル版の撮影では、あまり深い考えもなく寝袋の中に毛布を入れて引きずっただけでした。でも今回は本当に人間を入れてみようとなった。果たして引きずれるのかと思いましたが、すごく無理をすれば何とか出来た。柴咲さんも出来なくはないということだったので、中に人間を入れて実際に引きずったんです。そうすると、中の人間は当然動くし痛がる。そこで「オウッ!」という声も入れることになったわけです。

オリジナル版は毛布しか入れてなかったので、変なものを引きずっているだけの感じもあり何だか儀式めいていた。人間を入れるのか入れないのか、どっちがいいのか、こうやって実際に撮影することによって分かってくることもある。そこは映画撮影の面白いところですね。

オリジナルを知っている自分だけが混乱した


Q:セルフオマージュのような全く同じカットや演出も出てきます。フランスのカメラマンにはどのように伝えられたのでしょうか。

黒沢:今回のカメラマンは『ダゲレオタイプの女』(16)でも一緒にやった、アレクシ・カヴィルシーヌという非常に信頼できる方でした。ただ、彼がオリジナルを見てしまうと、どこか真似してしまったり、あるいは敢えて全然違う風に撮ったりと、どうしてもオリジナルとの距離を気にしてしまう。「絶対にオリジナルは見ないでくれ」とお願いしておきました。つまりスタッフは誰もオリジナルを見ていないわけですから、僕の采配ひとつなんです。あるところは同じように撮っていますが、カメラマンは同じかどうか分かっていない。場所も人も違うわけだから、当然全く同じには撮れないわけですが、でも僕一人だけが「ここは同じようになってるな」と思ったり、「似てるけど全然違うな」と思ったりして、一人で一喜一憂していました(笑)。撮っている方はよく分からないけど、監督がこうしろと言うからやっているという、非常に奇妙な経験でしたね。

セルフリメイクなんて初めてでしたし、どうやればいいのか分らなかったのですが、多くの人はオリジナルなんて観てないわけですから、全く同じようにやってみたり、全然違うようにしてみたりと、あまり深く考えずフィーリングで適当に混ぜながらやりました。よほど物好きの方はオリジナルと比較するかもしれませんが(笑)。

『蛇の道』© 2024 CINÉFRANCE STUDIOS – KADOKAWA CORPORATION – TARANTULA

ただ、僕は混乱したんです。監禁している場所で、カメラの手前で柴咲さんが溶接をしていて、真ん中辺りでマチュー・アマルリックが地べたに投げ出された食事を食べていて、奥でダミアン・ボナールが拳銃で試し撃ちをしているというシーンがあるのですが、それはオリジナル版でも全く同じことをやっているんです。ただし、左右逆転している。というのも、フランスで撮った場所だとどうしても逆に配置しないと良い感じにならなかったんです。それで僕一人だけがすごく混乱して悩んでしまった。「これ、逆でいいのかなぁ」と。撮っているカメラマンからすると、逆も何も分らないわけです。「これいいですよ!面白い」って言って撮ってくれるのだけど、僕だけは「面白いけど、これ逆だよなぁ」と。今でもあのシーンは変な感じがしますね。僕だけが妙な違和感を感じるんです。逆なんですよ(笑)。

Q:アングル等は普段から細かく指示を出すのでしょうか。

黒沢:ほかの監督がどうされているのか分かりませんが、僕は結構指示します。が、「画コンテ通りに撮ってくれ」とか、「こういう画角で撮ってくれ」といった指示は出しません。俳優の動きや関係性を踏まえて、その変化をどう収めたいかを伝えます。それが画としてどうなるかは分らないので、そこはやってみてのお楽しみですね。監督によっては、何も指示を出さない人もいるらしいし、この画の通りに撮ってくれという人もいるらしい。それからすると僕は真ん中辺り、平均ぐらいかなと。

フランスにおける映画のステイタス


Q:哀川翔さんがやった役を柴咲コウさんが演じるのは大胆で面白い翻案となりましたが、実際に撮ってみていかがでしたか。

黒沢:柴咲さんはさすがだなと思いました。何となく出てきた瞬間から、10年くらいパリに住んでいる人に見えちゃう。フランス人男性を相手に何の物怖じもせず、普通にフランス語で会話している。当然といえば当然なのかもしれませんが、そういう役を演じることの出来る力はすごいなと思いました。

Q:撮影前には柴咲さんから色々と質問があったそうですが、柴咲さんとはどのようなことを話されたのでしょうか。

黒沢:そんなにいろいろ質問されたという記憶はないんですけどね。おそらくあれかなと思うのは、衣装や髪型のことですかね。かなり最初の段階で脚本をお渡ししたのですが、「衣装や髪型はどんなイメージですか」と聞かれました。でも正直僕は分からないんですよ。どんな衣装でどんな髪型かなんて全然分からないけれど、ただ全然分からないというのも何なので、こんな感じかなという参考の写真をいくつか送ったりはしました。それで柴咲さんの方からも提案があったりして、そのやり取りをかなり初期の段階でやりました。ただ柴咲さんは、途中から「監督はこれ以上は分からないのだな。あとは自分でやります」という感じでしたね。それで衣装や髪型に関しては最終的にご自分で決められていました。多分そのことかなと。それ以外は特に役について話した記憶もないんですけどね。

『蛇の道』© 2024 CINÉFRANCE STUDIOS – KADOKAWA CORPORATION – TARANTULA

Q:『ダゲレオタイプの女』に続く海外での映画製作ですが、日本での製作と比べていかがですか。

黒沢:海外といってもフランスしか知らないのですが、基本的には日本と変わりませんね。俳優もスタッフも監督がやりたいと思うことを全力で実現させようとしてくれます。ただやっぱり、フランスでの映画のポジションは日本とはまったく違います。昔と比べるとずいぶん下がってきてはいますが、それでもフランスでは映画のステイタスがまだあって、映画に参加するということが誇らしいことであり、楽しいことだという認識がある。監督がアーティストだともされている。それゆえ、監督のイメージを実現するということは、かなり徹底されていました。僕が喋り出して、それを通訳が訳しはじめると、全員が集中して聞いてくれて「わかった、よし、やってみる!」と皆一丸となって向かってくれる。本当に気持ちいいことですよね。

Q:日本と比べてロケ撮影のやりやすさなどはありましたか。

黒沢:それはありますね。ただ今回はオリンピックを控えていたので結構やりづらいところもあったようでした。『ダゲレオタイプの女』のときの方がまだやりやすかったみたいですね。それでもパリでは「ここで撮影したい」と言うと、許可が降りるとそこでは何をやってもいい。全面通行止めにしての撮影も可能になるんです。撮影のために通行止めをするなんて東京では絶対に許されない。でもパリでは映画のためなら通行止めにして撮影させてくれるんです。嬉しいことですよね。

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監督:黒沢清

『CURE』(97)で国際的に注目を集め、2001年にはカンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品された『回路』(00)で国際映画批評家連盟賞を受賞。その後も『叫』(06)、『トウキョウソナタ』(08)『クリーピー 偽りの隣人』(16)など、世界三大映画祭を始め国内外から高い評価を受け続ける。『岸辺の旅』(14)では第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門・監督賞を受賞、『スパイの妻』(20)では第77回ヴェネツィア国際映画祭・銀獅子賞を受賞。また、今月開催された第74回ベルリン国際映画祭では新作『Chime』が上映、また9月には『Cloud クラウド』が公開される。

取材・文: 香田史生

CINEMOREの編集部員兼ライター。映画のめざめは『グーニーズ』と『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』。最近のお気に入りは、黒澤明や小津安二郎など4Kデジタルリマスターのクラシック作品。

撮影:青木一成

『蛇の道』

6月14日(金)全国劇場公開

配給:KADOKAWA

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