【中原中也 詩の栞】 No.63 「雨の朝」(雑誌『四季』 昭和12年6月号より)

((麦湯は麦を、よく焦がした方がいいよ。))
((毎日々々、よく降りますですねえ。))
((インキはインキを、使つたらあと、栓(せん)をしとかなけあいけない。))
((ハイ、皆さん大きい声で、一々(いんいち)が一(いち)……))
        上草履(うわぞうり)は冷え、
        バケツは雀の声を追想し、
        雨は沛然(はいぜん)と降つてゐる。
((ハイ、皆さん御一緒に、一二(いんに)が二(に)……))
        校庭は煙雨(けぶ)つてゐる。
        ――どうして学校といふものはこんなに静かなんだらう?
        ――家(うち)ではお饅(まん)ぢうが蒸(ふ)かせただらうか?
        ああ、今頃もう、家ではお饅ぢうが蒸かせただらうか?

【ひとことコラム】「麦湯」は麦茶のこと。雨音にまじって記憶の中から甦る人々の声が生活の知恵や教訓を語ります。その存在感に比べ、詩人が呼び覚ます子どもの頃の感慨は弱々しい印象を与えます。「ハイ、皆さん」という呼びかけは「春日狂想」(『在りし日の歌』)にも使われました。

中原中也記念館館長 中原 豊

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