耕作放棄地で育てた野菜を被災地へ “防災オタク”の女性が語る思い「1日でも長く笑顔で過ごせるように」【愛媛発】

被災した後の避難生活についてイメージしたことはあるだろうか。長期の避難生活で懸念される課題を解決しようと愛媛・宇和島市で、ある備えが始まっている。

収穫した野菜を炊き出しへ

愛媛・宇和島市津島町高田にある「BISAI - FARM」では、3アールほどの畑にオクラやピーマン、スイカなど約15種類、300株の野菜の苗が植えられている。

BISAI - FARMの林昭子代表に目的を聞いてみると、「災害時に野菜が食べられる仕組みを作っている」という。災害時には、BISAI - FARMで収穫した野菜を炊き出しに使い、普段は子ども食堂などに提供しているのだ。

林さんは、東日本大震災の被災地で行われた研修会などで避難者の野菜不足の話を知り、2023年8月に地元の宇和島市津島町で、NPO団体「BISAI - FARM」を立ち上げた。

大きな災害時では、野菜不足から便秘・ロ内炎などに悩んだ人が多く、農林水産省はビタミン、ミネラル、食物繊維をとるための野菜を常備することを呼びかけている。

災害時に1週間生活できる環境へ

畑は、もともと耕作放棄地となっていた土地だ。農林水産省によると、耕作放棄地の中でも農地への復元が困難とされる荒廃農地は、愛媛県が全国で3番目に多くなっている。

近所に住む冨永新也さん(69)は、「耕作放棄地が増えてきてるので、自分たちにとってもいい取り組みだと思う」と語る。

現在、年間を通じて30種類の野菜を収穫できるようにしていて、今後、他の耕作放棄地にも広げ、災害時に地域の人が1週間生活できるようにしたいという。

また、狙いは他にもあり、団体のメンバーだけでなく、地域の人や子どもたちとも協力して畑の世話をすることで、多世代交流が生まれることも目指している。

林さんは、「子どもたちが高齢者を見守ることもできますし、高齢者も子どもたちを見守ることができて、それぞれの役割ができていくと思う」と話す。

きっかけは阪神淡路大震災

自らを“防災オタク”と称する林さんは、自宅でも避難生活に備えているようだ。自宅を見せてもらうと、1階には大きなリュックとコンテナが置いてあった。

おにぎりや水で光るライトなど、食糧などに加え、長期の避難生活を想定した便利グッズが次々とリュックから出てくる。

その中でも林さんは、「パラシュートコード」という便利グッズについて教えてくれた。
パラシュートコードは、内芯が着火剤や糸の代わりになったり、デンタルフロスの代わりになったりするアイテムだという。2メートル50cmあり、180kgに耐えられるため、避難所生活では洗濯物干しやテントの設営になど使われる。

林さんがここまで防災へ興味を持つきっかけとなったのは、1995年に起きた阪神淡路大震災の経験だった。当時、専門学校生だった林さんは大阪の自宅マンションで被災した。

林さんは当時を、「床を突き上げるような飛ぶ感じの揺れで、冷蔵庫も動いてしまって。私は布団にもぐって動けない状態だった。恐怖・震えが止まらなかった」と振り返る。

その後も地震に対する恐怖心が消えなかった林さんだが、子育てをする中で「自分で不安を拭っていかないと、子どもたちをちゃんと守れない」と気持ちが変わってきたという。

「防災の敷居を低くしたい」

林さんが目指すのは「防災の敷居を低くすること」。BISAI - FARMの取り組みを、県の内外に広げていきたいとしている。

林さんは、「南海トラフの場合、生き延びた先のことを考えると長期戦になってくる。みんなが助け合って見守りしあって、1日でも長く笑顔で過ごせるようにできたらなと思います」と語った。

いつ起きるかわからない災害。宇和島の畑に芽吹いた小さな苗が、災害に強い地域づくりの確かな1歩になりそうだ。

(テレビ愛媛)

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